4月23日の一橋大学でのアンケートから、いくつかを紹介させてください。

「大学を出て〔社会人になって〕思ったのは、完全に収益性とコストがほとんどの場で判断基準となっており、あとはほんの少しのスピリチュアリズムが「哲学」の名でカタルシスを与えていることに対する衝撃でした。そうしたなか、制度として哲学を残していこうという試みは本当に貴重なものに感じられます。」
「今日は衝撃を受けました。世界にはこんな知の営みがおこなわれているのかと、若いうちに知ることができて良かったです。これから始まる「知る」という旅への良いきっかけになりました。もっとたくさんの10代の方にも観てもらいたい。知識がない人にも感じるところが何かあると思います。」(一橋大学商学部1年生)
「〔映画の副題で〕「軌跡」と訳されているtracesですが、一般にデリダ研究者のあいだでは「痕跡」と訳されますね。論文「差延」のなかで、形而上学のテクストは痕跡であり、読むべきものとしてわれわれに残されている、とデリダは言いました。この軌跡(映画)を読む僕らは、デリダと同じことをしているわけですね。脱構築が分有されていること、脱構築の実践を認めることができるでしょう。したがって、tracesが複数形で書かれていることも重要でしょう。」
「映画としての体裁は良くできているが、内容と合致している感じがしない。エンディングに多重露光をしたり、音楽が大げさすぎる。インタヴューなのだからそのようなデコレーションに凝らずに、もっと淡白にやった方が視聴者が内容そのものに集中できたのではないだろうか。」
「前回、渋谷アップリンクでの上映のとき、まったくわからなかったので、とりあえずいろいろ考えてみましたが、今日の上映でますますわからなくなりました。ただ、みなさんがかっこよく見えました。」
「鶴見俊輔さんと「思想の科学」研究会とコレージュを重ね合わせながら観ました。たいへん面白く、活き活きとさせられました」(夕方の買物帰りに参加させていただき感謝している市民)
「哲学を学ばなくとも生きている人が現にいる。むしろそうした人の方が多く、大学の教授ですら哲学に触れていない。では哲学とは何であり、何のためにある学問なのだろうか。」
「ものすごく楽しみにしてきたが、表層うわすべりのような表現でがっかりした。理念を伝える目的の映画ならば、せめてテロップを読む時間の長さをもう少し工夫してほしい。哲学的な語りに慣れた人たちのための映画としか思えない。」
「私は英文学専攻だが、哲学のことを聞いて何になるのだろうと思っていた。しかし、文学においても「哲学への権利」から応用できることはいくらでもあると気がつき、1年生が始まる前に観ればよかったと思った。」(大学2年生)
「かつてジャン=リュック・ゴダールが「映画を観た後に、映画についてもっと話し合うべきです」と言っていたことを思い出した。今回、それに成功していたと思えたのは、たぶん、この映画に重要な問題提起がいくつも含まれ、うまく提示されており、その示唆を受けて観客と登壇者、映画のあいだにたんなるすれ違いだけではない、交差が生まれたからです。映画の理念・哲学・教育・思考の理念が重なり合ったのが、「今日、ここ」という場であった、という美しい感傷を私は否定できません。」