公式HP映画「哲学への権利――国際哲学コレージュの軌跡」

本ブログでの情報はすべて個人HPに移動しました。今後はそちらでの閲覧をお願いします。⇒http://www.comp.tmu.ac.jp/nishiyama/

ホーム > アーカイブ - 2010年07月

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【報告】朝CAMP「アリストテレスの友愛論」

2010年7月30日、朝7:30-9:00の時間で、新宿駅前のカフェにて、朝CAMP「アリストテレス『ニコマコス倫理学』(第8-9巻「友愛」)を読む」が開催された。朝CAMPは、出勤・通学前の朝のひとときに古典テクストを数名で読むという連続企画で、実際に出勤前の会社員を含めて15名ほどが集まった。CAMP→ http://ca-mp.blogspot.com/

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前半はゲストである私が自分の関心に沿って発表し、後半は全員での議論となった。今回はアリストテレスの友愛論。友の条件、友の種類、友の数、友と共生と別離、友愛の能動と受動など、さまざまな論点が列挙された。

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[ 2010/07/30 14:10 ] 報告・取材記 | TB(0) | コメント(-)

【報告】2010年度前期デリダ・ゼミ(@首都大学東京)終了

首都大学東京にて開催されている2010年度前期水曜5限の演習「フランス語圏文化論――ジャック・デリダ入門」が終了した。首都大に赴任して最初の演習だったが、参加者の方々の熱意と努力によって大変満足のいく成果を得ることができた。

冒頭で入門的講義を数回おこなった後、『たった一つの、私のものではない言葉』、『歓待について』、『声と現象』、『留まれ、アテネ』、『アポリア』、『条件なき大学』、『友愛のポリティックス』、『他の岬』と学生発表をもうけた。各著作をすべて通読するのは大変だろうから、重要個所30-40頁程度を毎週指定し、参加者にさほど負担をかけないようにした。一冊の著作をじっくり精読する醍醐味は失われたかもしれないが、しかし、毎週異なるテクストをテンポ良く読んでいくスリリングさを味わうことができた。

学部生相手にデリダの演習など成立するのだろうか。デリダのテクストには独特の難しさがある。デリダは基本的に誰かの思想やテクストに即して脱構築を実践するため(寄生虫的身振り)、彼自身の哲学体系を抽出することは難しい(デリダ哲学の現前不可能性)。それゆえ、演習でもデリダが扱っているテクストや哲学史などに遡って理解を深めておく必要が生じる。哲学の歴史的背景も同時に理解しておかなければならず、学部生には骨の折れる演習だったことだろう。

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参加者は学内生と学外参加者が半々で、つねに計12名ほどだった。学外から学生や社会人が(わざわざ南大沢まで)足を運んでくれるのは大変嬉しいことだが、学内生とのバランスが当初から気がかりだった。意識の高い学外参加者によって演習の水準が極端に引き上げられないかどうか。学外者は休まずに定期的に参加してくれるかどうか。結果的に、双方のバランスは上手くいき、演習全体に活気が出た。とりわけ、公開イベント「『条件なき大学』を読む」の際にはさらにいろいろな学外参加者が集い、刺激的な会となった。

授業の最後にアンケート・シートを書いてもらい、感想を徴集することがある。しかし、個人的にこのやり方には不満だ。学生のさまざまな感想はきわめて興味深く、内容豊かであるのに、回収した感想が学生には還元されないからである。また、理解したばかりの内容に対して授業の最後の数分で感想を求めることには少し無理がある。そこで演習では感想を後日ツイッターで数回つぶやくか、メールで送ってもらうことにした。すべての感想は集約して、次週印刷して参加者に配布したが、こうした意見の循環はとても重要である。
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就任してまだ4カ月だが、大変充実した演習を実施することができた。参加された方には感謝と敬意を表したい。今後もこのデリダ・ゼミは継続していきたいと考えている。後期は、『エクリチュールと差異』に収録されたジョルジュ・バタイユ論「限定的エコノミーから一般的エコノミーへ 留保なきヘーゲル主義」を通読することで、デリダ―バタイユ―ヘーゲルの関係をめぐって議論する。
[ 2010/07/22 00:39 ] 首都大学東京での活動 | TB(0) | コメント(-)

【報告】東京国際ブックフェア――DVD付書籍『哲学への権利』(勁草書房)の告知

国内外で巡回上映中の映画「哲学への権利」だが、大変ありがたいことに、勁草書房さんからDVD付書籍として刊行される運びとなった(2010年12月刊行予定、予価3,000円)。DVD映像とシナリオ、監督エッセイが収録された完全保存版である。

