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公式HP映画「哲学への権利――国際哲学コレージュの軌跡」

本ブログでの情報はすべて個人HPに移動しました。今後はそちらでの閲覧をお願いします。⇒http://www.comp.tmu.ac.jp/nishiyama/

ホーム > アーカイブ - 2011年03月

フランス滞在(5)―学生の感想

今回のフランス滞在には学生4名が同行して、国際哲学コレージュのセミナーに参加し、フランスの現実に触れた。旅の本質は出会いと経験の強度にあるが、教育の本質も同様である。旅を通じた学びとはいかにして可能だろうか。参加した各人に文章を綴ってもらった。
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[ 2011/03/31 22:18 ] その他 | TB(0) | コメント(-)

フランス滞在(4)―緩やかな時空間において人が集まるということ

「フランスとは大きく異なり、日本には広場がない」――2月に対談した池澤夏樹さんの印象的な言葉だ。フランスではいたるところに広場や教会があり、即席の市場を設けるために歩道は広い。人々が集い、言葉を交わし、日常とは異なる緩やかな時間が流れる空間がある。公共性の充実とは、社会のなかでそうした時空間が残されていることを言うのだろう。

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今回の滞在で印象的だったのは、パリ市役所前の広場で市役所の警備員たちがデモをおこなっている場面だ。改革によって、警備員の待遇(給与減額、有給休暇の日数削減など)が改悪されるという。このことに抗議して、市議会が開催されている時間にデモをしている。デモと言っても、勇ましい戦闘的な雰囲気はない。ただ、警備員が一堂に会して、おしゃべりをしているばかりで、時折「ピー!ピー!ピー!」と仕事道具の笛を鳴らして気勢を上げる。非常に緩やかなデモである。また、警備員がデモをしているあいだ、市役所の警備はなく、警察が代わりに警備にあたっていた点はユーモラスだった。

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(デモは数時間続くのでお腹が減る。労働組合が即席の店を出し、コーヒーやサンドイッチを安価でふるまっていた。)

フランスには日本のような居酒屋はない。気心の知れた仲間と安価で歓談するためにフランス人は誰かの家に集まることが多い。いわゆる、fête(フェット)だ。Fêteには「祝日、パーティー、楽しみ、陽気さ」という意味がある。今回も滞在先のアパートに日本人留学生を招待し、14人ほどでフェットをおこなった。どうでもいい話題から最先端の研究動向まで話は多岐に及ぶ。ただ、こうした緩やかな交流こそが学びの場となり、研究活動の思わぬ糧になるのだ。

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(アパートでのフェット)
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(日本人・韓国人留学生の懇親会)

社会の緩やかな空間で人が集まって、穏やかな時間を過ごすこと――「フランスとは大きく異なり、日本には広場がない」という言葉の重さを再確認した。
[ 2011/03/29 21:21 ] 報告・取材記 | TB(0) | コメント(-)

フランス滞在(3)-国際哲学コレージュ・セミナー

2011年3月24日および28日、パリ批評研究センターにて、国際哲学コレージュのセミナー「哲学の(非)理性的建築としての大学」が開催された。昨年、ディレクターに選出されてから初のセミナーで、初回は40名ほど、2回目は15名ほどの聴衆が集まった。

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冒頭で、国際哲学コレージュと日本の関わりに言及した。1983年10月にコレージュが創設された直後に、デリダは日本を訪問した。彼は中村雄二郎氏に依頼し、翌11月に彼の講演「『場所の論理』と共通感覚」が実現した。初の海外研究者の催事にもかかわらず、会場にコレージュ関係者はほとんどおらず、デリダはとても失望したという。今期のディレクター構成は外国人13人中、アジア人は私一人だけで、西欧のディレクターばかりだ。私としては、東アジアへとコレージュの活動を展開させたいと考えている。

初回のセミナーでは、90年代以降の日本の大学の現状を説明した上で、近年の自分の活動を紹介し、最後に今後の研究計画の展望を概観した。

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これまで30分程度のフランス語の発表は何度も経験してきたが、今回、フランス語で二時間のセミナーを担当するのは初めて。日本の大学では90分なのに、不自由なフランス語で二時間も話し続けることなどできるのだろうか、と思っていた。幸い二時間話し続けることはできたが、その内実は決して満足できるものではない。時間が経つにつれて、精神的・体力的に余裕がなくなり、勢いが衰えていった。来年度のセミナーに向けて大いに改善するべき課題である。

