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公式HP映画「哲学への権利――国際哲学コレージュの軌跡」

本ブログでの情報はすべて個人HPに移動しました。今後はそちらでの閲覧をお願いします。⇒http://www.comp.tmu.ac.jp/nishiyama/

ホーム > アーカイブ - 2009年10月

ボヤン・マンチェフからのメール

本作品にも出演している国際哲学コレージュ副議長のボヤン・マンチェフから返信メールが届いた。ジゼル・ベルクマンの力強い支援もあって、14日の会議において満場一致で国際哲学コレージュにて映画上映と討論会の開催が決定したとの知らせだった。

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さて、来年2月の上映開催に向けて、ただちに会場を確保しなければならない。使い勝手の良いパリの大学都市のHeinrich Heine館は改修中で使用できないので、他にもいくつかの候補をあたってみることになるようだ。若手の哲学者Pierre Zaouiを司会に立てて、ミシェル・ドゥギーとカトリーヌ・マラブー、そして、ボヤン、ジゼルと私による討論会を開催し、「哲学への権利」と国際哲学コレージュの未来に関する議論にしたいとのこと。実現すればもっとも理想的な形でのパリ上映になりそうでたいへん喜ばしい。

国際交流担当のボヤン・マンチェフはつねに各国を飛び回る異例の「飛行機哲学者」である。今回は10日間でSofia - Paris - Weimar - Berlin - Paris - Strasbourg - Paris - Sofiaと移動していたために、メールの返事ができなかった、とメールの最後にさらりと記されていた。

「映画の他の出演者、フランソワ・ヌーデルマン、ブリュノ・クレマンらも登壇してもらってはどうだろう?」
「いや、全員参加すると、10名程度になって、討論にならない……」
ジゼルも交えてメールのやりとりが続く。
「じゃあ、パリ第8大学でも上映+討論会を実施して、パリでは2箇所にしよう。ヌーデルマンやクレマンはパリ第8大学の先生だから、そちらで登場してもらうということで」という私の提案で話はうまくおさまった。

かくして、国際哲学コレージュとパリ第8大学での上映に向けて、準備が大急ぎで始まった。
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[ 2009/10/27 19:37 ] 映画の上映準備 | TB(0) | コメント(-)

『現代思想』2009年11月号特集=大学の未来

『現代思想』2009年11月号(特集=大学の未来)が刊行されました。本映画に関係する、ジャック・デリダ「世界市民的見地における哲学への権利」が拙訳で掲載されています。

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これは1991年5月23日にユネスコでの国際会議の導入としておこなわれた講演で、「制度(institution)の問い」と「学問分野(discipline)の問い」をめぐる考察です。デリダは、カントの歴史哲学の最重要テクスト「世界市民的見地における普遍史の理念」を、興味深いことに「教育論」として読み解き、男女を問わずあらゆる人々にとっての哲学への権利の擁護と拡張、研究教育制度の場所、哲学の国際性や普遍性といった問いを浮かび上がらせながら、ユネスコの哲学的な社会参加(アンガージュマン)の役割を称揚しています。 

[ 2009/10/25 01:29 ] 公刊物 | TB(0) | コメント(-)

映像作品「もうひとつのEND」(2008年UTCPアルゼンチン)

2008年10月のUTCPアルゼンチン出張記録作品「もうひとつのEND」を製作しました。


(画面右下、音量の右隣のボタンを押すと、拡大画面で見ることができます。字幕の文字を読みやすくするために、拡大画面で鑑賞されることをお勧めします。)

9月、拙ドキュメンタリー映画『哲学への権利』をアメリカ東海岸で上映した際に、「映像作品は哲学の教育的手法として実に有効だ」とのコメントを何度かいただき、なるほどと思った。哲学と映画にはきわめて有効な関係があり、観衆はテクストを読むときとは異なる仕方で思考のありさまに触れるのである。最近、パソコンを整理していて、昨年10月のUTCPのアルゼンチン遠征の動画・写真記録がかなり残っていることに気がついた。そこで、この資料を用いて実験的な仕方で記録映像作品を製作しようと思い立った次第である。

