【報告】「ジャック・デリダ『条件なき大学』を読む」@首都大学東京 公式HP映画「哲学への権利――国際哲学コレージュの軌跡」

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【報告】「ジャック・デリダ『条件なき大学』を読む」@首都大学東京

2010年6月30日ゼミ拡大版「ジャック・デリダ『条件なき大学』(月曜社)を読む」 が首都大学東京で開催された。大宮理紗子(首都大学生)さんが発表して、守屋亮一(早稲田大学生)、伊藤拓也(東京都立大学生)さんがコメントを寄せた。大学情報研究会との共催で、30名ほどが参加した。首都大学東京に着任してから最初のイベント開催であり、しかも、首都大学東京という改革の深刻な歴史をもつ大学において大学論イベントを実施するという点で重要な会となった。

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大宮さんは『条件なき大学』の的確な概説をしつつ、大学とはいかなる場なのか、いかなる場でないかと問うた。また、自分なりの視座から、情報化社会における大学の意義、大学における無条件と無制約の違いについて問題提起をした。

守屋さんは、大学には雑多性が必要だが、勉強する学生が減少するという悪い方向にあるのではないかと問うた。それは大学が就職相談所と化しており、高校と大学の接続が上手くいっていないからではないか。大学、とりわけ人文学の意義は、たとえ独りでテクストを読んでいたとしても、ある種の社会的な交わりが生起する点にあるとした。伊藤さんは、首都大学東京の改革の過去に触れて、自分の信じるところを公言しない教員の沈黙によって改革が後押しされたのではないか、と問うた。

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質疑応答の時間で、ICUのMさんは、伊藤さんが教員を断罪する立場はいかなるものか、と問うた。また、大学においては、デリダが指摘するような信仰告白に収斂することなく、具体的なプロジェクトを制度的に提起してこそ、信仰告白が出来事であるかのような瞬間が訪れるのではないかとした。東京大学のKさんは、アーレントの『人間の条件』とデリダの『条件なき大学』を的確に比較して、労働/仕事/活動という三幅対に即して、多数性が保持される言論の場はいかにして開かれるのかと問うた。和光大学のSさんは大学をいかなる場と空間として構想すればよいのかとした。首都大学のMさんは、各人がある種の寂しさを感じながら勉強するだけという現状において、その寂しさから出発する共同性をつくっていくことが重要だとした。首都大学のYさんは、なぜ大学が存在しなければならないのか、と本質的な問いを発した。首都大学のFさんは、大学が雑多な場でありにくいのは、入学する際に各人が明確なアイデンティティをもって入学するからではないかとした。

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充実した発表とコメントによって、議論の可能性が豊かに開かれた。ただ欲を言えば、たくさんの質疑を受けたにもかかわらず、登壇者はほとんど応答できなかった。発表するだけならたんなる自己主張に終わってしまう。登壇者はフロアの質問に対して応答を返す義務があるのではないか。

大学内外からのさまざまな方の参加によって、教室は独特の雰囲気に包まれた。こうした学術イベントがいかなる形で実施されうるのか――それはその大学における出会いの潜在的可能性を端的に指し示す。首都大学東京は雑多で人々の出会いを誘発するいかなる場でありうるのか。今日はそうした学問の「出来事性」の肌触りを実感することができた。参加された方々に感謝する次第である。
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[ 2010/06/30 23:18 ] 首都大学東京での活動 | TB(0) | コメント(-)

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