3月27日の東京大学での上映では数多くのアンケート回答をいただきました。心より感謝申し上げます。「勇気づけられた」という表現が散見されたことは、こちらとしては嬉しい限りです。そのうちのいくつかを紹介させてください。

「こうした映画の上映会にこれだけの人が集まるほど、哲学や大学が関心を集めるなら、日本もまだ捨てたものではないのだろうか。」
「音楽や映像を通して『問い』が提示される迫力は、様々な背景をもった人々によって形成されているこの『場』と合わさって、想像を絶するものがあった。」
「静かな、しかし刺激的な不思議な余韻が残った。映画で語られた、ある意味、断片的な国際哲学コレージュの理念や姿が、上映後の出演者の話によって奥行きを与えられ、立体的なものとなった。哲学や思考が現在の世界を形作っているだけでなく、私たちがこれから向かおうとする未来への礎や指針に欠かせないものだと再認識した。」
「『哲学への権利』を分からせる、というより、うまく気づかせてくれる、そんな映画だった。」
「今日はじめて『哲学への権利』という言葉の意味がわかりました。6回目にしてやっとです(笑)。この表現を上手いこと考えたなあ、と本当に思いました。どう分かったかは言語化できませんが、身体に染み込んできた気がしました。」
「哲学という学問をもっと大きな枠組みのなかで理解する視点をもつことができた。」
「日本人がなぜフランスでインタヴューをするのか、日本の哲学状況での位置づけ方はまだ軽薄であるようにみえた。」
「大学に入って、はじめて哲学というものに接して戸惑ったときのことを思い出した。」

「自らへの批判的な問いも含めて、UTCPという場についても、外部の方が取材し、映像化されれば、と願う。」
「UTCPは税金を上手く使っていると思う。」
「私は会社員ですが、哲学とビジネスが切り離されたものではなく、どのように関係しているのか、その関係を築いていくべきか、考えるとともに、それを実生活に反映していきたいと思います。さまざまな立場の人が気軽に哲学に携われる、触れられる場が増えることを願っています。」
「社会学を専攻しているのですが、ディシプリンそのものを探すことに不安な気持ちをずっと抱いていました。しかし、今日の映画を通じて、より開いたものへと向かう哲学を知ることでその気持ちが解消され、自分のやっていることを前向きにとらえ直すことができた。」
「この映画はコレージュの制度について説明する辞書的ドキュメント。したがって、ダイナミズムがまったくなく、単調だった。」
「現在の大学のつまらなさについて言い出したらきりがないが、大学の中から、外から考えることを貫徹するために動いている人たちがいることは、本当に心強く感じた。」
「人々の暮らしに哲学が日常的に息づくことの大切さを改めて学ばせていただきました。とくに日本が現在、大きな分岐点にさしかかっているなかで『思考する』私たちこそ重要なことだと思いました。」

「哲学の可能性を開くチャンスは、私たちのさまざまな現場にもあるのはないか、そのような発想から何かを考えられるのではないか、と勇気づけられた。」
「働きながら、これからも死ぬまで学び続けていきたいとの思いを強くしました。」
「この映画も討論会も哲学の保身に染まり過ぎていたように感じた。」
「各人の話の先に目には見えない、理想的な国際哲学コレージュが感じられた。それは、人間にはけっしてつかみ得ない真理を追究する哲学の姿と重なり、同時に哲学そのものが肯定されたように感じられ、勇気をもらった。」
「やはりデリダという固有名の大きさにはあらためて感嘆せざるをえない。」
「駒場図書館で働いています。いま、図書館では仕事を業務委託の形で、業者の入札に任せようという話が出ています。哲学の抵抗の仕方に興味をもってきたのだと、映画を観ているうちに気がつきました。今ある制度を積極的に活用しようとしている小林先生の言葉と、コレージュで抵抗されている先生方、映画を製作された西山先生の姿勢がとても印象に残りました。図書館の小さな仕事ですが、私なりにできることをやっていこうと思いました。」
「素晴らしい映像と討論会だった。哲学の責任、その距離を測る思索を受け止める、享受する、歓待する権利は私たちにすでに訪れているのだ。」