往々にして、学術成果の映像記録はきわめて退屈だ。情報化社会だからと、大学などの研究教育機関のHPではシンポジウムやセミナーの動画を無料公開しているところがある。しかし、残念なことに、その類の動画は固定カメラでバストアップの映像が何分も続くものが大半で、多くの視聴者を魅了しているとはとても思えない。

今回の映像作品では、基本的にアルゼンチン出張の成果報告でありながら、別の条件や限定を加えることにした。まず、この遠征に関する小林康夫の文章「もうひとつのend、あるいはブエノスアイレスの休日」(『知のオデュッセイア』、東京大学出版会)からの引用を散りばめることにした。そのことで、彼の視点からみた旅という人称性をもたせた。また、私は旅と研究教育の関係をきわめて重視しているので、「旅のなかで思考するとはいったい何なのか」を映像で表現しようと配慮した。

つまり、自分が地球の反対側・アルゼンチンに旅立ち、「南米のパリ」ブエノスアイレスと湖畔の山岳都市バリローチェとで英語とフランス語で研究発表をした、あの経験と思考をたんなる記録にはとどまらない映像作品として表現しようと試みたわけである。

なお、拙映画『哲学への権利』でも音源を使用させていただいているmatryoshkaさんの卓越した楽曲に今回も大いに救われている。心から感謝の意を表わす次第である。

「もうひとつのEND」(2008年UTCPアルゼンチン出張記録)

引用テクスト:小林康夫『知のオデュッセイア』(東京大学出版会)
第23歌「もうひとつのend、あるいはブエノスアイレスの休日」より
音楽:matryoshka “Tyrant's Miniature Garden” in zatracenie http://www.matryoshka.jp
監督:西山雄二
後援:東京大学グローバルCOE「共生のための国際哲学教育研究センター(UTCP)」
http://utcp.c.u-tokyo.ac.jp/

[ 2009/10/20 23:02 ] 映像作品 | TB(0) | コメント(-)

出演者・監督プロフィール

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ミシェル・ドゥギー Michel Deguy 

パリ第8大学名誉教授。国際哲学コレージュ議長(1992-95年)。現代フランス最大の詩人・哲学者。詩人として20冊以上の詩集を出版し,1989年に詩の国民大賞を受賞。『ポエジー』誌編集主幹、『レ・タン・モデルヌ』編集委員、『クリティック』誌査読委員、フランス作家協会会長(1992-98年)を務める。ヘルダーリンやパウル・ツェランの翻訳も手がけている。日本語訳に、『尽き果てることなきものへ――喪をめぐる省察』(梅木達郎訳、松籟社)、『愛着――ミシェル・ドゥギー選集』(丸川誠司訳、書肆山田)、編著『崇高とは何か』(梅木達郎訳、法政大学出版局)、『ジラールと悪の問題』(古田幸男ほか訳、法政大学出版局)。

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フランソワ・ヌーデルマン François Noudelmann
パリ第8大学教授。国際哲学コレージュ議長(2001-04年)。アメリカではニューヨーク州立大学やジョンズ・ホプキンズ大学で定期的に講義をもつ。フランスを代表するサルトルの研究者。フランス・キュルチュール局の哲学のラジオ番組「哲学の金曜日Les Vendredis de la Philosophie」の人気パーソナリティーでもある。著書に、Le Toucher des philosophes. Sartre, Nietzsche et Barthes au piano, Gallimard, 2008 (grand prix des Muses 2009) ; Pour en finir avec la généalogie, Léo Scheer, 2004; Sartre: L'incarnation imaginaire, L'Harmattan, 1996. 日本語訳に「非-系譜学的共同体の哲学」(『来るべき〈民主主義〉――反グローバリズムの政治哲学』、藤原書店)、「脱世代化するサルトル」(『環 別冊11サルトル 1905-80』、藤原書店)。  