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東京国際ブックフェアが東京ビックサイトで開催されているが、書籍『哲学への権利』は勁草書房のブースにて告知展示されている。iPadやKindleなどのデジタル端末の発売で電子出版元年と呼称される本年は、電子ブックに関するブース展示が活況を呈していた。本日7月9日は「書物復権8社の会・新企画説明会」 が開催された。岩波書店、紀伊國屋書店出版部、勁草書房、東京大学出版会、白水社、法政大学出版局、みすず書房、未來社からなる説明会で、出版社や書店関係者、マスコミなど60名ほどを前にした会である。今後刊行される注目書籍を八社が宣伝する会で、勁草書房では『哲学への権利』が紹介された。

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担当編集者の関戸詳子さんは、たんに書籍の内容を説明する(売り込む)だけでなく、なぜ彼女がこの企画を立てたのか、学術出版編集者という彼女自身の立場と深く関係づけながら語った。関戸さんは、「複数の答え、矛盾の間で悩み、そこでは何が問題になっているのか、ほかの角度から問うべきことはないか」と問い、考えることが哲学であり、「こうした問いや思考と、言葉によって格闘した人たちの痕跡が本である」とし、自身の等身大の気持ちを表現した。

会場では、書籍刊行告知のパンフが配布されたが、これは本映画のキーワードや論点が的確に盛り込まれ、ブックガイドも付いている優れた内容とレイアウトである。今後、上映会場で配布していくつもりである。今回の説明会を準備してくださった、勁草書房の関戸詳子さん、鈴木クニエさん、西野浩文さんには感謝の念を表したい。あとは書籍化に向けて、私は独りで文章を模索することにします。
[ 2010/07/09 23:49 ] 映画の概要・内容 | TB(0) | コメント(-)

人文学の旅

旅に次ぐ旅――この3週間、香港、北陸、神戸と週末毎の上映ツアーを実施した。首都大に就任する前に組まれた日程だったのでやってみると意外に大変だったが、平日は休まずに首都大の教壇に立った。まず第一に、当然ながら、こうした課外活動を言い訳にして大学での教育をおろそかにしてはいないか、と自分に問う。なるべく休講にしないことはもちろんだ(香港出張の際は大学から香港に飛び、深夜便で帰路について羽田空港から月曜早朝に出勤した)。さらに、高額の授業料を支払い税金で運営されている大学である以上、講義やゼミに誠実に取り組んでいるか、と自己点検をする。そのような旅の合間の6月30日、着任したばかりの首都大学東京でゼミ拡大版として大学論イベントを実施し、とても充実した会となったことは大変な喜びとなった。

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(香港中文大学にて)

香港の国際会議で本橋哲也氏は、エドワード・サイードの「旅する理論(Traveling Theory)」(『世界・テキスト・批評家』所収)を参照しつつ、カルチュラル・スタディーズと日本の場所性について歴史的・政治的・学問論的な分析をした。その発表原稿から引用させて頂くと、「サイードによれば、思考や理論の循環は「人から人へ、状況から状況へ、ある時代から他の時代への旅」として捉えることができる。サイードはその旅を「原点」、「他の時期と場所への通過」、「理論や思想を迎える際の受容や抵抗の条件」、「新たな使用による変革」という四つの局面に区分する」。

サイードならではの的確な分析だが、言葉を付け加えると、理論が旅するためには既存の「制度」もまた旅の途上にあらねばならない。大学という制度もまたそのオルタナティブな余白の場との相互関係において活性化され、数々の出来事(イベント)と出会いを誘発しなければならないだろう。私が映画上映を続けるのは、見知らぬ力を人々を巻き込みながら、制度が旅に出ることを期待してのことである。

とりわけ人文学に必要なのは、こうしたさまざまな場での活動と国内・国際的なネットワーク形成だ。私はこのことを東京大学グローバルCOE「共生のための国際哲学教育研究センター(UTCP)」での仕事を通じて学んだ。既存の学部学科の制度を超えて、国内外の人々が力動的に交流するにはどうしたらよいのか――その活動性に人文学の未来像が賭けられており、そしてそもそも、そうした動的な知のあり方が大学の原像であったはずだ。

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(石川県西田幾多郎記念哲学館にて)