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28日は藤田尚志(九州産業大学)氏を招いて、発表「条件付きの大学」をしてもらった。藤田氏は巧みなフランス語でフランスの大学についての制度的考察をおこない、デリダ『条件なき大学』への批判的コメントを寄せた。藤田氏の余裕のある話し方とその充実した議論からは大いに学ぶことがあった。あらためて感謝申し上げる次第である。

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初回には日本人・韓国人の留学生が多数詰めかけた。アジア系の研究者がフランスの公的研究機関でポストを得て、セミナーを開催しているのはとても稀な事例で、ひとつのロールモデルとして何かを感じてもらえればと思っている。また、同じ日本人研究者がどの程度のフランス語で、どの程度の議論ができるのかを観察することは、留学生にとって参考になる機会ではないかと思う。しかし、2回目のゼミでは日本人・韓国人の留学生はほとんどいなかった。初回の方は、両者の懇親会も開催されたため、なかば動員された形で参加者が多かっただけなのだろう。そう勘ぐりたくなるほど、参加者数の落差は圧倒的だった。日本人・韓国人の若手研究者は国際的な舞台でどのように活躍するべきか。敢えて言うと、2回目のゼミでの彼らの不参加状況を見て、彼らの研究活動の国際的な意識の低さを目の当たりにした気がして、いささか落胆した夜だった。
[ 2011/03/28 21:20 ] 報告・取材記 | TB(0) | コメント(-)

フランス滞在(2)―「美しき街」にて

「ベルヴィルBelleville(美しき街)」というフランス語の響きと意味とは少し異なり、この地区は移民が大半を占める騒々しい庶民的な区域だ。パリ20区の北東、メニルモンタンの丘のふもとにあるこの街にアパートを借りて滞在している。

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(地下鉄駅前の中華料理屋。中国語では「美麗都」。)

20世紀初頭からベルヴィルは難を逃れた移民がやってくるアジール空間である。虐殺を逃れたロシアおよびポーランド系ユダヤ人、アルメニア人、トルコの支配から逃れたギリシア人、ナチスの迫害を逃れたドイツ系ユダヤ人、フランコ独裁政権から逃れたスペイン人……中国・ヴェトナム系の移民も含めて、ベルヴィルは雑多な雰囲気が漂う街区だ。

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(フランスではローラー・スケートは一般的。ローラー・スケート愛好協会が企画する、集団街頭走行が度々実施される。警察官もスケート靴を履いて併走し、数百人が車道を走り抜けていった。)

パリではいつも魅力的な展示がいくつもおこなわれている。3月末現在で興味深いのは、まず、パリ市役所で開催されている「パリコミューン」展(5月28日まで)。1871年に民衆が蜂起して革命政府が誕生してから140年。200以上の版画、写真、ビラが展示され、革命政府の樹立から崩壊までが紹介されている。頓挫した革命を公的な施設で記念して展示するのは興味深い。

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フランス国立図書館(ベルシー)では、「ガリマール、1911-2011年――出版社の一世紀」が展示されている(7月3日まで)。ガリマール出版社はフランスを代表する世界的な出版社で、20世紀の出版史の核をなすだろう。ジッド、プルースト、アラゴン、ブルトン、マルロー、ジョイス、フォークナー、サン=テグジュペリ、サルトル、カミュ、デュラス、三島、ル・クレジオ、クンデラ……ガリマール出版社の出版カタログはそのまま20世紀文学史と言えるほど。

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(査読委員会による評価資料〔右〕。ジャン・ポーランがブランショ『謎の男トマ』を査読した結果報告。「サルトルの『嘔吐』を想起させる。それほど多くの読者は望めないだろうが、出版するべき」)

そもそも『新フランス評論(NRF)』誌の刊行から始まり、雑誌出版からガリマール出版が生まれ、20年代にフランスの主要な出版社となる。戦争期には文化占領の一環としてナチスに主導権を握られもした。戦後は、プレイヤード叢書、フォリオ文庫、子供向け書籍、人文科学叢書など画期的なシリーズを刊行し続けてきた。今回の展示では、ガリマールお馴染みの装丁の朱色の壁が設えられ、著名な作者の草稿やガリマール社宛の書簡が並び、ヴィデオ映像が投射されている。

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(カルチエラタンを歩いていると道路が封鎖されて、延焼したバスの周りに消防車と警察が多数。「もしかして、テロ?」と咥え煙草の青年に聞く。「まさか! たまたまタイヤから出火したらしいよ。」)

