公式HP映画「哲学への権利――国際哲学コレージュの軌跡」

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ホーム > アーカイブ - 2011年07月

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【記録作品】シンポジウム「沈黙の喪のなかにいる全国の大学人へ」



シンポジウム「沈黙の喪のなかにいる全国の大学人へ、福島そして東京からのメッセージ」(2011年7月16日、早稲田大学)
発言: 石田葉月(福島大)、島薗進(東京大)、鵜飼哲(一橋大)、岩崎稔(東京外語大)、入江公康(立教大)、白石嘉治(上智大)、西山雄二(首都大学東京)、浜邦彦(早稲田大) 司会:岡山茂(早稲田大) 主催:アレゼール日本
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[ 2011/07/16 01:43 ] 映像作品 | TB(0) | コメント(-)

【報告】馬場智一「レヴィナス『倫理と無限』を読む」

2011年7月13日、首都大学東京にて公開セミナー「レヴィナス『倫理と無限』を読む」が開催された。馬場智一(東京外大)氏に基調講演をしていただき、西山が司会・応答を務めた。今学期、西山の演習では『倫理と無限』を精読しており、その最後を飾るセミナーだった。大震災や原発事故のカタストロフィの最中で「倫理と無限」の主題にとり組むことになり、受講した学生の豊かな発表と議論とともに今期の演習は実に濃密だった。演習講義の最終回であるがゆえに応用的で、一般公開セミナーであるがゆえに入門的――そもそも、「哲学への入門」とは何か――である会にしようと準備した。当日は他大学の学生や一般の方々など45名ほどが詰めかけた(主催:首都大学東京都市教養学部フランス語圏文化論)。

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馬場氏は、レヴィナスの略歴、ハイデガーの概略を説明した後で、両者の存在論の差異を際立たせつつ、レヴィナス哲学の骨子を丁寧に説明した。ハイデガーは現存在(人間)と世界の関係から問い始めるのに対して、レヴィナスは世界のなかに実存者が成立する地平から問う。ハイデガーにとって「不安」とは有限な人間が死(無)へと臨む先駆的決意を抱くときに感じられる情動であるが、レヴィナスにとっては人間がどうしても自分の身体を生きざるをえないという自己脱出の不可能性(無になることがなくつねに何かが〈ある〉)を示す。

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レヴィナスは、他者がその他者性によって訴求することを〈顔〉と名付ける(〈顔〉は強い表現なので、熊野純彦氏が言うように、「けはい」と解釈した方がよいかもしれない)。〈顔〉はその脆弱さでもって「汝殺すなかれ」と根本的な仕方で訴える。ただし、レヴィナス哲学は、「~しなければならない」「~してはならない」という規範倫理学ではない。〈顔〉との対面は、その他者を殺害できる可能性をも示すがゆえに両義的である。「殺すことができる」と思った瞬間にその当人は、逆説的にも、「倫理的な」問いのなかにいるのだ。

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〈顔〉についてはさまざまな議論が展開された。他人の顔を見ながら殺害がおこなわれる事例は数多い。その際に殺害者が見ている「顔」とは何だろうか。〈顔〉との対面が起こらないならば、それは殺人ではなく、たんなる物理的な破壊に等しいのだろう。レヴィナスにとって、植物や動物に対しては〈顔〉の対面がない以上、倫理的な関係はないのだろう。収容所で非人間的なドイツ兵に反応しなかった犬ボビーは唯一例外的だ。また、現われない〈顔〉の対面をいかにして私の内面は把握するのだろうか。逆説的にも、私にとっての秘密を介してしか〈顔〉と関係することはできないのではないか。

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最後に馬場氏は、印象的な仕方で、東日本大震災においてレヴィナスの倫理はどういう意味をもつのかについて語った。
「他者からの呼びかけと言えば、フランス語でappel(呼びかけ)は「電話をかけること」をも意味する。私たちが被災地の親族や友人に電話をかけるのは、自分のなかに他者からの呼びかけをすでに受けとってしまっているから。現地に入って支援活動に従事する者も誰かにこうしろと言われてやっているわけではなく、呼びかけを受けとってしまったがゆえに行動してしまっている。そして、被災地に知人がいなくても、現地にボランティアにいかなくても、遠く離れた地でいかに無関係にみえようとも、日本や世界の各地で多くの人が被災地のことを気にかけている。レヴィナスの倫理は「~すべきである」という規範を前提とはしない。他者からの訴求力に反応するとはどういうことなのか、と倫理を思考する。呼びかけに反応するかしないかという主体的な選択の余地はなく、私たちは呼びかけを受けとってしまっているということ――ここに〈顔〉の呼びかけの最たる重要性がある。」
[ 2011/07/13 16:11 ] 首都大学東京での活動 | TB(0) | コメント(-)