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ブリュノ・クレマン Bruno Clément
パリ第8大学教授。国際哲学コレージュ議長(2004-07年)。フランスを代表するベケット研究者。著書に、Le Récit de la méthode, Seuil, 2005; L'Invention du commentaire, Augustin, Jacques Derrida, P.U.F., 2000; Le Lecteur et son modèle, P.U.F., 1999; L'Œuvre sans qualités, rhétorique de Samuel Beckett, Seuil, 1994. 日本語訳はないが、書評として、郷原佳以「方法のポエティック――ブリュノ・クレマン『方法の物語[レシ]』に寄せて」(『Resonances』第4号、東京大学教養学部フランス語部会、2006年9月)。 

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カトリーヌ・マラブー Catherine Malabou 
パリ第10大学准教授。国際哲学コレージュ・プログラム・ディレクター(1989-95年)。アメリカのカリフォルニア大学アーヴァイン校、ニューヨーク州立大学バッファロー校などでも教鞭をとる。ジャック・デリダの脱構築思想を継承し、ヘーゲルやハイデガーに即して「可塑的存在論」を展開。著書に『ヘーゲルの未来――可塑性、時間性、弁証法』(西山雄二訳、未来社)、『私たちの脳をどうするか』(桑田光平・増田文一朗訳、春秋社)、La Chambre du milieu. De Hegel aux neurosciences, Hermann, 2009 ; Les Nouveaux Blessés. De Freud à la neurologie, penser les traumatismes contemporains, Bayard, 2007 ; Le Change Heidegger. Du fantastique en philosophie, Léo Scheer, 2004. 編著に、『デリダと肯定の思考』(高桑和己他訳、未来社)。 

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フランシスコ・ナイシュタット Francisco Naishtat
ブエノスアイレス大学教授。国際哲学コレージュ・プログラム・ディレクター(2004-07年)。主に政治哲学を専門としながら、近年はグローバル化時代における哲学の役割を研究。M・ウェーバーやベンヤミンに関する論考多数。著書に、Universidad y democracia, BIBLOS, 2004 ; La acción y la política. Perspectivas Filosóficas, GEDISA, 2002 ; Max Weber y la cuestión del individualismo metodológico, EUDEBA, 1998. 編著に、Genealogías de la universidad contemporánea. Sobre la Ilustración o pequeñas historias de grandes relatos, Biblos, 2008. 日本語訳に、「歴史認識理論における精神分析の痕跡―ヴァルター・ベンヤミンの『パサージュ論』における運命と解放」、(『〈時代〉の通路 ヴァルター・ベンヤミンの「いま」』、UTCP)。 

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ジゼル・ベルクマン Gisèle Berkman
ジュール・ヴェルヌ高校教員。国際哲学コレージュ・プログラム・ディレクター(2004-07年)。『ポエジー』誌編集委員。18世紀啓蒙期の文学・思想を専門としながらも、20世紀の文学・思想にも造詣が深く、エクリチュールと思考をめぐって文学と哲学の連続性に関する研究を進めている。J・デリダ、M・ブランショ、J=L・ナンシー、M・ドゥギーに関する論考多数。著書に、Filiation, origine, fantasme : les voies de l’individuation dans Monsieur Nicolas ou le cœur humain dévoilé de Rétif de la Bretonne, Champion, 2006.

