公式HP映画「哲学への権利――国際哲学コレージュの軌跡」

本ブログでの情報はすべて個人HPに移動しました。今後はそちらでの閲覧をお願いします。⇒http://www.comp.tmu.ac.jp/nishiyama/

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映像作品「地下大学 × 国際哲学コレージュ」

2010年1月25日の高円寺・素人の乱「地下大学」での上映・討論会の模様を、映像作品「地下大学×国際哲学コレージュ」としてまとめました。



「地下大学 × 国際哲学コレージュ ―映画「哲学への権利」上映―」(8分50秒)
出演:西山雄二、平井玄、白石嘉治
音楽:matryoshka“Viridian” in zatracenie
協力:奥田伸雄、守屋亮一
監督:西山雄二
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[ 2010/01/30 09:53 ] 映像作品 | TB(0) | コメント(-)

【報告】潮木守一セミナー「職業としての大学教授」

2010年1月28日、東京大学駒場にて、UTCPセミナー「職業としての大学教授 ― 人文系大学院の未来」を企画し、潮木守一(桜美林大学)氏のお話を聞いた。

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潮木氏は主に、近著『職業としての大学教授』(中央公論新社、2009年)に即して、大学院の問題と大学教員の採用・昇進制度の問題を、米英仏独の事情との比較を踏まえつつ指摘した。初めに、「大学制度に関しては、どこの国でも上手くいっているわけではないが」という留保が付けられた。

大学院の人材育成に関しては、他の4か国では博士号取得者が、大学行政職、NGOやNPO、一般企業などに就職する機会がある。しかも、自分の専門とはまったく異なる仕事ではなく、専門性を活かすことのできる仕事につくことも少なくはないという。潮木氏は、博士修了者の大学への就職について、その全容を調査し把握する機関が日本にはないことが問題だと指摘。文科省はそうした機関を率先してつくらないだろうから、大学の連合で手を打たなければならないとした。

大学教員の採用・昇進制度に関しては、他の4か国では基本的に外部評価が主流である。ドイツでは同一大学での昇進が禁じられており、フランスでは大学審議会が人事に携わる。
同一大学内ではどうしても評価が甘くなり、研究教育の質の劣化を招くため、他の大学へと採用され昇進することになっている。日本では大学教員は終身雇用的な制度であり、エスカレータ式に昇級できる。そのため、日本の大学教員の構成は、教授40%、准教授24%、講師12%、助教20%、助手3%という異例の逆ピラミッド型となっている。

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最後に、潮木氏は「新規採用大学教員の採用前の状況」の資料グラフを説明した。平成18年度の採用数は11,700名だが、そのうち、「新規学卒者(大学院修了とともに大学教員に就職する者)」が約14%にまで落ち込んでいる(上図の青色最下層)。かつては35%程度を占めていたという。その代わりに、増加しているのが、「その他」のカテゴリーで約46%を占める(上図の上から2層目の赤)。ここにはおそらくアルバイト、非常勤講師、無職の者が増えており、博士課程を修了してから不安定な身分を引き受けなければ大学職に就くことが難しい現状を物語る。実際、毎年の博士課程修了者は16,000人だが、その新規採用数は5,000名から8,000名にしかならないという茨の道なのである。

大学院問題に関しては悲惨な話が付きまとうが、潮木氏はいつもためらいながら文章を書いていると告白する。事実をありのままに描くと悲観的になり、学問を志す者に対して逆効果をもたらすのだ。実際、本セミナーの雰囲気も悲惨な現状報告といった側面があったが、問題は悲惨話の拝聴ではなく、聞き手がその「語り口のとまどい」をまずは共有する点にあるだろう。

そもそも、研究や学問は面白いことを発見して驚き、喜びを感じることに尽きる。そうした気持ちで研究を続けていると、思わぬ仕方で、同じ問いを共有する友とめぐり会うことがある。それが大学院にとどまり、大学で仕事をすることのかすかな希望ではないだろうか、と潮木氏はセミナーを締めくくった。

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早い時期からいろいろな場所で告知したため、本セミナーには40名の聴衆が集い、ほぼ満席となった。その構成は多様で、一般の方から出版関係者、学部学生が来ていた。意外だったのだが、大学院生、とりわけ東京大学の院生は少なく、わずか7-8名の参加にとどまった。当事者である大学院生やポストドクターの参加の低調さを目の当たりにして、あらためて、大学院や大学の問題のもっとも深刻な病を実感した夜だった。
[ 2010/01/28 09:47 ] 報告・取材記 | TB(0) | コメント(-)

