公式HP映画「哲学への権利――国際哲学コレージュの軌跡」

本ブログでの情報はすべて個人HPに移動しました。今後はそちらでの閲覧をお願いします。⇒http://www.comp.tmu.ac.jp/nishiyama/

ホーム > アーカイブ - 2010年04月

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ミドルセックス大学の哲学を救おう(Save Middlesex Philosophy)

ryu
2010年4月26日、イギリス・ミドルセックス大学当局は、哲学科の教員に対して一方的に、学部から博士課程までの全プログラムの廃止を通告した。同哲学科は世界をリードする学科で、国際的に卓越した研究活動で評価が高い。英語圏におけるヨーロッパ大陸哲学の最重要の研究拠点として知られている。ヨーロッパの現代思想、批判理論、精神分析、美術理論、マルクス主義思想などの幅広い研究教育が展開されている。

紹介記事:
http://thethirdestate.net/2010/04/middlesex-university-shamefully-cuts-philosophy-department/
http://www.cinestatic.com/infinitethought/

同大学では、The Centre for Research in Modern European Philosophy(近代ヨーロッパ哲学研究センター)http://www.web.mdx.ac.uk/CRMEP/INDEX.HTMも運営されており、大学院レベルでの先端的哲学教育プログラムが国際的な仕方で実施されてきた。現代フランス思想研究のエリック・アリエズEric Alliezやピーター・ホルワードPeter Hallward、ドイツ哲学研究のピーター・オズボーンPeter Osborneらが現在の教員で、かつてはアレクサンダー・ガルシア・デュットマン(Alexander Garćia Düttmann)などが教鞭をとっていた。

大学側の言い分では、「哲学科が世界的に優れた学科であることは認識しているが、単純に財政上の理由」とのこと。壮大な愚行だとしか言いようがない。当局と哲学科教員との会談では一方的に廃止が告げられた模様だが、すでに署名活動は始まっている。「哲学への権利」の目下の最前線のために連帯を願う。

署名HP: ミドルセックス大学の哲学を救おう(Save Middlesex Philosophy)
http://www.gopetition.com/petitions/save-middlesex-philosophy.html
(ページ下方の「Sign the petition」をクリックで手続き開始。誰でも簡単に署名できます。もちろん、研究者や大学院生でなくとも結構です。)
HP: Save Middlesex Philosophy http://savemdxphil.wordpress.com/

ミドルセックス大学に留学されていた宮崎裕助氏(新潟大学)からコメントをいただいたので掲載します。(5月2日付記)

「私はアレクサンダー・ガルシア・デュットマン氏のもとで、2003年にミドルセックス大学の美学・芸術理論コースで修士号を取得しました。ここは英国でもヨーロッパ哲学を専門としている数少ない哲学科のひとつで、毎月の研究セミナーでは、独仏英米等からさまざまな講師が招かれ、ロンドンにあって世界でもヨーロッパ哲学の多様性が交叉する重要な結節点となっていました。哲学科はミドルセックス大学の看板学科であるはずだけに、その全面的閉鎖は常軌を逸した暴挙です。今回の決定は、ミドルセックス大学にとって、そして哲学の未来そのものにとって不幸な結果をもたらすにちがいありません。」――宮崎裕助(新潟大学)
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[ 2010/04/29 18:37 ] ミドルセックス大学問題 | TB(2) | コメント(-)

5月22日(土)「10年代の教養 ― 大学が迷走する時代に」

5月22日(土)に、萱野稔人さん(津田塾大学)と東京外国語大学にてトークイベント「10年代の教養――大学が迷走する時代に」を開催することになっています。これは、学生が主体の東京外国語大学現代思想研究会による企画で、第一回目は、鈴木謙介さんと萱野稔人さんによる「規範なき現在――model失効社会のネクストフェイズに」でした。

10nendai_chirashi_1_0321.jpg

今回の企画は、主に人文社会系の学部学生から大学院生までを対象とした対話になるでしょう。主題は、現在の大学の社会的・歴史的状況を踏まえた上での教養や人文知の問題と可能性、そして、現在の不況下での就職活動、大学院への進学についてです。

萱野さんのように30代の優れた友人の研究者たちが、西東京地区の大学で何人か働いています。個人的な想いとしては、今後も、このような学術的な催事をネットワーク的に開催し、西東京地区の大学を盛り上げていきたいと思います。

5月22日(土)14:00-17:00 東京外国語大学 大学会館二階大集会室
「10年代の教養 ― 大学が迷走する時代に」

萱野稔人(津田塾大学)×西山雄二(首都大学東京)
事前予約制:観覧希望の方は genshiken.tufs@gmail.com へ、タイトルに「5.22対談観覧希望」、本文に「名前、予約席数」を記載の上、送信
主催:東京外国語大学サークル「現代思想研究会」 http://genshikentufs.seesaa.net/
[ 2010/04/29 09:40 ] その他 | TB(0) | コメント(-)

