【取材記@パリ】思考の方向を定めるとはどういうことか――フランスの高校における哲学教育 公式HP映画「哲学への権利――国際哲学コレージュの軌跡」

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【取材記@パリ】思考の方向を定めるとはどういうことか――フランスの高校における哲学教育

フランスの高校においては哲学が必修科目であり、最終学年になると文系理系を問わず、高校生は週に4-8時間の哲学の授業を受ける。世界的に見て例外的な、フランスの高校における哲学教育はどのように実施されているのだろうか。

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2008年11月27日、ジゼール・ベルクマン氏の尽力によって、UTCP共同研究員の藤田尚志氏らとともに、パリ郊外のジュール・フェリー高校で哲学の授業を見学させていただいた。学生数約100名のジュール・フェリー高校はエリート養成的でも、問題児が多いわけでもない平均的な高校である。

フランスの高校で学科コースは文科系(L)、経済系(ES)、理科系(S)に分けられる。いずれも学科コースでも最終学年で哲学が課せられており、大学入学資格試験(BAC: Baccalauréat)にも哲学の科目が含まれている。BACはいわば日本のセンター試験のような大学進学者の共通試験である。ただ、日本の場合は、獲得点数に応じて大学進学が左右されるが、BACに合格するとほとんどすべての国立大学に入学することができる。BACでの哲学の筆記試験は4時間。三つの課題が出され、その設問のなかから小論文かテクスト注釈を選択する。試験課題は年度初めに公表されるので1年間の受験勉強期間があるわけだが、しかし、18歳の若者が4時間の哲学の論述試験に合格するためにはかなりの訓練が必要だろう。

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(きわめてシンプルな職員室。先生ごとの個別の机はない。先生は毎日出勤する必要はなく、授業のある日だけ学校に赴き、終わると日中でもすぐに帰宅する。)

最初に見学したのはドゥ・プルヌフ先生の授業2コマ(1コマは55分)。最初のクラスの主題は「欲望と自由」。欲望は受動的で情動的なものであるため、人間の自由に対する脅威であるようにみえる。欲望とはいまだ実現されていないもののに対する願望であり、その実現をめぐって諸個人の能力が試される。「欲望と自由」については、自分の能力に照らし合わせて、いかにして自己を統制するべきかが問題となる。授業では、デカルトの自由意志、プラトンにおける不死の問い、ストア派の自己統制などが参照された。

次のクラスの主題は「真理」。アリストテレスの論理学関係の著作群『オルガノン』におもに言及しながら、真理認識に至るために、判断の基準や規則を見い出し、習得することが必須であることを説明。同一律、無矛盾律、排中律を紹介し、推論や三段論法の論理を普遍-特殊、質-量のカテゴリーを踏まえながら具体的に教えた。

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(学生に人気のドゥ・プルヌフ先生。「幸福の探求は哲学の一部なのよ」と印象的な言葉を学生に投げかけていた。)

ドゥ・プルヌフ先生は学生との親密な雰囲気を十分に活かしながら授業を進める。そうした自由な雰囲気はときに学生たちの雑談をも許容するのだが、しかし、学生との対話を重視することで教室全体で活発な議論がおこなわれていた。

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お昼を学食で食べた後は、カジエ先生の授業。エピクロスの手紙とフロイトの「文明への不安」の抜粋を使用して「幸福」について、サルトルの抜粋を使用して「自由」について授業された。学生は抜粋プリントを読んできており、先生に発言を促されると自分の見解を述べる。「テクストを読む際には、テーゼ、争点、問題を浮かび上がらせることが重要です」「みなさんの段階では、分析したり批判したりするのではなくて、テクストが言わんとしていることの概観を明示することが大切です」と哲学の初学者に読解の基礎を示していた。

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(授業は厳しいパンション先生)

最後は、パンション先生による2年生向けの哲学入門。だが、入門とは思えない高度な内容。すでにいくつかの質問をめぐって小エッセイの宿題が提出されており、今回はその講評と添削がなされた。設問は「動物はいかなる意識をもっているのか」「欲求と欲望の違いとは何か」「『実存は本質に先立つ』というサルトルの命題をどう考えるか」など。「みなさんの小エッセイの出来は残念ながらいま一つでしたよ」と軽く言い放って授業開始(17歳の初学者がこれらの難問に答えるわけだから当然だと思うが)。学生が曖昧に使用した概念(自律、他律、偶然、反省など)に的確な規定を加えながら、哲学的理解を促していく。

日本と比べて、フランスの高校では授業中、学生の質問が活発だ。学生は沈黙しない。学生はどんどん手を挙げて絶えず質問をする。その内実は事実確認のレベルから、論理的な質問、的確な反論のレベルまでさまざまだ。排中律の説明の際には「それはパラドックスとはどう違うのか」、矛盾の説明の際には「対立との違いは?」との質問がすかさず出てくる。授業中、先生が説明しているあいだに、学生数名同士で話し始めることもあるが、それはけっしてたんなるおしゃべりではなく、思わず隣の学生と議論が始まっているという場合もあった。教師と学生とのあいだで絶えず対話や議論がなされることで、教室全体で理解を深めていくという連帯感が生まれるのだ。

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引用テクストが配布されることはあるが、教科書はない。「ここは重要だから」という先生の合図とともに重要な命題文が読み上げられると、学生はみなノートを取って正確に転写する。おもに学生と先生の対話と問答を通じて、問いの射程が十分に深められ、概念の規定が明確になり、命題の真偽が明晰に判断される。授業では、人物名や著作、概念やキーワードなど重要事項を暗記することではなく、何かを思考するための手段や基準、つまりは道具(オルガノン)を習得することが目指される。

思考の方向を定めるとはどういうことだろうか―今回の取材でもっとも印象に残ったのは、「思考するための基本的で的確な方法を学ぶ」という、哲学に課せられたもっとも単純な務めである。自由に思考することが重要なわけではない。自由に思考するためにいかなる制約や規則が必要なのかを自覚することが重要なのである。

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(休み時間に学生たちとの対話。「必修科目だから哲学の授業を受けているけど、哲学をやって何の意味があるのか、とは思わない?」と質問すると、「とんでもない! 思考の訓練のためにとても重要な授業なの」との返事。)

*今回の取材に際して尽力していただいたジゼール・ベルクマン氏、ジュール・フェリー高校のみなさんには深く感謝いたします。

UTCPブログより転載
http://utcp.c.u-tokyo.ac.jp/blog/2008/11/post-150/
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[ 2009/08/30 18:33 ] 報告・取材記 | TB(0) | コメント(-)

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