大学の人文学研究者がタコツボ的な態度で孤立した研究教育を続けている限り、「人文学なんて結局、趣味的な探求では?」「図書館とネットがあれば、在野で十分で、大学の人文学なんて必要ないのでは?」といった問いに対する的確な回答はない。人文学こそが制度内に安住することなく、その固有の制度を旅の経験にさらさなければならないだろう。さまざまな活動の場を柔軟な仕方で探し求め、国内外の人的ネットワークを展開させる限りにおいて、人文学は個人的な趣味などではなく、そして、その動的な最大拠点として大学は必要である。「条件なき大学は、当の無条件性が告げられうるいたるところで生じ=場をもち、自らの場を求めるのです。この無条件性が、おそらく、(自らの)思考をうながすところならどこにでも。ときには、おそらく、「条件」という論理や語彙を超えたところにさえ。」(ジャック・デリダ『条件なき大学』)

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(神戸市外国語大学での討論会)

今後も映画上映などの課外活動は継続されていく。無理な日程は避けたいところだが、仕事の依頼があれば応答せざるをえないし、そもそも、応答したいと思う。それぞれの現場で、さまざまな人の苦悩や葛藤の息遣いが感じられる距離感で、人文学の現状と展望をめぐって誰かと共に思考し続けたい。
[ 2010/07/04 22:54 ] その他 | TB(0) | コメント(-)

【アンケート】神戸市外国語大学

出身校での上映・討論会のため、どことなく距離感の近い感想が多く見受けられた。神戸市外大には哲学科やフランス文学科はなく、デリダのことを知らない門外漢の学生も参加されたようだが、分からないなりに素直な感想を寄せてくれたことはこちらとしては大きな喜びだった。

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「非常に面白く拝見するとともに、映画を観ながら、私も思考の実験に誘われていました。大学の官僚制化と大衆化が当たり前になり、効率性・実効性重視の風が吹き荒れるいま、実にタイムリーな問題提起の作品でした。これから大学に入ろうとする高校生、大学で学んでいる大学生、大学教員のすべてが向き合うべき根源的な問いが発せられていました。」

「なぜ映像でなければならなかったのか疑問でした。言葉を聞かせようとするなら、別のやり方があったのではと思います。」

「高校教師を目指す私が生徒から引き出したいものは『哲学』です。そう公言すると、ぎょっとされたり、語弊を招いたりしますが、そうした反応は正直残念です。公衆に『哲学』を空気のように感じてもらいたい。哲学カフェであれば、コーヒーの一杯のように。」

「正直あまりよく理解できなかった部分が多い。だが、『哲学のような根源的な問いを大学卒業後にどうして考えてはいけないのだろう』という私の考えは間違っていないのかなと思えて嬉しかった。」

「最近、『考えること』について思い直したことがあります。文武両立を大学でどのようにすればよいか悩んでいました。部長に就いてから、実社会では無意味のように感じられる哲学を考える時間が割かれることに、とても苦しんでいました。哲学よりも部活のことを考えるべきではと悩んでいましたが、今回、見つめ直す時間をとるべきだと思い知らされました。」

「コレージュのような機関があれば大学は必要ないのか?など、答えは見つかりませんが、多くの問いを得た映画でした。問い続けることが哲学、学問なのだとすれば、やっと私は学問を始めたことになるのでしょう。貴重な機会をありがとうございました。」

「雑多なレベルの人々を一同に集めて講座を開いて云々というのは、市民講座の域をあまり出ないのではと思った。」

「光の捉え方の粗雑さ、無駄なカットの挿入という点で映画作品として観られない。あらかじめ予想できる路線に沿って、コレージュにとって肯定的な意見ばかりが語られる点で、ドキュメンタリーとしての誠実さを欠いている。コレージュの広報映画以外の何ものでもなく、だとすればもっと短い方が優秀だ。はじめから書籍の形で十分だ。音楽の使い方にセンスがまったくない。コレージュの教官が無報酬であることを誇りにしているならば、それを賛美する上映会も当然ながら無報酬でおこなわれるべきだろう。」

「効率を求め、競争社会になり、ネットなどの新たな通信手段が普及するにつれて、人間同士の関係は疎遠になる。私も含め、社会全体が汗臭い対話を求めているのでは。哲学がある種の答えを出してくれるのではないですか。」

「『国際哲学コレージュが存在することだけで意義がある』という言葉が胸に残りました。〔…〕趣旨とそれるのでしょうが、一点だけ、ギリシア文明の見直しにも少し触れてあればと思ってしまいました。母校でこのような上映をしてくださり、一後輩としてとても嬉しく希望が湧いてきました。」
[ 2010/07/04 16:12 ] 参加者のアンケート | TB(0) | コメント(-)

