【報告】日本フランス語フランス文学会@早稲田大学(水林章、藤田尚志) 公式HP映画「哲学への権利――国際哲学コレージュの軌跡」

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【報告】日本フランス語フランス文学会@早稲田大学(水林章、藤田尚志)

2010年5月29日、日本フランス語フランス文学会 2010年度春季大会のワークショップ枠で早稲田大学小野記念講堂にて、水林章(上智大学)、藤田尚志(九州産業大学)とともに上映・討論会がおこなわれた。学会参加者に一般観衆が加わり、約150名が参加した。

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(藤田尚志、水林章)

水林章氏はまず、フランスにおける人文学の深刻な危機について現状報告をした。グローバル化にともなう世界の全面的な商品化のなかで、経済と市場の圧倒的な優位が生じ、「消費者」によって「市民」が圧倒されている。「市民」とは公権力から自立しようとする存在であるが、そうした共和主義的市民の原理の衰退は学校教育の衰退と軌を一にしている。

教育の形態としては、教育の無償原理が揺らぎ、高額なビジネス・スクールが人気を博し、高位の学位のために高額な授業料を設定する大学も登場している。教育の内容としては、経済的効率性や有用性が教育を左右し、人文的教養の終焉とさえ呼称しうる事態が生じている。実際、1999年以降の欧州規模の高等教育再編「ボローニャ・プロセス」が、産業界の要請に応じる形で教育の市場化・商品化を押し進めた結果、「思考の拠点を求める教育」は「市場での競争能力の獲得としての教育」に変貌してしまっている。

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水林氏によれば、西欧において人文学が消滅するとは、解放のプロジェクトとしての〈啓蒙〉の消滅を意味する。西欧における批判的理性=〈啓蒙〉とは限界を定める能力であり、「自分はどこにいて、どこに向かい、どこで立ち止まるべきなのか」を見定める力である。こうした事態に対してフランスでは危機意識と抵抗の意志が見られるが、日本では「脱知性化」(1997年の加藤周一の表現)どころではない、知性の根こそぎの抹殺が起こっていないだろうか。人文学の(再)構築を意識したフランス語やフランス文学の教育をいまこそ考えるべきだ、と水林氏は問題提起した。

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藤田尚志氏は、水林氏が共著『思想としての〈共和国〉』で引用したドゥブレの文言「共和制においては、社会は学校に似ていなければならない。その場合の学校の任務はといえば、それは何事も自分の頭で考え判断することのできる市民を養成することにある」を引く。そしてさらに、社会と学校の関係にいかに国家が介入するのかを認識することが重要であるとした。また、大学の現状を踏まえた上で、教育の有用性と無用性、有償と無償をただ対立させるのではなく、条件性と無条件性を新たな関係に置き直し、交渉をおこなうことを自らの戦略として提起した。

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今回は映画『哲学への権利』の初の学会での上映だったが、登壇したお二人の真摯な言葉によって非常に濃密な空間ができた。フランス語教師としての現場の苦悩や葛藤を垣間見せながらも、人文学への信を語ろうとする二人の姿は感動的ですらあった。
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[ 2010/05/29 00:08 ] 上映報告(国内) | TB(0) | コメント(-)

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