【報告】九州日仏学院(ミシェル・ドゥギー、藤田尚志) 公式HP映画「哲学への権利――国際哲学コレージュの軌跡」

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【報告】九州日仏学院(ミシェル・ドゥギー、藤田尚志)

2010年3月19日、福岡の九州日仏学院にて、本作の出演者ミシェル・ドゥギー(詩人)、藤田尚志(九州産業大学)とともに上映・討論会がおこなわれた(60名ほどの参加)。

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ドゥギー氏は国際哲学コレージュに関する概括的な話をした。コレージュはフランスのアカデミズムにおいてどこに位置づけられるのか。最終学年で哲学が必修の高校、哲学科を有する大学、文化系のグランゼコールなど、コレージュはつねにそれらの研究教育制度とは「別の場所で」構想され実践されてきた。

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大学制度のなかで関係省庁に依存する制度ではなく、その周縁で準制度(quasi-institution)としてコレージュは機能してきた。このことはコレージュの力であると同時に、その脆弱さをなす。デリダは「国際哲学コレージュには友しかいない」と皮肉を述べていたが、それは暗に「コレージュは敵だらけ」を意味するのである。

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会場からは「なぜ哲学の義務ではなく、哲学への権利なのか」という質問が出た。ドゥギー氏は、「では、いったい何歳から哲学への権利が発生するのか」と切り返す。人権は年齢制限をともなわないが、哲学を学ぶ権利は青年以上にしか許されないのか、それとももっと若い学生にも、あらゆる社会階層にも許されるのか。いずれにせよ、哲学の義務を語る前に哲学へとアクセスする権利が重要となるだろう。
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[ 2010/03/19 00:38 ] 上映報告(国内) | TB(0) | コメント(-)

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