【報告】神戸市外国語大学(丹生谷貴志、村田邦夫、村上信一郎)

2010年7月2日、神戸市外国語大学にて、同大学の丹生谷貴志、村田邦夫、村上信一郎とともに上映・討論会がおこなわれた(主催=映画『哲学への権利』神戸外大上映会実行委員会〔代表=辻龍太郎〕、後援=神戸市外国語大学)。出身校での映画上映と討論会であり、10年ぶりに同校を来訪した。関西圏の学生らを含めた学部1年生から院生まで、教員と事務員、図書館員など幅広い層の人々が100名ほどが参加した。

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司会の村上信一郎氏は、まず一言感想を述べて、本作を観て1960年代末期の学生のラディカリズムのことを強く思い出し、当時の学生が大学に求めていたものを感じたと述べた。また、デリダは国際哲学コレージュを遺産として残した点で、浅薄で凡庸なポストモダン思想家ではないことがよくわかったとした。

村田邦夫氏は、「まだ終わらないのか、何だこのしつこさは」という気持ちで本作を鑑賞したが、それこそが「これでもか」という西山の力強さそのものだったと述べた。映画の内容を十分に分かったとは言えないが、しかし、〔学部時代から現在までずっと〕西山が闘い続けている姿はよく分かったと彼なりの言葉を加えた。

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(村田邦夫、丹生谷貴志、村上信一郎)

丹生谷貴志氏はあくまでも個人的な感想を物書きの立場から述べると断った上で、彼なりの仕方で作品批評をおこなった。プロモーション・ヴィデオ的な作風は退屈で、内容もデリダの仕事のごく簡単な紹介にすぎない。デリダのことは20世紀最大の思想家として尊敬してはいるが、ただ、この西山の感傷旅行映画からは何も学んだ気はしないと述べた。また、映画である以上、アクションが不可欠で、例えば、ドゥギーと他のインタヴューィーとの討論が挿入されるべきだったのではないかと指摘した。

丹生谷氏はフランスの高等教育制度の特質にも触れ、中央集権的な傾向のために、フランスでは中心と外部、反動と抵抗といった明示的な構図がある。これに対して、州立・私立大学からなるアメリカの大学制度は中心が不在の、いわば脱構築的な構造をなしているのではないか。マラブーが証言するアメリカでの戸惑いは、中心に対する対抗原則が作動しないことから生じるものではないか。

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アルチュセールは晩年に「世界に真理への権利が語られる場所はあるか?」と問い、「バチカンとモスクワ」と答えたことがある。それは、真理への権利や態度を要求する学問や生き方が保証されるために、絶対を擁する場所であるだろう。デリダはそうした真理の場所性のことを踏まえて、コレージュを脱構築された絶対として、「真理が真理である」に抹消記号が付された場として構想したのではないか。それはいわば大学の分身であり、デリダはコレージュにおいて真理の分身がもたらされることを夢見たのだろう。その失敗をも見越した作品としてコレージュは独特な機関である。とはいえ、実際のコレージュは「哲学研究者」の集団にすぎないのではないか。哲学研究者のキャリア養成のためには制度はたしかに必要ではあるが、キャリアの安心に全面的な救いを求めるならば哲学は滅びるべきだろう。本来的には「哲学者」に制度は必要ないと丹生谷氏は最後に明言した。

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質疑応答では、「ネット上で無料公開した方がよい」との質問から始まって、教職志望の学生が「子供たちにも哲学的なことを具体的に教える機会をつくるには?」と等身大で問うた。また、吉森義紀氏は、「インタヴューィーの応答よりも西山の質問の方が気に入っていて、ドキドキして聞いていた」「神戸市外国語大学から西山のような人材が出ることは驚き」と個人的な感想を述べた。鈴木創士氏は、「領域横断性について言うと、デリダは『ひとつ以上の言語』を語ることができた。それはフランス語とドイツ語…という意味ではなく、ひとつの言語の複数性のことだ。コレージュは、いや、そもそも制度はひとつ以上の言語で語ることができるのか」と鋭い指摘をした。