【アンケート】一橋大学

4月23日の一橋大学でのアンケートから、いくつかを紹介させてください。

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「大学を出て〔社会人になって〕思ったのは、完全に収益性とコストがほとんどの場で判断基準となっており、あとはほんの少しのスピリチュアリズムが「哲学」の名でカタルシスを与えていることに対する衝撃でした。そうしたなか、制度として哲学を残していこうという試みは本当に貴重なものに感じられます。」

「今日は衝撃を受けました。世界にはこんな知の営みがおこなわれているのかと、若いうちに知ることができて良かったです。これから始まる「知る」という旅への良いきっかけになりました。もっとたくさんの10代の方にも観てもらいたい。知識がない人にも感じるところが何かあると思います。」(一橋大学商学部1年生)

「〔映画の副題で〕「軌跡」と訳されているtracesですが、一般にデリダ研究者のあいだでは「痕跡」と訳されますね。論文「差延」のなかで、形而上学のテクストは痕跡であり、読むべきものとしてわれわれに残されている、とデリダは言いました。この軌跡(映画)を読む僕らは、デリダと同じことをしているわけですね。脱構築が分有されていること、脱構築の実践を認めることができるでしょう。したがって、tracesが複数形で書かれていることも重要でしょう。」

「映画としての体裁は良くできているが、内容と合致している感じがしない。エンディングに多重露光をしたり、音楽が大げさすぎる。インタヴューなのだからそのようなデコレーションに凝らずに、もっと淡白にやった方が視聴者が内容そのものに集中できたのではないだろうか。」

「前回、渋谷アップリンクでの上映のとき、まったくわからなかったので、とりあえずいろいろ考えてみましたが、今日の上映でますますわからなくなりました。ただ、みなさんがかっこよく見えました。」

「鶴見俊輔さんと「思想の科学」研究会とコレージュを重ね合わせながら観ました。たいへん面白く、活き活きとさせられました」(夕方の買物帰りに参加させていただき感謝している市民)

「哲学を学ばなくとも生きている人が現にいる。むしろそうした人の方が多く、大学の教授ですら哲学に触れていない。では哲学とは何であり、何のためにある学問なのだろうか。」

「ものすごく楽しみにしてきたが、表層うわすべりのような表現でがっかりした。理念を伝える目的の映画ならば、せめてテロップを読む時間の長さをもう少し工夫してほしい。哲学的な語りに慣れた人たちのための映画としか思えない。」

「私は英文学専攻だが、哲学のことを聞いて何になるのだろうと思っていた。しかし、文学においても「哲学への権利」から応用できることはいくらでもあると気がつき、1年生が始まる前に観ればよかったと思った。」(大学2年生)

「かつてジャン=リュック・ゴダールが「映画を観た後に、映画についてもっと話し合うべきです」と言っていたことを思い出した。今回、それに成功していたと思えたのは、たぶん、この映画に重要な問題提起がいくつも含まれ、うまく提示されており、その示唆を受けて観客と登壇者、映画のあいだにたんなるすれ違いだけではない、交差が生まれたからです。映画の理念・哲学・教育・思考の理念が重なり合ったのが、「今日、ここ」という場であった、という美しい感傷を私は否定できません。」
[ 2010/04/23 23:03 ] 参加者のアンケート | TB(0) | コメント(-)

【報告】一橋大学(鵜飼哲)

2010年4月23日、一橋大学にて、鵜飼哲(一橋大学)氏とともに、大学院言語社会研究科の主催で上映・討論会がおこなわれた。鵜飼氏と二人でカトリーヌ・マラブー氏の講演会を2005年に開催したことのある学内施設・佐野書院にて実施されたこの会には、濛々と煙る冷たい春雨のなか、高校生や一般市民から教員まで110名ほどが参加した。

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一橋大学大学院言語社会研究科は私が鵜飼氏のもとで博士号取得まで6年間を費やした場所であるだけに、今回のイベントには感慨深いものがあった。神戸から東京に出てきて、修士課程に入った頃のことが思い出された。本作はデリダが創設した国際哲学コレージュを描いているが、鵜飼氏は80年代、私は2000年代にパリ留学中、コレージュで学び、デリダのゼミに出席していた。教師と学生、教育と研究、これらの諸条件を可能とする学校制度をめぐって、一橋大学で鵜飼氏と議論することは、それゆえ、私にとってある種特別な経験である。