【アンケート】素人の乱「地下大学」

1月25日の高円寺・素人の乱「地下大学」での上映でいただいたアンケートのうち、いくつかを紹介させていただきます。

「哲学が大学が独占するものではないことは当然だが、哲学することがより困難になっているという西山さんの危機感が本作をつくらせたのだとすると『映像表現と哲学』の可能性について、自分もその危機感を共有しながら、次の番組を構想したいと思った。」(NHK関係者)

「少しばかり忍耐を要する映画でした。わかるようでわからないような難しそうな話ばかり。でも、この映画を観て何の役に立つのか、とはあまり考えなかった。」

「学問分野を問わず、各分野が危機や問題を抱える状況に共通性を感じた。私が付き合いの長いサイエンス分野も、他分野との関係、自らの存立の理由、その正統性が問われている。その意味でも、いろいろな分野の人に観てほしい。」

「各地での上映そのものが、もうひとつの国際哲学コレージュの運動として機能しつつあることに感動しました。」

「今日、失業保険の認定のため、ハローワークに行ってきた非正規雇用のOLです。映画にも討論にも感動しました。私は生きるために哲学を必要としています。専門家には、私のように言葉をどう使ってよいのか知らない人にも哲学を届けてほしい。今日はちゃんと届いた感じで、とても良かったです。」
[ 2010/01/25 23:55 ] 参加者のアンケート | TB(0) | コメント(-)

【報告】素人の乱「地下大学」(平井玄、白石嘉治)

1月25日(月)、高円寺・素人の乱「地下大学」にて、平井玄氏(音楽評論家)、白石嘉治氏(上智大学)とともに上映会がおこなわれた。小規模な会場のためすぐに45名で満席および立ち見となり、遅れてきた10名以上の観衆には入場していただくことができなかった。わざわざ足を運んでいただいたみなさんにお詫び申し上げる次第である。次回の3月の東京上映3回は十分な広さの会場なので、どうぞそちらにお越しいただくようお願い申し上げます。

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今回の映画上映は日本だけでなく、アメリカやフランスなどでもおこなわれるグローバルな運動である。しかし、ある友人からはこんな印象的な言葉をいただいた、「素人の乱・地下大学で上映するなんてグローバルな上映運動だ」、と。今回はこの意外な言葉の意味を確認させられる有意義な会となった。

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(平井玄氏〔中央〕、白石嘉治氏〔右〕)

平井氏は、「啓蒙におけるマイノリティ(未成年=少数派)の問い」、「アソシエーションの社会的意義」、「不在の映画」という三つの観点からコメントを披露した。平井氏はまず、カント、デリダ、ドゥルーズ+ガタリを引きつつ、未成年=少数派が理性的な責任主体でありつつ、気楽な存在にとどまるような啓蒙の可能性はないだろうかと示唆した。また、大革命以来のフランスにおけるアソシエーションの意義を強調し、国際哲学コレージュの集団的実践を歴史的な文脈のなかに位置づけた。そして、本作は不在のデリダをめぐる映画だが、亡き哲学者に対する辛い悲壮感とも過度の英雄視とも異なる距離感で本作がつくられていることを評価した。その上で平井氏は、日本における68-69年の政治闘争を振り返る上でこれら三つの観点が重要であるとした。

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白石氏は68年から70年代にいたるフランスの文脈を想起しつつ、金融資本主義の破綻から教育の資本主義化が進展している現在、私たちが何をなすべきかを本作から汲み取ることができるとした。また、大学はそもそも教師と学生の組合であり、12世紀に大学が誕生した時期に国家や資本主義の萌芽が現われていることをいかに考えればよいのかと問うた。
[ 2010/01/25 23:44 ] 上映報告(国内) | TB(0) | コメント(-)

映画へのメッセージ(岩崎稔、本橋哲也)

今日、広い意味で、「哲学をすること」はどんな可能性をもちうるのか。私たちが生きていく上で何かを考えざるをえない、何かが考えることを迫ってくる、そんな思考の経験をいかに表現すればよいのか。大学や出版が危機に曝されている現代において、私たちが自分の思考や言葉を表現しようとするときに直面する宿命的な問いが本作では描き出されている。

――岩崎稔(東京外国語大学)


久しぶりに真に「興奮する」映画を観た。映像や音楽の美しさ、身体性のひらめきが抜群で、何よりも、私たちを「活動」へと誘う映画である。Excellent ! Grand merci !