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ボヤン・マンチェフ Boyan Manchev 
新ブルガリア大学准教授。国際哲学コレージュ副議長。演劇やダンスの事例を踏まえつつ、表象やイメージ、身体の理論と主体や共同体の今日的意義を追究している。著書に、The Unimaginable. Essays in Philosophy of Image, Sofia: NBU, 2003; L'altération du monde : Pour une esthétique radicale, Nouvelles Editions Lignes, 2009. 日本語訳に、「野生の自由 動物的政治のための仮説」(『現代思想』2009年8月号)。G・ディディ=ユベルマンやJ=L・ナンシーのブルガリア語の訳者でもある。


監督 西山雄二 Yuji Nishiyama
1971年愛媛県生まれ。神戸市外国語大学国際関係学科卒業。パリ第10大学哲学科留学。一橋大学言語社会研究科博士課程修了。東京大学特任講師(グローバルCOE「共生のための国際哲学教育研究センター(UTCP)」所属)を経て、現在、首都大学東京都市教養学部(仏文学)准教授、国際哲学コレージュ・プログラム・ディレクター(2010-2016年度)、日本学術会議若手アカデミー活動検討分科会委員。著書に、『哲学への権利』(DVD付、勁草書房)、『異議申し立てとしての文学――モーリス・ブランショにおける孤独、友愛、共同性』(御茶の水書房)。編著に、『哲学と大学』(未來社)など。訳書に、ジャック・デリダ『条件なき大学』(月曜社)、『名を救う――否定神学をめぐる複数の声』(未來社)、カトリーヌ・マラブー『ヘーゲルの未来――可塑性・時間性・弁証法』(未來社)、エマニュエル・レヴィナス『倫理と無限』(ちくま学芸文庫)
など。研究活動の詳細は http://utcp.c.u-tokyo.ac.jp/members/data/nishiyama_yuji/
[ 2009/10/16 19:23 ] 映画の概要・内容 | TB(0) | コメント(-)

映画「哲学への権利――国際哲学コレージュの軌跡」概要

映画は全8章で構成されているが、まず第1章「プロフィール」では各インタヴューイーが国際哲学コレージュでの経歴を語る。第2章「国際哲学コレージュの定義」では、コレージュで実践される研究教育活動の独創性が浮き彫りになる。第3章「国際哲学コレージュと大学」では、各インタヴューイーが他の学術制度とは異なるコレージュの特徴(無償性の原理、教員のあいだの平等、カリキュラムやプログラムの理念など)を物語る。第4章「国際哲学コレージュの理念」では、コレージュが提唱する「インターセクション」の理念が、英米圏の大学でのカルチュラル・スタディーズのような「領域横断性」の理念と比較される。第5章「国際哲学コレージュと経済的価値観」で描き出されるのは、グローバル資本主義下で収益性、効率性、卓越性が重視されるなかで人文科学が直面する決定的な経済の問題である。第6章「場所の問い」では、固有のキャンパスをもたない国際哲学コレージュの事例に照らし合わせて、研究教育活動とは何処でおこなわれるのか、という問いが提起される。第7章「困難」ではコレージュが現在直面しているさまざまな問題が語られる。最終章「ジャック・デリダと国際哲学コレージュ」では、各インタヴューイーが、デリダの哲学やコレージュに対するデリダの貢献について回顧的に証言する。

国際哲学コレージュが受け入れてきた数々の革新は、根底的に変容しつつある世界へと思考をたえず開いてきた。この意味で、映画『哲学への権利』は「世界を変化させる」作業に対するきわめて貴重な貢献である。マルクスの表現を借りれば、こうした変化の端緒が開けるのは、「世界」が意味するものの「解釈」を通じて、それゆえ、「国際」や「哲学」が意味するものの解釈を通じてなのだから。
――ジャン=リュック・ナンシー(ストラスブール大学名誉教授)

映画『哲学への権利』は過去の映画ではない。国際哲学コレージュの未来を切り開く、計り知れない価値をもつドキュメントである。現在の世界における哲学の状況を問いながら、本作品が描き出すさまざまな方向性は、まちがいなく、未来の思考にとっての重大な指針となるであろう。
――カトリーヌ・マラブー(パリ第10大学准教授)