鵜飼氏によれば、〈誰もが学べる権利〉はすでに70年代にパリ第8大学で実現していたが、83年にミッテラン政権下の目玉として創設された国際哲学コレージュではさらに、〈誰もが教える権利〉が保証されるように構想された。実際、鵜飼氏が留学当時、マラブーやアブデルケビール・ハティビなどの気鋭の若手が教鞭をとっており、コレージュがなければ出会わなかった人たちがたくさんいたという。

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コレージュは脆弱で周縁的で、しかし柔軟な場とされるが、そうした制度的特性がハティビのようなモロッコの研究者にもゼミを開講する機会を与えていた。ハティビは「いまのフランスで、コレージュほど研究教育にしっかりと従事できる場所はない」と語ったことがあるという。鵜飼氏の鋭い指摘によれば、80年代初頭、第三世界や旧植民国への関心があり、コレージュは「南」へと開放されていたが、25年を経て、欧州連合が形成されるなかで、むしろ「東」への開放へと力点が移ったのではないか。だとすれば、コレージュが謳う「国際性」はどの程度ヨーロッパ的な限定性を帯びるのだろうか。

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鵜飼氏は最後に、マラブーによる「思想の警察la police de la pensée」という表現に触れた(映画字幕ではこの表現は直訳されていない)。社会での支配的な考え方からずれていくこと、つまり、「思想の警察」による取り締まりに抵抗することがコレージュの存在意義であるだろう。私たちの頭のなかにすでに幅を利かせ、「これこれのことを考えてはいけない」と命じる「思想の警察」に抗して、集団的に討議し、問題提起することが重要なのである。
[ 2010/04/23 21:26 ] 上映報告(国内) | TB(0) | コメント(-)

【映像作品】旅思(3)――映画『哲学への権利』巡回上映の旅の記録

2010年3月の巡回上映の映像作品を製作しました。



「旅思(3)――映画『哲学への権利』巡回上映の旅の記録」(10分50秒)
音楽:matryoshka “Monotonous Purgatory” in 2nd Album (2010)
撮影協力:中真大、守屋亮一、後藤正英
撮影協力:奥田伸雄
監督:西山雄二
[ 2010/04/20 20:05 ] 映像作品 | TB(0) | コメント(-)

チラシ兼ポスター Ver 2 完成

映画のチラシ兼ポスターの新作が来週、4000部仕上がります。表面は前回と同じデザインですが、最下段に白地余白をつけ、各回の上映告知情報をその都度印字する方式にしました(一般の映画チラシと同じ手法)。他方で、裏面のデザインを大幅に変更しました(以下掲載)。映画へのメッセージと各場面のカットを白地の上に配置する仕様です。

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[ 2010/04/16 22:06 ] 映画の上映準備 | TB(0) | コメント(-)

首都大学東京での授業予定――「カイカク」以後の20世紀フランス思想

今週、首都大学東京(南大沢キャンパス)での講義と演習が開始されました。概要は以下の通り。フランス語原書の使用はなく、配布プリントか日本語訳テクストを使用します。関心のある方は、ynishi[at]tmu.ac.jp(西山)まで。

首都大学東京の前身、東京都立大学の仏文専攻は、20世紀フランス思想の研究教育活動において大きな役割を果たしてきました。デリダ『グラマトロジーについて』やドゥルーズ『ニーチェと哲学』の訳業で知られる足立和浩氏やクリステヴァ研究の西川直子氏、レヴィナス研究の合田正人氏、反ユダヤ主義研究の菅野賢治氏らが教鞭をとられていました。またここは、バタイユ研究の西谷修氏、レヴィナス研究の内田樹氏、ブランショ研究の谷口博史氏らを輩出した研究科でもあります。数年前に都知事によるカイカクの騒乱があってから、仏文科の教員・学生数は激減し(教員数12人→3人)、20世紀フランスを担当する教員は不在となっていました。伝統ある貴重なポストゆえに責任感は重いと言わざるをえませんが、自分なりに心と力を尽くします。

火曜2限10.30-12.00(前期)「フランス文学講義」
20世紀フランスの文学と思想からみる人間の形象の変容

20世紀のフランスの文学・批評・思想の推移を通じて、人間存在の形象がいかに変容してきたのか、人間の限界と可能性がいかに考察されてきたのかを、毎回、オムニバス形式で概観する。プルースト、ヴァレリー、シュルレアリスム、バタイユ、ブランショ、サルトル、カミュ、ブランショ、アンテルム、バルト、フーコーを各回で解説。途中、映像資料を交えた「68年5月革命」に関する回も設定。

火曜2限10.30-12.00(後期)「フランス語圏文学演習」
サルトル『文学とは何か』を読む

ジャン=ポール・サルトルが著わした20世紀の代表的文学論『文学とは何か』(1948年)を通読しつつ、今日の「文学=書くという公的表現行為一般」の可能性を探る。「文学」の概括的な理解にとどまらず、作家論、読者論、表象文化論、文体論、ジャンル論、記号論、意味論といった文学をめぐる各論、そしてサルトルの実存主義哲学とその思想的背景にも踏み込んで知識を深める。考察の指針となるのは、まさにサルトルが『文学とは何か』の各章の表題として掲げた明快な問いである―「書くとはどういうことか?」、「なぜ書くのか?」、「誰のために書くのか?」