――本橋哲也(東京経済大学)

[ 2010/01/24 10:50 ] 映画へのメッセージ | TB(0) | コメント(-)

【報告】東京外国語大学(岩崎稔、田崎英明、桑田光平)

1月23日(土)、東京外国語大学にて、岩崎稔(東京外国語大学)、桑田光平(同前)、田崎英明(立教大学)とともに上映がおこなわれた。教員と学生以外にも幅広い層の観衆が50名ほど集った。

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岩崎氏は、国際哲学コレージュを描いた本作は広い意味で「哲学すること」の可能性を提示しつつ、現代において私たちが自分の思考や言葉を表現しようとするときに直面する問いが描かれていると評した。

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(左から、桑田氏、田崎氏、岩崎氏)

桑田氏は留学中、国際哲学コレージュに足を運んだ経験から、フランスの大学の特色を考慮しながら、コレージュの実態について語った。コレージュではたしかに、学生よりも一般市民の参加が多く、また、既存の大学制度では実施できない内容のゼミが開催されている。しかし、その形式は講義形式で大学のそれと区別することは難しい。また、コレージュはやはりデリダ的な雰囲気が濃厚であり、伝統的で保守的な他の制度(例えば、コレージュ・ド・フランス)との緊張関係のなかでその生命を保っているのではないか、と述べた。

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田崎氏は、近年の大学において、「学生が…できるようになる」という能力と計算の文言で研究教育活動が評価されることへの違和感を表明した。実は、哲学は、これまでわかっていたことがわからなくなること、これまでできていたことができなくなることという事態を誘発するのではないだろうか。哲学がソクラテス以来、カントにおいても社会的分業の論理とは相容れないのは、こうした哲学の本来的な危険性と関係するのである。

会場から本橋哲也氏(東京経済大学)は、現在、カルチュラル・スタディーズなどを通じて人文学が創造的に変容しているようみえるが、しかし、そうした趨勢は知の専門化や知の相対化を免れているだろうかと問うた。また、研究教育が情報の伝達と化していく傾向において、知の身体化が忘れられいると指摘した。
[ 2010/01/23 23:34 ] 上映報告(国内) | TB(0) | コメント(-)

【アンケート】早稲田大学

1月19日の早稲田大学での上映では多くのアンケート回答をいただきました。そのうちのいくつかを紹介させてください。

「早稲田大学ではエクステンションなどがあって、カルチャーセンターのように誰でも学べる場所は大事だが、それらと『大学』の違いは今後どのようになるのかが気になった。」

「私も西山さん同様に、高尚な理念はさておき、大学は『楽しいから』あった方が良いと思っています。」

「実際の教育機関が哲学的な言葉で語られることに、序盤は空疎な印象を受けたが、国際哲学コレージュがその意味や機能、価値などによって、固定された何かとしてはとらえられないものであることが次第に腑に落ち、そのあり方が哲学そのものであるように感じ、興奮を覚えた。」

「国際哲学コレージュの講義風景を写してほしかった。」

「まさかと思うほど動きのない映画で、その意味で、たいへん面白かった。」

「いま、人文学の価値が問われるなかで、われわれが試みていることが間違いではないという勇気をもらいました。私自身は、カルチュラル・スタディーズのなかで、哲学的問いかけに挑戦していきたい。」

「映画を観て思い出したのが、昨年亡くなったマサオ・ミヨシでした。彼は最終的には大学から離れていたようですが、彼が『抵抗の場』として考えていたのは、大学人でも専門家でもなく、ひとりの人間としてより良く物事を考えることではなかったか、と。」

「経済効率に還元されない知のあり方、貨幣に還元されない『生きるため』の思考、それはつまり『考える権利』(哲学する権利)である。生きることは自分で考えていくことだから、この権利を守ることは人間であるための権利を守ることと同義である。」
[ 2010/01/19 23:02 ] 参加者のアンケート | TB(0) | コメント(-)

【報告】早稲田大学(岡山茂、藤本一勇)