【報告】千葉県立東葛飾高校×柏まちなかカレッジ

2011年7月2日、柏まちなかカレッジの主催で、千葉県立東葛飾高等学校にて、『哲学への権利』の上映・討論会がおこなわれた。柏まちなかカレッジは、学びの場づくりによって、柏市の町と人を活気づけようと2010年に発足した地域密着型の市民活動である。東葛飾高校では大学との連携講座や教師陣による講演をおこなう「東葛リベラルアーツ講座」が実施されており、その一環としての企画でもあった。高校生10数名と一般市民ら約20名が参加した。会場はなんと地学室で、実験器具とともに懐かしい雰囲気での上映となった。

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(大正時代の旧校舎の一部、玄関のポーチ(パルテノン)部分が敷地内に残されている。)

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西山からフランスの大学受験や哲学教育について説明がなされた後、自由討論ではいくつもの問いが元気よく飛び出し、充実した対話となった。「哲学は対話形式でしか学べないのか、それとも、読書による独学でも学ぶことはできるのか?」「受験競争が過熱している日本社会において、高校生が物事を考えるための居場所はあるのか?」「日本人が外国人と対話する秘訣は?」「高校で倫理学を教えているが、授業では楽しく自由討論できるのに、試験問題はどうしても重要事項の穴埋め式となり、そのギャップに悩まされる。」「若手による雑誌『哲楽』を制作しているが、哲学を一般に広めることの功罪を感じている。哲学をセールスしているようで戸惑うことがある。」「哲学を学ぶことは、今を生きることの重要性とどう関係するのか?」

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柏からたくさんの元気をいただき、ありがとうございました。
[ 2011/07/02 00:08 ] 上映報告(国内) | TB(0) | コメント(-)

2011年7月イベント予定

7月2日(土)14.00-17.00
千葉県立東葛飾高校地学室
(千葉県柏市旭町。柏駅から徒歩5分)
http://www.chiba-c.ed.jp/tohkatsu/map.html
参加費:500円(資料代)
主催:葛飾自由大学、柏まちなかカレッジ
http://www.kcollege.org/

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関連イベント(映画上映はありません)
2011年7月13日(水)16:30-18:30
首都大学東京(南大沢)
2号館2階205教室5号館1階142教室
公開セミナー「レヴィナス『倫理と無限』を読む」
基調講演:馬場智一(東京外国語大学非常勤講師) 
司会・応答: 西山雄二(首都大学東京准教授)
参考文献:エマニュエル・レヴィナス『倫理と無限』(ちくま学芸文庫)
主催:首都大学東京都市教養学部フランス語圏文化論
入場無料 事前予約不要

関連イベント(映画上映はありません)
2011年7月16日(土) 13:30~18:00
早稲田大学
早稲田キャンパス8号館B02教室(地下1階)
http://www.waseda.jp/jp/campus/waseda.html
アレゼール日本シンポジウム「沈黙の喪のなかにいる全国の大学人へ、福島そして東京からのメッセージ」
発言: 石田葉月(福島大)、入江公康(立教大)、岩崎稔(東京外語大)、鵜飼哲(一橋大)、島薗進(東京大)、白石嘉治(上智大)、高橋哲哉(東京大)、西山雄二(首都大学東京)、浜邦彦(早稲田大) 司会:岡山茂(早稲田大)
6月初旬、福島大学の教員12名が県知事に宛てて、放射能被曝の現状解明と対策を求める「要望書」を提出した。福島の大気と大地と海がとりかえしのつかない形で汚染されるなか、その事実から目をそむけることなく行動することを彼らは訴えている。「フクシマ」はわれわれにとって対岸の火事ではない。日本の大学人は惨事後の呆然とした沈黙に留まるよりは、「喪」を意識化する作業を通じて、自らの身体と言葉で応答する準備を始めるべきではないだろうか。今回は、福島からの声を聞き、東京からのメッセージを「大学」という場所で共鳴させることで、現在のカタストロフィを思考するための希望の糸口を模索したい。
参加料無料、事前申込不要 主催:アレゼール日本
[ 2011/07/01 20:04 ] 上映スケジュール | TB(0) | コメント(-)

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