西山雄二監督が製作した『哲学への権利』は、数多くのコンテクストへと開かれた見事な映像ドキュメンタリーであり、多種多様な角度からの鑑賞が求められる、哲学に関するたぐい稀な映画である。映画という媒体を用いて、西山氏は、現代哲学が引き受けるべき責務を、西洋と非西洋という言説を乗り越えた世界を体現するという現代哲学の責任を私たちにはっきりと思い出させてくれる。
――酒井直樹(コーネル大学教授、『トレイシーズ』編集主幹)



  ドキュメンタリー映画
  「哲学への権利――国際哲学コレージュの軌跡」

  (Le droit à la philosophie: les traces du Collège international de Philosophie)

  出演:ミシェル・ドゥギー、フランソワ・ヌーデルマン、ブリュノ・クレマン、カトリーヌ・マラブー、
  フランシスコ・ナイシュタット、ジゼル・ベルクマン、ボヤン・マンチェフ 
  音楽:matryoshka (Novel Sounds) http://www.matryoshka.jp
  監督:西山雄二
  撮影補助:下境真由美、Erik Bullot, 馬場智一、藤田公二郎、右崎有希、谷口清彦
  上映補助:守屋亮一、中真大
  技術支援:宮下洋一、秦岳志、中澤栄輔、平倉圭、近藤学
  日本語字幕:西山雄二、星野太、馬場智一
  英語字幕:河野年宏、Adeline Rother, Ophélie Chavaroche, Laura Hughes,
         Maria Fernanda Negrete, Naveh Frumer, 西山雄二
  韓国語字幕:高榮蘭、李英旭
  特別協力:国際哲学コレージュ
  助成:文部科学省研究費補助金若手B課題番号20720002
  後援:東京大学グローバルCOE「共生のための国際哲学教育研究センター(UTCP)」、勁草書房
  上映時間:84分 フランス語(日本語字幕、英語字幕、韓国語字幕)
  ※問い合わせはこちら e-mail: ynishi[at]tmu.ac.jp
[ 2009/10/16 19:00 ] 映画の概要・内容 | TB(0) | コメント(-)

映画へのメッセージ(酒井直樹、ジゼル・ベルクマン)

西山雄二監督が製作した『哲学への権利』は、数多くのコンテクストへと開かれた見事な映像ドキュメンタリーであり、多種多様な角度からの鑑賞が求められる、哲学に関するたぐい稀な映画である。国際哲学コレージュの関係者に対する西山氏のインタヴューを聞きながら、鑑賞者はヨーロッパや西洋といった狭い境界の外で哲学について考えるように誘われる。映画という媒体を用いて、西山氏は、現代の哲学が引き受けるべき責務を、西洋と非西洋という言説を乗り越えた世界を体現するという現代の哲学の責任を私たちにはっきりと思い出させてくれる。
――酒井直樹(コーネル大学教授、『トレイシーズ』編集主幹)

Yuji Nishiyama created a wonderful cinematic documentary open to many contexts, an exceptional film about the topic of philosophy that demands a viewing from multiple angles. His interviews with the faculty members of the Collège International de Philosophie solicits the audience to think of philosophy outside the narrow confines of Europe and the West. Through the cinematic medium, Nishiyama succeeded in reminding us of the task that contemporary philosophy is expected to undertake, of its responsibility to be of the world beyond the discourse of the West and the Rest.
―Naoki Sakai, professor at Cornell University, and founding senior editor
of Traces, a multilingual series of cultural theory and translation.

国際哲学コレージュに関する映画『哲学への権利』は真の意味できわめて教育的価値の高い作品である。歴代の議長や新旧のプログラム・ディレクターたちの異なる視座が交互に編集されているので、一般の観衆も、ジャック・デリダらが1983年に創設したこの独創的な制度のことを理解することができる。私たちはそして、ある形で実現されたユートピアとでも表現されるものへと誘われていく――あらゆるひとに開かれた場所、活気ある研究と創造のための場所として構想され、既存の知や学問分野の領域交錯(インターセクション)を問う国際哲学コレージュへと。インタヴューを聞きながら、私たちはコレージュが存生し、思考し、進化する姿を目の当たりにする。また、コレージュが現在、いかなる問題、いかなる危機に直面しているのかも示される。それは、このグローバル化の時代に、研究機関がどこか平準化されていくこの時代に人文学が直面している問題と危機でもある。いかにしてコレージュはその特殊性を擁護することができるのだろうか。独創的なこの研究機関はいかなる歴史をもつのだろうか――これが本作品で浮き彫りになる問いである。西山監督は異なる視点の対話を編集し表現することに成功しているが、これは、この比類なき制度の根幹を鼓舞し続けてきた対話の精神にほかならない。
――ジゼル・ベルクマン(国際哲学コレージュの現プログラム・ディレクター)

