【報告】刊行記念イベント「哲学と大学の未来」(鷲田清一) 公式HP映画「哲学への権利――国際哲学コレージュの軌跡」

本ブログでの情報はすべて個人HPに移動しました。今後はそちらでの閲覧をお願いします。⇒http://www.comp.tmu.ac.jp/nishiyama/

ホーム > スポンサー広告 > 【報告】刊行記念イベント「哲学と大学の未来」(鷲田清一)ホーム > 上映報告(国内) > 【報告】刊行記念イベント「哲学と大学の未来」(鷲田清一)

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
[ --/--/-- --:-- ] スポンサー広告 | トラックバック(-) | コメント(-)

【報告】刊行記念イベント「哲学と大学の未来」(鷲田清一)

2011年2月23日、大阪・アートエリアB1にて、鷲田清一(大阪大学総長)氏と対談「哲学と大学の未来」がおこなわれた。DVD書籍『哲学への権利』×『ドキュメント 臨床哲学』刊行記念イベントで約140名が集まった。(司会:本間直樹〔大阪大学〕。主催:大阪大学コミュニケーションデザイン・センター、カフェ・フィロ、勁草書房)

washida4 IMG_5380

鷲田清一氏は1997年に大阪大学の「倫理学」講座を「臨床哲学」講座へと名称を変え、従来の狭義の哲学研究を脱して、医療や学校といったさまざまな現場での対話から哲学の理論を再創造する試みを積み重ねてきた。10年間の活動を振り返って、「臨床哲学とは何か?」と本質的な答えを探り出すわけでも、マニフェストによって活動の方向性や展望を限定するわけでもなく、関係者各人の回想と反省によるドキュメントという形で著作が刊行された(『ドキュメント 臨床哲学』、大阪大学出版会)。今回は、臨床哲学の試みと、ドキュメンタリー映画「哲学への権利」の活動をめぐって、むしろ両者に共通する課題や問いが議論され、たいへん貴重な機会だった。

ドキュメントとドキュメンタリーに共通するのは「事実」に対する感性である。それはある出来事や誰かの語りといった事実を手放すことなく、しかも、新しい事実(実践的対話や上映運動)をさらに積み重ねることである。事実に対する手触りを忘れない姿勢が重視されるのだ。

washida5 IMG_5361

鷲田氏によると、これまでの哲学はしゃべりすぎた。哲学は物事の根拠をどこまでも問い続ける試みであるため、過剰に余分に語ってきた。哲学は今度は聴く力をもつべきである、という決意から、鷲田氏は関心のある「ケア」概念を確かめるために、尼僧や華道家、ダンス指導者などの異分野の人々に耳を傾けてきた。ただ、異分野の人だから黙って言葉を聞くことができたけれども、相手が哲学者だったらそうはいかなかったかもしれない。同じプロとしてとして言葉を返して論争になったかもしれない、という告白は示唆的だった。

昨年から日本はサンデル・ブームで、大学における対話型授業の成功例として好評を博している。ただ、アメリカの大学では、課題図書のかなりの頁数の予習やティーチング・アシスタントによる少人数のグループワークなどがおこなわれている。哲学のための周到な場づくりがなされているのであり、カリスマ講師の力量だけで対話が促進されているわけではない。日本でもサンデル式の授業を成立させようと思うならば、個人の芸に頼るのではなく、制度的な条件設定を練り直す必要があるだろう。

washida7 P1000689

鷲田氏は、「哲学は、世界とそれに向き合う自己についての問いの作法であり、基礎づけられた学問ではない。哲学にとっては学問ですら自明の出発点ではなく、その可能性と限界とがつねに問いに付せられねばならない」と言う。哲学が大学の枠内に収まることなく、現場との具体的な対話を志向してしまうのは、哲学のあり方そのものに関わることではないだろうか。

鷲田氏らの臨床哲学関係者との交流を通じて、誰かと共に思考の現場を創る試みの奥深さと喜びを実感することができた。

washida1 IMG_5345
スポンサーサイト
[ 2011/02/23 01:05 ] 上映報告(国内) | TB(0) | コメント(-)

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。