【報告】京都大学(廣瀬純) 公式HP映画「哲学への権利――国際哲学コレージュの軌跡」

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【報告】京都大学(廣瀬純)

朝、梅田の宿から京阪電車で京都へと移動。京都は青空だが大粒の雪が舞っていた。2010年2月6日、京都大学にて廣瀬純(龍谷大学)とともに上映会がおこなわれた(のべ100名ほどが参加)。思想と映画に詳しい廣瀬氏はきわめて独創的な視点からコメントをし、実に縦横無尽に話を展開した。

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廣瀬氏はまず、本作には原作があると指摘。デリダの大著『哲学への権利について』(1990年)をもとにして、西山監督が各インタビューイーにそのエッセンスのシナリオを語らせた映画であると規定した。本作には国際哲学コレージュの絵(教室風景、学生の証言など)がひとつも描かれていない。国際哲学コレージュは「現実」と混淆した「汚らわしいもの」であるにもかかわらず、本作は敢えてその「汚れ」を排除して「美しいもの」として成立している、と彼なりに分析した。

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デリダは「言葉」を「肉」へと変換することに敏感な思想家だったが、コレージュを創設したことはまさにこの「受肉」の一撃を引き起こしたことに等しい。ところが、本作では「言葉」が無理やり「肉」にならなければならないという逆説、つまりは「汚染」は描かれていない。それは必ずしも欠陥ではなく、この映画固有の力をなしていると作品構造を描き出した。

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廣瀬氏の刺激的なトークに反応して、会場からは質問が止めどなく発せられた。立木康介(京都大学)氏は、国際哲学コレージュの現場を映し出すことで、在野における知の実践を提示した方がやはりよかったのではないかと指摘。日本社会のように過度の制度化は知的創造力を弱めるだけであり、制度の余白をいかに残すのかが重要である。その意味で、本作は「大学とは何か」を問う映画ではなく、「大学という『制度』の外でいかに知を流通させることができるのか」をめぐる作品である、とした。

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京都大学での上映はICUと同じく学生主体で進められ、成功に終わった。廣瀬氏の卓抜な話術によって笑いの絶えない刺激的な会だった。臼田泰如氏をはじめとする学生のみなさんの労を心からねぎらいたい。まちがいなく今回は、雪景色の京都の光景とともに、一連の上映会におけるひとつのクライマックスになるだろう。
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[ 2010/02/06 23:46 ] 上映報告(国内) | TB(0) | コメント(-)

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