Le film réalisé par Yuji Nishiyama sur le Collège international de philosophie est d'un très grand intérêt pédagogique, au sens vrai du terme. Par le biais d'un montage alterné qui permet d'accéder aux points de vue divers d'anciens présidents du Collège, mais aussi d'anciens directeurs de programme et de directeurs en exercice, il permet à un large public d'accéder à l'intelligence de cette institution singulière qu'est le CIPh, co-fondé en 1983 par Jacques Derrida. Nous entrons, à sa suite, dans ce qu'est, en quelque sorte, une forme d'utopie réalisée: à savoir, le Collège, pensé comme un lieu accessible et ouvert à tous, comme lieu d'une recherche et d'une création vivante, attachée à questionner les intersections des savoirs et des disciplines constitués. Au fil des interventions, on voit vivre, penser, évoluer le Collège. On perçoit également quels problèmes, quelle crise il traverse actuellement, crise qui est aussi celle des humanités à l'ère da la globalisation et d'une certaine standardisation des organismes de recherche. Comment le Collège pourra-t-il défendre sa spécificité? Qu'est-ce que l'historicité d'une institution de recherche originale? Telle est aussi la question qui se profile dans ce documentaire. Le réalisateur a réussi, par le montage, a transmettre le dialogisme des points de vue, inséparable de l'esprit de dialogue vrai qui a inspiré la fondation de cette institution sans équivalent.
―Gisèle Berkman, directrice de programme au CIPH
[ 2009/10/11 10:08 ] 映画へのメッセージ | TB(0) | コメント(-)

音楽matryoshkaについて

今回の映画ではアーティストmatryoshkaさんhttp://www.matryoshka.jp の楽曲が3曲効果的な場面で使用されており、その素晴らしい音に大いに助けられています。聴いたところ繊細な美しい音色なのですが、しかし、適度にノイズ音がミックスされていることで、美的調和が攪乱され、それがなぜかよりいっそう情感豊かに響きます。また、透明感と浮遊感のあるヴォーカルと巧みなストリングス・アレンジは何度聴いても飽きません。遠縁の親戚が広島で音楽レーベルNovel Soundsを運営しており、そこの所属アーティストということで彼らの楽曲に出会い、使用させてもらうことになりました。アメリカで上映した際も、音楽はたいへん好評でした。

映画で使用されるのは以下の3曲です。
“Oblivion” in Second Album (2010)
“My Funeral Rehearsal”, “Sink Into The Sin” in zatracenie (2007)

映画のエンディングで流れる“Sink Into The Sin”には下のPVがあります。

[ 2009/10/08 22:03 ] 映画の概要・内容 | TB(0) | コメント(-)

ジャック・デリダ『条件なき大学』

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本映画作品『哲学への権利』で何人かが決定的な場面で引用しているのが、ジャック・デリダ『条件なき大学』(西山雄二訳、月曜社、2008年)です。『条件なき大学』は1998年のスタンフォード大学での講演をもとにしたデリダ晩年の大学論です。グローバル化時代の政治・経済的状況を踏まえつつ、大学や人文学の将来をめぐってデリダ自身の教師論、職業論、労働論が披露される本書は、小著ながらも味読に値するテクストです。