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フランスでは、古くからある教会でコンサートが頻繁に開催される。主にクラッシックが演じられ、厳粛な空間に音が響き渡る様子は圧倒的だ。「パリの宝石」とも呼称される壮美なステンドグラスに囲まれたサント=シャペル教会で、ヴィヴァルディの「四季」を聴いた。弦楽団によるかなり自由な解釈の演奏で、ロックのライブをも思わせる激しいパフォーマンスは刺激的だった。明日、三月の最終日曜日にフランスはサマータイムに移行し、日没が劇的に遅くなる。

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[ 2011/03/27 21:19 ] 報告・取材記 | TB(0) | コメント(-)

フランス滞在(1) ― ボルドー第3大学視察

東北大震災の後、福島原発の事故が心配されるなか、悩んだ挙句、3月19日深夜、予定通りフランス出張に旅立った。今回の目的は、パリ・国際哲学コレージュでの二回のセミナー開催、ボルドー第三大学の視察、研究者との研究交流などである。国際ゼミ合宿の名目で、希望する学生4名が同行し、セミナーに参加することになっている。

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パリのモンパルナス駅から南に下り、ボルドーまではTGVで3時間ほど。ガロンヌ河が流れ、大西洋にも近いボルドーはローマ時代から中継貿易都市として栄えてきた。温暖な気候と湿気を含んだ土壌はワイン栽培に最適で、ボルドー・ワインの優美な味は世界中を魅了し続けている。ガロンヌ河が三日月状の形をしているため、ボルドー市は「月の都」と呼称される。

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ローマ時代の名残を残す石畳の道は現在、目貫通りになっていて、主要なブッティクやレストラン、カフェが並ぶ。中心市街地は適度な大きさで、1時間あれば無理なく散策できるほど。路面電車がのんびりと街中を駆け抜けるが、そのゆったりした姿もまたボルドー市の景観の一部だ。パリと比べてフランスの地方は物価が安く、実に美味しい食事を楽しむことができる。

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(定番料理「鴨のコンフィConfit de canard」。塩漬けにした鴨肉をたっぷりの油で時間をかけてじっくりと低温で揚げ、最後に強火で皮をパリッと焼いた料理。)

友人のエディー・デュフモン准教授の案内でボルドー第三大学を視察し、図書館、食堂、日本語学科事務室、付属語学学校などを見学した。郊外にあるキャンパスは路面電車の5-6駅に及ぶ広大さで、パリの大学とは異なり、緑の多いゆったりとした敷地が特徴的だった。

日本語学科の浅利誠先生、地崇明先生とアルゼンチン・レストランで夕食をとり、ボルドー第三大学の実情やフランスの大学制度について話をうかがった。日本語学科は英語、スペイン語に次いで人気があり、新入生が220名ほど登録するという。漫画やゲームなど、若者のオタク文化の影響だ。ただ、フランスの大学は評価が厳しいので、一年次を終了できるのは4割ほどで、卒業できるのは40名ほどだけだ。

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ボルドーで身体一杯に浴びた心地よい太陽の光を後にして、TGVに乗って再びパリへ。車中で翌日の発表資料の準備。国際哲学コレージュでの初のセミナー開催へ。
[ 2011/03/22 21:18 ] 報告・取材記 | TB(0) | コメント(-)

『哲学への権利』書評など

東京新聞 2011年2月27日 佐々木敦氏が紹介
「「哲学に何ができるか?」この問いは永遠の問いであり、なおかつすこぶるアクチャルな問いでもある。映画の補足的な解説として付された文章からも、この厳しい問いに毅然として対峙する著者の姿勢が伝わってくる。」

日本経済新聞 2011年3月6日 書評掲載
「危機に瀕する人文学の苦悩と希望が詰まった一冊」

紀伊國屋書店 書評空間 2011年3月7日
http://booklog.kinokuniya.co.jp/staff/archives/2011/03/post_15.html
「大学での研究・教育活動を支援する職業に就く者として、大いに啓発された。デリダの思想の詳細や、その他むずかしいことは私には全く分からないが、そんな私にとっても、本書は、閉塞感漂う今の社会で、希望を捨てずに頑張る力を与えてくれるものであった。本書の読者は、その職業や興味の分野に関わらず、それぞれの思考を啓発され、何かを見出し実現するポジティブなパワーを得ることが出来るはずである。」

週刊金曜日 第843号 2011年4/15日号
「きんようぶんか[本]」欄での編集部・片岡伸行氏による紹介
「私たちはこの本とともに旅に出る。「問いの旅」とも言える。」

読売新聞朝刊 2011年5月15日 横山広美氏による書評
「哲学の専門家である著者が誰もが見ることができる映像で作品を作ったことは興味深い。思索の旅は続いている。」
[ 2011/03/10 20:04 ] 公刊物 | TB(0) | コメント(-)