1月19日(火)、早稲田大学にて、岡山茂(早稲田大学)と藤本一勇(同前)とともに上映会がおこなわれた。会場が通常の教室だったため、30人ほどは立ち見になってしまった。立ったまま辛抱強く最後の討論まで残ってくださった方々に心よりお礼申し上げたい。90名ほどが来場して予想以上の盛会となった。

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岡山茂氏は、フランスの大学制度の変遷をたどりながら、1968年5月の余波を受けて実験的大学として創設されたパリ第8大学の意義と挫折を強調した。国際哲学コレージュのような哲学の実験が実現されたのは、60年代以降の社会運動と大学の連携によるところも少なくはない。

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(岡山茂氏と藤本一勇氏)

藤本一勇氏は、パリにおける大学の哲学部の権力布置を分析した。パリ第1および4大学は哲学科の権威をなしているのに対して、パリ第7、8、10大学は周縁的な立場にある。国際哲学コレージュの教員には後者の教員が多くを占めているのは、こうした哲学科の関係性を反映してのことである。

会場の塚原史氏(早稲田大学)からは、「カルチュラル・スタディーズに対して、コレージュが抵抗の場として機能すると言う場合、抵抗とは一体何か」という的確な質問を受けた。

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会場ではアンケートを配布させていただいたが、回収率は良く、有益な意見ばかりで驚かされた。また、その後、Twitterでのつぶやきも散見され、「デリダシンポ凄く良かった。希望の話だった。行って良かったー!」というつぶやきは嬉しかった。私自身、会場の熱気から大いに希望をいただいたからだ。
[ 2010/01/19 02:27 ] 上映報告(国内) | TB(0) | コメント(-)

国際哲学コレージュ・2010年2-7月期プログラム

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国際哲学コレージュの2010年2-7月期プログラムが刊行され、郵送されてきました。2月18日、いよいよ国際哲学コレージュの正規イベントとして映画『哲学への権利』が上映されるわけです。上映後の討論には、議長Evelyne Grossmanと副議長Boyan Manchev、Michel Deguy(パリ第8大学名誉教授)やFrançois Noudelmann(パリ第8大学)などが一緒に登壇してくれます。大変光栄なことであり、関係者の反応がとても楽しみです。私の属する東京大学グローバルCOE「共生のための国際哲学教育研究センター(UTCP)」は国際哲学コレージュとの企画を積み重ねてきており、今回も両者の共催のイベントとなります。


[ 2010/01/18 18:42 ] 公刊物 | TB(0) | コメント(-)

【報告】朝日カルチャーセンター新宿校(高橋哲哉)

1月16日(土)、朝日カルチャーセンター新宿校にて、高橋哲哉氏(東京大学)とともに上映会がおこなわれた(参加者60名程度)。

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高橋氏は1990年代初頭に実際に国際哲学コレージュに通って、いくつかのゼミを聴講されていた。また、高橋氏自身もコレージュで何度か登壇して、日本の歴史論争に関する講義をおこなった経験がある。「デリダが創設した場所というと華々しく聞こえるが、しかし、国際哲学コレージュは仕事帰りに誰もが足を運んで、静かに、だが、熱心に哲学が議論されているような場所だった」と思い出が語られた。

高橋氏は戦後50年の節目である1995年に、映画『ショアー』の日本紹介に関わり、戦争の記憶や証言の問題をめぐってアクチャルな哲学的発言をおこなった。私自身、当時『ショアー』の全国上映を通じて、映画と哲学との有機的な連動を目の当たりにしており、今回の自分の映画『哲学への権利』上映と討論会の運動の先行例とみなしているところがある。

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靖国問題や愛国心教育に関して哲学的な批判をしてこられた高橋氏とは、哲学と実践の関係をめぐって討論を進めることができた。一方で、大学では伝統的な哲学の鍛錬があり、他方で、それぞれの現場に即した哲学の実践がある。閉じた哲学/開かれた哲学、純粋な理論/不純な実践といった二分法で性急に判断を下すのではなく、むしろ隔たった両極のあいだで哲学を試練にかけることが重要ではないだろうか。そうした哲学の冒険を先鋭的な仕方でおこなってきた孤高の高橋氏とこの映画を介して対話できたことはきわめて大きな収穫だった。
[ 2010/01/16 23:06 ] 上映報告(国内) | TB(0) | コメント(-)

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