【報告】東京大学本郷キャンパス(熊野純彦、鈴木泉) 公式HP映画「哲学への権利――国際哲学コレージュの軌跡」

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【報告】東京大学本郷キャンパス(熊野純彦、鈴木泉)

3月7日(日)、東京大学本郷キャンパスにて、熊野純彦(東京大学)氏、鈴木泉(同前)氏とともに上映がおこなわれた。雨天だったが、幅広い層の観衆が160名ほど集った。現在、これまでの巡回上映の旅の記録を徐々に映像作品としてまとめつつある。上映運動をやっている当人としては、たいへん感慨深い記録映像である。この日は、開演前に、12月の南山大学から2月の関西ツアーまでの部分(9分程度)を上映した。

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熊野氏は、本作を観て、「哲学について希望が語られる」「哲学が何らかの希望を語る」場面をものすごく久しぶりに目の当たりにしたと告白した。本作の副題は複数形で「痕跡(traces)」と題されているが、デリダに関する各インタヴューイーの差異がそうした複数性を感じさせると指摘した。

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(熊野純彦、鈴木泉)

また、「教育」という言葉は嫌いだが、出会いの場をつくり出すことが、強いて言えば、「教育」ではないか。「制度」や「ネットワーク」という言葉には抵抗感があるが、この映画上映運動のように「アソシエーション」として何ができるのか。そして、哲学の存在意義に関しては、現実的には、哲学は大学のなかで生き延びなければならないものの、しかし、本来的には、哲学は大学のなかには収まることはないだろう、とした。

鈴木氏は、現在の30代の若手研究者の特色として、国際的な活動に身を投じ、海外でも対等な立場で議論を試みていると指摘した。鈴木氏の世代とは異なり、何らかの問題に正面から取り組むある種の真面目さがあるとも語った。今後、「偉大な哲学者」が登場する気配がしない以上、若手のアソシエーション的な活動が哲学の展望を開くのではないだろうか。

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(「では、2つ質問するよ」と鈴木氏)

鈴木氏は本作の試みについて賛嘆の念を示したうえで、敢えて挑発的な仕方で、本作の「退屈さ」を指摘した。まず、批判的な視点を欠いているために、プロモーション・ヴィデオ的な作風になっていること。さらに、「退屈さ」であると同時に面白い点だが、本作では「デリダの偉大さ」がよく分かること。本作を観ているうちに、皮肉な意味で、デリダの生の声を聞きたくなり、彼のテクストを実際に読みたくなる。インタヴューイーがある種「平板化された」デリダの理念をくり返す度に、これこそがデリダが嫌悪した態度ではないか、と思ってしまうからである。

鈴木氏は有益な質問を投げかけた――「国際哲学コレージュの創設の経緯を描いた方がよかったのではないか。コレージュ創設にはデリダだけではなく、フランソワ・シャトレら他3名が加わっている以上、デリダだけに焦点を絞るのではなく、起源の複数性を示す必要があったのではないか」。

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フランスと日本の哲学の社会的地位の違い、子供にとっての哲学への権利、一般人をも交えた哲学の討議の場をいかにしてつくるのかといった問い、哲学におけるテクストの意義など、質疑応答も充実した内容だった。
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[ 2010/03/07 16:23 ] 上映報告(国内) | TB(0) | コメント(-)

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