2011年5月20日、上智大学にて、『哲学への権利』の上映・討論会がおこなわれ、赤羽研三(フランス文学科)、寺田俊郎(哲学科)、エルヴェ・クーショ(フランス語学科)、水林章(同)、伊達聖伸(同)が登壇した。上智大学の外国語学部フランス語学科、文学部フランス文学科および哲学科の共同企画という学科横断的な形式で、新入生向けのフランス入門講義の一環として実施された(約120名の参加)。

(水林、西山、寺田、赤羽、クーショ、伊達)
寺田氏は臨床哲学の実践経験から、本作には親しみと違和感の両方を感じると告白。もし市民のあいだに哲学が浸透するならば、哲学教師はみな不要となるだろうが、だがこれは喜ばしいことでもある。寺田氏は大学の外で哲学カフェを展開しているが、大学の外に出るだけで本当に十分だろうか、制度の中にとどまりながら哲学の実践的運動をいかに創造するべきか、と問うた。

(寺田、赤羽氏)
赤羽氏は、制度を問う制度という点で、国際哲学コレージュはきわめてデリダ的な組織である、と指摘。原発事故で電力制限が実施された現在こそ、哲学的な問いが発せられるべきだとした。「豊かさとは何か」「効率とは何か」「技術とは何か」、というような根本的な議論が必要だからだ。
高校の哲学教師の経歴のあるクーショ氏は、高校という言葉から古代と現代フランスを実に鮮やかに結びつけた。フランス語のlycée(高校)は日本語への適切な翻訳が難しい言葉で、そもそもアリストテレスが教えていたアテネ北東の学校に由来する。アリストテレスを含むペリパトス派(逍遥派)は学園の周囲を散歩を頻繁にしていたことで有名だ。散歩には時間がかかり、しばしば友人と一緒の散歩になりうる。散歩には即効性がなく、目的が定められていない無償の行為だ。散歩のイメージと哲学の活動はある意味で連関するのだ。ところで、現在のフランスの高校では、逆に、最終学年で哲学は一年限定の必修で、カリキュラムも限定されている。学習目的は大学入試資格試験(バカロレア)のためである。

(クーショ、伊達氏)
また、lycée(高校)の語源はギリシア語のlycos(狼)であることも興味深い。都市国家にある学園の周囲の未開林には狼が生息しており、このことは学問の外にある危険を象徴する。これは必ずしも否定的なことではなく、学問は危険に立ち向かうことによってその境界が開かれていく営みなのだ。
水林氏は、アソシエーションの歴史に批判的に言及。拙著『哲学への権利』では、早稲田の討論会での彼の発言が引用されているが(50頁)、不十分な引用である。人権宣言において結社の自由が禁止されたが、それは近世身分制社会における、身分・団体に帰属するがゆえの権利主体の否定だった。国家と向き合う丸裸の個人が創出されたわけである。その後、「市民=シトワイアン」たちの共同体としてのフランスが安定するまでに一世紀を有した。「市民=シトワイアン」たちが自由に結びつくことが1901年のアソシエーション法によってやっと達成されたのだ。こうしたフランス近代の歴史的経緯を踏まえると、日本に「市民」は存在するのか、軽々しく「市民」という言葉は使用できないのではないか、と水林氏は問うた。

(水林氏[左])
伊達氏は映画のエンドロールについて指摘。最後のクレジットではこれまでのすべての上映会会場と登壇者の名前が記載されている。映画を通じた哲学的実践が、何度でも回帰する「亡霊的」(デリダ)な仕方で表現され、この映画の本体をなしているのではないだろうか。また、伊達氏は宗教学を専攻しているが、「何派の研究ですか?」と問われて戸惑うという。何派の専門研究ではなく、むしろ「宗教とは何か?」と問うことが肝要だからだ。これは特定の哲学者や特定のテクストを専門研究することで、哲学を研究した気になってしまう危険性と重なるのではないか、とした。
映画上映は授業の一環なので新入生は参加義務があるが、その後の討論への参加は学生の自由に委ねられた。映画の最後にナイシュタットが、「大学の一年時に、新入生対象のデリダの特別講義が金曜、大教室で開かれた。デリダがいったい誰なのかもわからず、哲学と教育といわれてもさっぱりだった」と証言する。参加された上智の一年生も、「大学の一年時に、新入生対象の西山の映画上映が金曜、大教室で開かれた。西山がいったい誰なのかもわからず、哲学と教育といわれてもさっぱりだった」と感じた向きもあるだろう。ただ、かなり多くの学生が最後まで残ってくれて、熱心に議論を聞いてくれた。これほど多くのフランス語専攻の学生たち(いわば、同志!)と一緒に映画上映をしたのは初めて。とても充実した時間を過ごすことができたことに、学生の方々、先生方に深く感謝する次第である。
スポンサーサイト