【報告】琉球大学(持木良太、佐喜真彩、金城國夫)

2011年3月4日、琉球大学にて、持木良太さんをはじめとする学生らの主催で上映・討論会「空(そら)の大学」がおこなわれた。春休みの閑散としたキャンパスだったが、学内外から35名ほどが集まった。

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(前日、古くからある栄町商店街で教員・学生とさっそく懇親会。閉店後、各商店のカウンターがテーブルとなり、即席の開放的な飲み屋に変わる。)

持木さんによる討論会の魅力的な告知文は以下の通り。
「一方、新自由主義経済の中で大学は企業や社会の圧力に押しやられて本来の大学としての機能を失いつつある。例えば、「シュウカツしなくちゃ!」と躍起になる学生にとって、大学は「高校」と「実社会」の間の単なる「つなぎ目」としてしか機能していない。だがそういう「廃墟」の大学にもまだ大学生が回収できる知は転がっている。それは学生が何かを持ち込める「空(から)の大学」であり、同時に重力に抗する可能性を秘めた「空(そら)の大学」かもしれない。」

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(佐喜真彩、金城國夫、西山雄二、持木良太)

佐喜間彩さん(法文学部4年生)は、ジャック・デリダ『条件なき大学』の拙訳を読み、「あらゆる我有化の権力への抵抗」「条件なき大学は当の無条件性を告知するいたるところに生起する」という引用から自分なりの大学観を語った。合理的な社会をつくるために、権力による監視が幅を利かせることがある。こうした事態を改変するために、やはり合理的な手法に訴えるだけでは効果は十分とは言えないだろう。さまざまな社会的制約の箍を外すために、大学はどこか「空(から)」であった方がよい。ただ、無批判に学生が大学のカリキュラムをこなし、制度に安住するだけでは、大学は空っぽで空虚なものに映る。「空の大学」はこうした虚無主義と隣り合わせだ。

持木良太さん(法文学部4年生)は、大学のモラトリアム的な雰囲気が決定的に失われていることから口火を切る。大学は学生が就職の目的意識をもつことを強く要求するが、大学での教育はキャリア・アップに直接結びつくわけではない。持木さんは、白石嘉治とビル・レディングズを参照しつつ、中世の大学と近代の大学を歴史的に比較。前者は教師と学生の組合的運動体であり、後者は国民文化を洗練させる制度であった。中世の大学の原像へと回帰する郷愁だけでは不十分だろうし、とはいえ、近代の大学の理念もまた失われている。だが、大学がそんな「空」であるからこそ、みんなが何かをもち込める場所であった方がよい。「大学とは何か?」「大学とは~である」という積極的な規定で、性急にこの「空」を埋めて、大学の可能性を制限しないようにしよう。むしろ「大学とは~ではない」という否定形で大学を問い続けたい、とした。

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金城國夫さん(教育学部4年生)は、映画の印象的なセリフ、「国際哲学コレージュは哲学が特権的な立場であることをまっさきに放棄した」を引用。大学もあらゆる特権に対して疑問を呈することができる場であってほしい。いまの社会では「大学に行かない、大学をやめることができない」という選択をすることは難しい。そうした大学の権威には居心地の悪さを感じる。

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準備運営に参加した大学生のみなさんは何度か勉強会を重ね、等身大の疑問を誠実に語ってくれた。学生が大学制度についてこれほど自覚的に考えざるを得ない状況は果たして幸福なことだろうか、との問いも頭をよぎった。ただ、日本の新卒大学生の就職率が60%で騒がれているが、沖縄県は30%程度。大学は就活のために役立たないという現状認識は切実なものがあった。学生による主催上映ということもあり、これまでの(本土の)大学での上映とはまったく異なる雰囲気が会場で感じられた。

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郊外にある琉球大学は広大な敷地を有し、キャンパスの中央には野鳥が生息する大きな池もある。ガジュマルの樹木が並ぶキャンパスでは、いたるところに緑が生い茂る。高台に位置するため、住宅地を見下ろす光景が開け、視界に入る空は広い。「空の大学」という魅力的なイメージが、このキャンパスの景色とともに着想されたことに納得した。

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(ある学生が「フランス人ジャーナリストの通訳がけっこう大変で…」とつぶやいたのを聞いて思わず、返答した。「エミリー・ギヨネさんでは?」「え、そうです…どうして?」ギヨネさんはル・モンド紙などに沖縄関係の記事を掲載しているフリーの記者で、以前大学問題の取材で知り合いになった。さっそく連絡をとり、翌日、一緒に辺野古海岸を訪れて、基地建設反対のテントで関係者に取材した。)
[ 2011/03/04 19:32 ] 上映報告(国内) | TB(0) | コメント(-)

