【報告】韓国・研究空間スユ+ノモN(李珍景、鄭晶熏、宮崎裕助) 公式HP映画「哲学への権利――国際哲学コレージュの軌跡」

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【報告】韓国・研究空間スユ+ノモN(李珍景、鄭晶熏、宮崎裕助)

2010年9月27日、研究空間スユ+ノモNにて、李珍景(イ・ジンギョン Yi-Jinkyung)、鄭晶熏(ジョン・ジョンフンJeong Jeong Hoon)、宮崎裕助(新潟大学)とともに上映・討論会がおこなわれた。学校教師が引率してきた中学生(?)の団体、日本から駆け付けた学生たちも含めて45名ほどが参加した(韓国の中学生たちは辛抱強く映画を観て、夜遅くまでの討論にも残ってくれて感動的だった)。

スユ+ノモは1997年、若手研究者たちが創設した、大衆に開かれた研究教育のための自律的な生活共同体である。それは理論探究がなされる研究所であり、数々の教育活動が実施される施設であり、研究員の共同生活が重視されるコミューンである。講義室(兼ヨガ室および卓球室)、セミナー室、カフェ、厨房+食堂、勉強部屋などを備えたスユ+ノモが目指すのは学問と生活の適切な調和である。スユ+ノモは2009年に分割され、現在は各々の特色に即して四つのスユ+ノモの拠点施設がソウル市内に点在している。今回の会場はそのひとつ、「スユ+ノモN」である。

参考記事→ 2008年8月【取材記@ソウル】「研究空間スユ+ノモ」の挑戦
http://rightphilo.blog112.fc2.com/blog-entry-15.html

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宮裕助氏は、国際哲学コレージュの最も重要な意義を制度の無条件性にみる。大学はグローバルに進行する市場原理主義の荒波のなかで、競争原理の渦中に投げ込まれている。ならば、既存の大学制度に必ずしも依存することなく、かつ、たんに無関係ではないしかたで介入しつつ、哲学や人文学の名のもとに、思考の無条件な権利を確保することができるのか。

李珍景氏は、映画には教師の一方的な発言しかないが、教室風景や学生の姿とともに、コレージュがいかなる難点に突き当たったのか、具体的な成功と失敗を描き出した方がよかった、と述べた。彼は韓国の歴史的背景にも触れ、金大中および盧武鉉政権時代に政府から支援を受けた団体が、新自由主義的な李明博政権になって支援金を絶たれて苦労した、という事実を挙げた。韓国では制度が政府に対する独立性を維持することが困難で、デリダが示唆する「制度に抵抗する制度」はどの程度可能だろうかと問うた。

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(李珍景、宮崎裕助)

李珍景氏は、スユ+ノモの実践を、制度の内と外を横断し、資本主義や国家には回収されえない外部を創案する愚直で素朴な試みと規定。それは、人文学の学びがもたらす制度からの離脱の誘惑によって、新しい生の方式、コミューン的な生の空間を創出する試みである。彼は、制度から溢れ出てしまう学びに対する欲望の匂い、そうした外部に対する欲望の匂いを感じるがゆえに、国際哲学コレージュに惹かれるとした。本作のエンドロールにも着目し、上映場所と人名が長々と列挙されるが、これは大学制度を超えた運動の証しだと指摘した。

鄭晶熏氏にとって人文学の核心のひとつは物事を問い続ける権利である。その意味で、人文学は到達するべき目的地とは異なる道そのものではないか。状況と条件の変化にしたがって、問いを変化させ、必要な暫定的な解決策を模索する過程的思考こそが人文学である。彼は、日本人がフランスの哲学学校を撮影し、フランス語の映画作品として仕上げているが、この映画は誰に見せるためにつくられたものなのか、と問うた。また、鄭晶熏氏は、人文学を自らの生の主人になる方法を実践的に学ぶことと規定した上で、コレージュにおいて学生たちは何を得るのだろうか、と疑問を投げかけた。

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(左からオ・ハナ、鄭晶熏)

スユ+ノモ研究員のオ・ハナ氏によれば、映画には建物の風景が映されていないが、例えば、教室の掃除は誰がどんな風にしているのか、朝、玄関の鍵は誰が開けているのか、といったことが気になる。スユ+ノモではメンバーが当番制で建物を管理し、食事をつくり、掃除をおこない、会計をおこなっているが、そんな知的共同体ならではの意外な問いだった。

東京大学の学生・近藤伸郎さんは、コレージュとスユ+ノモが経済という点でまったく異なると指摘。スユ+ノモが資本主義の外部を目指すとはいかなる可能性をもつのか、と問うた。さらに、宮崎氏は、在野の知的運動と大学制度圏という二極化が韓国では鮮明であることはよく分かったが、制度(国家や資本)から逃れようとする試みは自己満足的な処方箋にしかならず、逆に制度を補完することになりはしないか、と指摘。これに対して鄭晶熏氏は、制度に包摂されるかどうかという問いは制度の側の問いであって、スユ+ノモ側では気にならないと応答。ただ、新自由主義下で人文学の危機が叫ばれるが、それ以前の時代に果たして人文学はどれほど実り豊かだったのか、内省する必要があると鋭いコメントを加えた。

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コレージュでは学位ではなく計画書だけで誰もがディレクターに応募できる。オ・ハナ氏によれば、スユノモでは教えたいという「意志」によって誰もが講師になることができる。講座を担当するなかで他の人々から厳しい助言を受けながら、教える仕方を洗練させていくという。選抜や意志など、〈教える権利〉の基準とは何か、という論点は興味深かった。

知的共同体の管理運営の現実、教える―学ぶ権利の民主的要素、国家と資本が深く関与する大学制度の外部への希求など、スユノモならではの充実した討論をおこなうことができた。

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[ 2010/09/27 01:25 ] 上映報告(海外) | TB(0) | コメント(-)

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