デリダは実はフランスでは伝統的な大学の教授ではありませんでした。彼は国際哲学コレージュを大学の余白に創設することで、アカデミズムと在野の境界線を脱構築に問いに付そうとしました。『条件なき大学』ではこうした研究教育の脱構築の可能性が示され、<新しい人文学>として力強く名指されています。
[ 2009/10/05 02:51 ] 公刊物 | TB(0) | コメント(-)

映画へのメッセージ(ジャン=リュック・ナンシー、カトリーヌ・マラブー、サイモン・クリッチリー)

国際哲学コレージュはその創設以来20年以上にわたって、私たちの世界の知の総体、思考の総体に領域横断的に関わるような、従来の哲学観を大きく乗り越える「哲学」の実験と交流の場であり続けてきた。国際哲学コレージュにおいては、「世界のヴィジョン」や「システム」としての「哲学」はその時代を終える。なぜなら、もはや世界はイメージや概念によって容易く把握されはしないからだ。国際哲学コレージュが受け入れてきた数々の革新は、根底的に変容しつつある世界へと思考をたえず開いてきた。この意味で、映画『哲学への権利』は「世界を変化させる」作業に対するきわめて貴重な貢献である。マルクスの表現を借りれば、こうした変化の端緒が開けるのは、「世界」が意味するものの「解釈」を通じて、それゆえ、「国際」や「哲学」が意味するものの解釈を通じてなのだから。
――ジャン=リュック・ナンシー(ストラスブール大学名誉教授)

Le Collège International de philosophie aura été, depuis sa fondation il y a plus de vingt ans, un lieu d'expérience et de communication de ce qui, sous le nom de "philosophie" va bien au-delà de la discipline reçue sous ce nom et concerne de manière transversale tout le savoir et toute la pensée de notre monde. La "philosophie" comme "vision du monde" ou comme "système" y a fini son temps, parce que le monde ne se laisse plus prendre dans une image ni dans un concept. Les innovations acueillies par le CiPh n'ont pas cessé d'ouvrir la pensée à ce monde en profonde mutation. Le film de Yuji Nishiyama est donc une contribution très précieuse au travail de "changer le monde" car ce changement commence - pour continuer à citer Marx mais en le détournant - dans l'"interprétation" de ce que "monde" veut dire. Donc aussi de ce que veulent dire "international" et "philosophie".
―Jean-Luc Nancy, professeur émérite à l'Université de Strasbourg


映画『哲学への権利』は過去の映画ではない。国際哲学コレージュの未来を切り開く、計り知れない価値をもつドキュメントである。現在の世界における哲学の状況を問いながら、本作品が描き出すさまざまな方向性は、間違いなく、未来の思考にとっての重大な指針となるであろう。それは、問いに対して自らを開放しておくこと、グローバル化時代における理論や批判の場所、制度や大学の余白における知的交流の必要性である。躍動感溢れるこの見事な映画は、責任ある証言とは何であるべきか、その核心を描き出している。
――カトリーヌ・マラブー(パリ第10大学准教授、国際哲学コレージュの元プログラム・ディレクター)

Le film de Yuji Nishiyama n'est pas un film du passé. C'est un document de valeur inestimable qui ouvre un avenir au Collège International de Philosophie. En interrogeant la situation de la philosophie dans le monde, ce film dessine les orientations de ce qui devrait être l'orientation majeure d'une pensée du futur : l'ouverture au questionnement, la place de la théorie et de la critique à l'âge de la globalisation, la nécessité d'un échange intellectuel en marge de l'institution et de l'université. Beau et vivant, ce film incarne l'essence de ce que devrait être un témoignage responsable.
―Catherine Malabou, maître de conférences à l'Université de Paris X,
ancienne directrice de programme au CIPH


