【報告】2010年度前期デリダ・ゼミ(@首都大学東京)終了 公式HP映画「哲学への権利――国際哲学コレージュの軌跡」

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【報告】2010年度前期デリダ・ゼミ(@首都大学東京)終了

首都大学東京にて開催されている2010年度前期水曜5限の演習「フランス語圏文化論――ジャック・デリダ入門」が終了した。首都大に赴任して最初の演習だったが、参加者の方々の熱意と努力によって大変満足のいく成果を得ることができた。

冒頭で入門的講義を数回おこなった後、『たった一つの、私のものではない言葉』、『歓待について』、『声と現象』、『留まれ、アテネ』、『アポリア』、『条件なき大学』、『友愛のポリティックス』、『他の岬』と学生発表をもうけた。各著作をすべて通読するのは大変だろうから、重要個所30-40頁程度を毎週指定し、参加者にさほど負担をかけないようにした。一冊の著作をじっくり精読する醍醐味は失われたかもしれないが、しかし、毎週異なるテクストをテンポ良く読んでいくスリリングさを味わうことができた。

学部生相手にデリダの演習など成立するのだろうか。デリダのテクストには独特の難しさがある。デリダは基本的に誰かの思想やテクストに即して脱構築を実践するため(寄生虫的身振り)、彼自身の哲学体系を抽出することは難しい(デリダ哲学の現前不可能性)。それゆえ、演習でもデリダが扱っているテクストや哲学史などに遡って理解を深めておく必要が生じる。哲学の歴史的背景も同時に理解しておかなければならず、学部生には骨の折れる演習だったことだろう。

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参加者は学内生と学外参加者が半々で、つねに計12名ほどだった。学外から学生や社会人が(わざわざ南大沢まで)足を運んでくれるのは大変嬉しいことだが、学内生とのバランスが当初から気がかりだった。意識の高い学外参加者によって演習の水準が極端に引き上げられないかどうか。学外者は休まずに定期的に参加してくれるかどうか。結果的に、双方のバランスは上手くいき、演習全体に活気が出た。とりわけ、公開イベント「『条件なき大学』を読む」の際にはさらにいろいろな学外参加者が集い、刺激的な会となった。

授業の最後にアンケート・シートを書いてもらい、感想を徴集することがある。しかし、個人的にこのやり方には不満だ。学生のさまざまな感想はきわめて興味深く、内容豊かであるのに、回収した感想が学生には還元されないからである。また、理解したばかりの内容に対して授業の最後の数分で感想を求めることには少し無理がある。そこで演習では感想を後日ツイッターで数回つぶやくか、メールで送ってもらうことにした。すべての感想は集約して、次週印刷して参加者に配布したが、こうした意見の循環はとても重要である。
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就任してまだ4カ月だが、大変充実した演習を実施することができた。参加された方には感謝と敬意を表したい。今後もこのデリダ・ゼミは継続していきたいと考えている。後期は、『エクリチュールと差異』に収録されたジョルジュ・バタイユ論「限定的エコノミーから一般的エコノミーへ 留保なきヘーゲル主義」を通読することで、デリダ―バタイユ―ヘーゲルの関係をめぐって議論する。
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[ 2010/07/22 00:39 ] 首都大学東京での活動 | TB(0) | コメント(-)

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