2011年3月イベント予定

『哲学への権利』刊行記念フェア「哲学の場を守り、思考と抵抗の力を手放さないために」
監督・西山雄二と、これまでの討論者・池澤夏樹、樫村愛子、萱野稔人、熊野純彦、合田正人、小林康夫、白石嘉治、管啓次郎、福間健二、本間直樹、松葉祥一、本橋哲也、森田伸子による全120冊のコメント付展示。コメント集のリーフレットを無料配布。店頭にて関連映像(12分)を放映予定。
・三省堂書店 神保町本店 4階エスカレーター傍 2月14日~
・ブックファースト 新宿店 2月14日~3月10日
・ジュンク堂書店 西宮店 2月17日~3月15日
・ジュンク堂書店 新宿店 2月19日~3月31日
・八重洲ブックセンター本店4階 2月17日~3月16日
・ACADEMIA港北店 2月14日~3月9日
・ジュンク堂書店 京都BAL店 2月下旬~
・ジュンク堂書店 池袋店 3月上旬~3月25日
・ジュンク堂書店 大阪本店 3月上旬~3月下旬
・東京大学生協駒場書籍部 3月7日~4月末
・ジュンク堂書店 難波店 3月上旬~4月末
・ジュンク堂書店 福岡店 3月8日~4月末
・ブックファースト渋谷文化村通り店 3月上旬~4月中旬
・名古屋大学生協南部書籍 3月中旬~4月中旬
・リブロ池袋本店 3月中旬~
→その他、東京都内、大阪、京都、九州などの書店にてブックフェアを開催予定です。

空の大学印刷用

3月4日(金)17:00-20:00
琉球大学
法文学部新棟114
「国際哲学コレージュ」は、哲学者ジャック・デリダが組織した知の探求の場である。半公半民のこの学校では、給与や授業料は存在せず、人びとは無償という形でただ考えることのみを許されている。西山雄二氏は映画『哲学への権利』にその様子を収め、世界中で上映会を行っている。西山氏は現在フランス文学を首都大学東京で教えており、彼の編著『哲学と大学』は、大学に身を置きながら、大学について批判的に思考することを実践する本である。
 一方、新自由主義経済の中で大学は企業や社会の圧力に押しやられて本来の大学としての機能を失いつつある。例えば、「シュウカツしなくちゃ!」と躍起になる学生にとって、大学は「高校」と「実社会」の間の単なる「つなぎ目」としてしか機能していない。だがそういう「廃墟」の大学にもまだ大学生が回収できる知は転がっている。それは学生が何かを持ち込める「空(から)の大学」であり、同時に重力に抗する可能性を秘めた「空(そら)の大学」かもしれない。わたしたちは『哲学への権利』を鑑賞し、大学について考えてみたいと思う。今回、西山雄二氏を迎えて、大学とは何かという問いと、大学という場が秘める可能性を巡って、「空(そら)の大学」と題した上映会・シンポジウムを開催します。
主催:「空(そら)の大学」実行委員会(代表=井上間従文、持木良太)

関連イベント(映画上映はありません)
3月12日(土)13:30-17:00
青山学院大学
渋谷キャンパス 総合研究所 11F19号室 →東北地方地震のため延期
http://www.ri.aoyama.ac.jp/
公開シンポジウム「フンボルト理念の終焉?――現代日本の大学教員の課題」
13:30-15:00 主題講演:潮木守一(元・桜美林大学教授)
15:15- 主題講演に対する応答
リスポンデント:西山雄二(首都大学東京)、今井重孝(青山学院大学)、深井智朗(聖学院大学)
15:45- 討議および質疑応答
主催:青山学院大学総合研究所 研究プロジェクト「キリスト教大学における学問体系論」
在日ドイツ大使館「日独交流150周年2010/2011」認定事業

関連イベント(映画上映はありません)
3月24日(木)、28日(月)18:30-20:30
場所:Centre Parisien d'Études Critiques, 37 bis rue du Sentier, 75002 Paris
国際哲学コレージュ・セミナー
“L'Université comme architecture (ir)rationelle de la philosophie”
28日はゲスト・藤田尚志(九州産業大学)による発表“Université conditionnée”
[ 2011/03/01 23:23 ] 上映スケジュール | TB(0) | コメント(-)