水曜5限16.20-17.50(前期)「フランス語圏文化論A」
ジャック・デリダ入門

ジャック・デリダは脱構築の思想家として知られているが、彼の仕事は哲学のみならず、文学、政治、言語、倫理、教育、芸術、精神分析など多岐にわたるものだった。デリダの思想がいかなる意義をもつのかは、20世紀の思想の風景を眺望するための重要な問いであり続けるだろう。本講義では、まず脱構築をめぐる入門的な解説から出発して、言語や文学、倫理、教育、政治といった今日的な主題をテクストに即して具体的に検討する。

水曜5限16.20-17.50(後期)「フランス語圏文化論B」
デリダのバタイユ=ヘーゲル論通読

『エクリチュールと差異』に収録されたジョルジュ・バタイユ論「限定的エコノミーから一般的エコノミーへ 留保なきヘーゲル主義」を通読することで、デリダの脱構築思想のエッセンスを紹介する。デリダは、止揚、否定性、至高性、労働といった概念や、「主人と奴隷の弁証法」や「絶対知」といったヘーゲルの問題系を議論の俎上に載せる。デリダとヘーゲルとの関係、つまり、脱構築と弁証法の関係、差延と止揚の関係を考える上での重要テクスト。
[ 2010/04/16 20:12 ] 首都大学東京での活動 | TB(0) | コメント(-)

映画へのメッセージ(熊野純彦、中村富美子)

哲学について希望が語られる場面、哲学が何らかの希望を語る場面を久しぶりに目の当たりにした。
――熊野純彦(東京大学)

哲学へとアクセスする権利は誰にあるのか。そもそも哲学とは何か。経済原理に還元されえない価値を、哲学や人文学はどう提示できるのか。タイトルそのままに映画は国際哲学コレージュの問いを問い、私たちを深い思考の旅へと誘う。 ――中村富美子(「週刊金曜日」2010年2月5日号映画評より)
[ 2010/04/14 22:08 ] 映画へのメッセージ | TB(0) | コメント(-)

旅の途上

映画「哲学への権利」は3月27日の東京大学駒場・UTCP上映で第一期の巡回上映が終了しました。これはチラシの裏に掲載した上映日程をすべて終えた区切りということです。昨年夏頃から全国の友人たちに呼びかけて組んだ、一連の上映日程が終了したわけです。

上映とともに討論会を併載して、毎回多彩なゲストに議論の相手をしていただいています。各人の視座から鋭い感想や問いを投げかけていただき、みなさんの寛大な尽力には頭が下がる思いがします。4月の新年度からは、私から上映会を組織するのではなく、むしろ上映依頼によって日程が埋まってきています。そのため、私の力を越えた思わぬ形での上映・討論会が企画されたりもしていて、こちらとしては緊張しつつも嬉しい限りです。

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(会場設営・準備がもっとも緊張する時間。毎回異なる会場と設備なので、その都度、工夫をする必要がある。写真はパリ・国際哲学コレージュでの準備風景。)

これまで、各会場での設営、準備、受付、写真・動画撮影、後片付けなどに関して、全国各地で学部および大学院の学生が協力の手を代わる代わる差し伸べてくれました。彼らのおかげで運営が非常に上手くいっていることにとても驚いていて、感謝の念が絶えません。

「映画の巡回上映、おつかれさまでした」と声をかけられることがあります。しかし、少なくとも秋までは予定が組まれており、上映の旅はまだまだ途上にあります。今年度もこの映画を通じて新たな出会いと発見があることを期待しつつ。
[ 2010/04/11 22:18 ] 映画の上映準備 | TB(0) | コメント(-)

エマニュエル・レヴィナス『倫理と無限』翻訳刊行

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拙訳でエマニュエル・レヴィナス『倫理と無限―フィリップ・ネモとの対話』が刊行されました。自らの思想の形成と発展を、代表的著作にふれながら語ったインタビューです。平易な語り口で、自身によるレヴィナス思想の解説とも言える魅力的な一冊となっています。岩田靖夫氏が「難解なレヴィナス哲学へのもっともやさしい入口」と何度か紹介したことのある著作です。

 エマニュエル・レヴィナス
 『倫理と無限―フィリップ・ネモとの対話』
 西山雄二訳、ちくま学芸文庫、176頁、1,050 円



[ 2010/04/07 01:17 ] 公刊物 | TB(0) | コメント(-)

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