今回の上映会の話は、後輩の辻龍太郎氏からの昨年の電話から始まった。「出身校で上映しないのはおかしい」という彼の熱のこもった言葉が発端である。図書館――大学院進学時に浪人した時に一年間アルバイトをしたことがある――の方も、館内で著作紹介のコーナーを設けてくれていた。入念な準備をしていただいた辻さんと支援スタッフの方々には心からの感謝の気持ちを表したい。

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[ 2010/07/02 03:00 ] 上映報告(国内) | TB(0) | コメント(-)

国際哲学コレージュ、新規のプログラム・ディレクター一覧

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国際哲学コレージュの2009年度のプログラムが終了し、夏季休暇に入った。HPには、2010年10月からの新規のプログラム・ディレクター一覧が公開された。http://www.ciph.org/college.php?rub=actualite

フランスのディレクターは、Salim Abdelmadjid, Hicham-Stéphane Afeissa, Gilles Barroux, Ali Benmakhlouf, Philippe Büttgen, David Dubois, Safaa Fathy, Eric Guichard, Christian Laval, Seloua Luste Boulbina, Joëlle Marelli, Laura Odello, Xavier Papais, Stéphane Pujol, Barbara Safarova, Guillaume Sibertin-Blanc, Bruno Verrecchiaの17名。私がかろうじて知っているのは、映画『デリダ、異境から』の監督サファー・ファティ、アラブ哲学と論理学の若き秀才アリ・ベンマクルーフだけだ。

外国人ディレクターは、Marie-Claire Caloz-Tschopp(スイス), Roberto Nigro(イタリア), Yuji Nishiyama(日本), Andrea Pinotti(イタリア), Paolo Quintili(イタリア), Gabriel Rockhill(アメリカ), Diogo Sardinha(ポルトガル), Ashley Thompson(イギリス)の8名。

40歳前後の若手も多く選出されており、全体的に組織は若くなるのではないだろうか。コレージュは大変な困難な時期にあり、研究教育活動を再建できるかどうかが次期の課題になる。9月末に議長選があり、10月から新体制発足である。
[ 2010/07/01 23:14 ] 国際哲学コレージュでの活動 | TB(0) | コメント(-)

2010年7月上映スケジュール

7月2日(金)上映=18:00-19:30/討議19:40-20:40
神戸市外国語大学
第2学舎2階504教室
http://www.kobe-cufs.ac.jp/access.html
http://www.kobe-cufs.ac.jp/campus_map.html
ゲスト:丹生谷貴志(神戸市外国語大学)、村田邦夫(同前)、村上信一郎(同前)
主催:映画『哲学への権利』神戸外大上映会実行委員会(代表=辻龍太郎)
後援:神戸市外国語大学

関連イベント(映画上映はありません)
7月9日(金)、8月20日(金)、9月10日(金)19:00-20:30
朝日カルチャーセンター新宿校
新宿住友ビル7階
地図:http://www.asahiculture-shinjuku.com/accessmap/
講座「ジャック・デリダ入門――脱構築とは何か」(全3回)
第1回「脱構築とは何ではないか?」/第2回「脱構築は何を浮き彫りにするのか?」/第3回「脱構築は何の役に立つのか?」
主催:朝日カルチャーセンター新宿校(担当:横井周子)

関連イベント(映画上映はありません)
7月30日(金)朝7:30-9:00
新宿周辺のカフェ
(参加者にはメールでお伝えします)
朝CAMP<5> アリストテレス『ニコマコス倫理学』(第8-9巻「友愛」)を読む
ゲスト:西山雄二
定員:12人(下記CAMPのHPから要予約)→満席となりました
参加費:無料(飲食代実費)
主催:CAMP http://ca-mp.blogspot.com/
・朝CAMPは、通勤や通学前にコーヒーを飲みながら、ゲストが選んだ一冊の「古典」をみんなで気軽に読んでみようという企画。前半はゲストが関心に沿って発表し、後半はみんなでいろいろ話し合います。
・鳩山由紀夫・元首相は祖父の思想を引き継いで、自愛が利他を生む「友愛政治」を掲げた。鳩山は自己の品位と尊厳を高めることで、異質な他者の尊重が達成される「自立と共生の原理」を「友愛」と呼んだのだった。ところで、友愛をたんなる私的な関係として考察するだけでなく、政治的な原理として初めて理論化したのはそもそもアリストテレスである。友の姿、友の種類、友の数、友と共生、友愛の能動と受動など、さまざまな論点が網羅されたこの古典的名著は友愛論の優れた原点である。
[ 2010/07/01 03:03 ] 上映スケジュール | TB(0) | コメント(-)

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