公開ワークショップ「哲学と大学」 公式HP映画「哲学への権利――国際哲学コレージュの軌跡」

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公開ワークショップ「哲学と大学」

2010年12月26日、一橋大学にて「哲学と大学」公開ワークショップが開催され、15名ほどが集まった。(主催:科研費基盤研究(B)「啓蒙期以後のドイツ・フランスから現代アメリカに至る、哲学・教育・大学の総合的研究」)

まず、西山雄二(首都大学東京)の発表「フランスの哲学と制度」において、20世紀のフランスの哲学の制度化とそれをはみ出す運動との関係が概説された。高校や大学で哲学が制度化され、専門化されると同時に、在野での哲学的活動(民衆大学、ポンティニーの十日、コレージュ・フィロゾフィック、雑誌の公刊など)が活発となる。これは、哲学の閉鎖性と開放性といった哲学そのものの二律背反性(デリダ)に端を発するものではないだろうか。

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次に、宮崎裕助(新潟大学)氏は、「英米語圏における「人文学」的思考の現在」と題して報告した。サイードは晩年の『人文学と民主主義的批評』において、文献学への回帰を強調しつつ、あらゆる階級と背景の人々に開かれたデモクラシー的解放を謳った。ただ、サイードの人文学論は狭義の人間主義に裏打ちされており、言語の根本的にアナーキーな性格への配慮は見られない。人間の規範的な諸価値を問い直す、ポストヒューマニティーズとしての人文学を構想することが課題と可能性として残されている。

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最後に、藤本夕衣(京都大学)氏は、博士論文にもとづいて、発表「アメリカの大学における教養教育論争 ―「文化戦争」にみる政治哲学の問い」をおこなった。ポスト・モダン時代の大学を論じる糸口をつかむために、藤本氏は、リチャード・ローティとアラン・ブルームの古典論を参照する。

ローティは解釈学的立場から形而上学的な哲学の無効化(それゆえ、形而上学的理念が保証する近代的大学の無効化)を示唆し、文化左翼と分析哲学への批判を通じてポスト・モダン的大学の病理を描く。ローティにとって、偉大な作品は読者のインスピレーションを回復させる点で重要であり、古典を読む場としての大学は社会からの一時的な避難所である。

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他方で、西洋中心主義的な保守主義者とされるブルームもまた、大学の二つの解体を意識する。啓蒙主義的理念にもとづくドイツの大学を経て、出口のないニヒリズムが蔓延するアメリカの大学において必要なのは、古典の著者の声に徹底的に聴き従う読者の態度である。古典の読解を通じて、読者は自らの不完全さを自覚し、知へのさらなる欲望(エロス)を抱く。大学は社会との緊張関係を保ったまま、古典を読むことのできる場所である。

藤本さんはさらに、両者の師であるレオ・シュトラウスを参照し、歴史主義と古典の意義という視座から古典論を分析した。古典論と政治哲学(近代民主主義の問いと規定)との接点を浮かび上がらせ、さらにこの関係をポスト・モダンの大学論へのひとつの解として示す手ほどきは的確で、とても興味深い発表だった。
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[ 2010/12/26 22:50 ] 報告・取材記 | TB(0) | コメント(-)

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