映画『哲学への権利』は、つねに危機に曝される貴重で独創的な制度「国際哲学コレージュ」を描いた見事な映画である。西山雄二監督が国際哲学コレージュの関係者におこなうインタヴューは詳細で有益なもので、きわめて興味深い瞬間が何度も引き出される。とりわけ、ミシェル・ドゥギー、カトリーヌ・マラブー、フランソワ・ヌーデルマンのインタヴューは見応え十分である。その生涯において国際哲学コレージュと関係する人々にとって、本作はノスタルジアと希望を喚起する。また、国際哲学コレージュに馴染みがない人々の好奇心をも大いに駆り立て、制度の本質をつねに問い続けるこの制度に没頭させるにちがいない。
――サイモン・クリッチリー(ニュー・スクール・フォー・ソーシャル・リサーチ哲学科学科長、
国際哲学コレージュの元プログラム・ディレクター)

This is a wonderful film on a precious, unique and constantly threatened institution. Yuji Nishiyama's interviews with protagonists of the CiPh are detailed and informative and elicit some extremely entertaining moments. Of particular merit are the interviews with Michel Deguy, Catherine Malabou and François Noudelmann. For those of us with a biography entangled with the CiPh, Nishiyama's movie provokes both nostalgia and hope. For those unfamiliar with the CiPh, it should arouse great curiosity and engagement with an institution that constantly question the nature of institutions.
―Simon Critchley, Chair of Philosophy, New School for Social Research and
Ancien Directeur de Programme, College International de Philosophie (1998-2004).
[ 2009/10/03 02:14 ] 映画へのメッセージ | TB(0) | コメント(-)

国際哲学コレージュとは?

国際哲学コレージュは、政府の依頼を受けて、デリダがフランソワ・シャトレらとともに、1983年10月10日にパリのデカルト通りに創設した研究教育機関である。産業・研究、文部、文化の三大臣の後押しを受けてはいるが、基本的にはアソシエーション法に依拠して創立された(日本でいうところのNGOやNPO)。コレージュは、哲学のみならず、科学や芸術、文学、精神分析、政治などの諸領域の非階層的で非中心的な学術交流によって新しいタイプの哲学を可能にするという、当時としては画期的な組織だった。

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(国際哲学コレージュのプログラム案内。学期に合わせて10-1月と2-7月、年2回発行される。初刷で8,000部刷られ、その内約6,000部は国内の高校哲学教員に郵送される。初刷がなくなると2刷が5,000部作成される。)

驚くべきことに、コレージュは固有の施設を所有していない。大部分のプログラムは国民教育省が管理する建物の教室を間借りして実施され、そこに事務局も常設されている。しかし他にも、パリ第七大学の大教室や海外の大学など、至る所で授業や学術的催事はおこなわれる。大学の教員のなかには、自分が所属する大学のセミネールとコレージュのセミネールを同じ枠組みで実施する者もいて、その場合には、自分のゼミ生と一般聴衆が同じ授業を受けることになるのだ。

「〔教育研究制度の〕建築物に反対するとは言わぬまでも、少なくともその制約から離れて、国際哲学コレージュはその場を探し求める」(国際哲学コレージュ議定書)――つまり、コレージュは特定の建物や施設のなかで運営されたり、これに帰属することから解放されようとする。コレージュは、原則的に言えば、参加者たちが哲学的思考を希求し、互いに交流するあらゆる場で生起するとされるのである。

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(国際哲学コレージュの雑誌「デカルト通り」。PUF出版から年4回刊行される。上記写真の第48号はジャック・デリダ追悼特集号。コレージュは他にも複数の冊子・叢書シリーズを刊行している。)

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(国際哲学コレージュでのシンポジウム「ジャン=リュック・ナンシー あらゆる方向の意味」〔2002年1月18‐19日〕。上記写真はデリダとナンシーによる討論。討論原稿の日本語訳は『水声通信』第10および11号〔2006年8および9月号〕に所収。)

UTCPブログより転載
http://utcp.c.u-tokyo.ac.jp/blog/2008/03/jacques-derrida-the-university/
[ 2009/10/01 03:06 ] 映画の概要・内容 | TB(0) | コメント(-)