2008年10月のUTCPアルゼンチン出張記録作品「もうひとつのEND」を製作しました。
(画面右下、音量の右隣のボタンを押すと、拡大画面で見ることができます。字幕の文字を読みやすくするために、拡大画面で鑑賞されることをお勧めします。)
9月、拙ドキュメンタリー映画『哲学への権利』をアメリカ東海岸で上映した際に、「映像作品は哲学の教育的手法として実に有効だ」とのコメントを何度かいただき、なるほどと思った。哲学と映画にはきわめて有効な関係があり、観衆はテクストを読むときとは異なる仕方で思考のありさまに触れるのである。最近、パソコンを整理していて、昨年10月のUTCPのアルゼンチン遠征の動画・写真記録がかなり残っていることに気がついた。そこで、この資料を用いて実験的な仕方で記録映像作品を製作しようと思い立った次第である。
往々にして、学術成果の映像記録はきわめて退屈だ。情報化社会だからと、大学などの研究教育機関のHPではシンポジウムやセミナーの動画を無料公開しているところがある。しかし、残念なことに、その類の動画は固定カメラでバストアップの映像が何分も続くものが大半で、多くの視聴者を魅了しているとはとても思えない。
今回の映像作品では、基本的にアルゼンチン出張の成果報告でありながら、別の条件や限定を加えることにした。まず、この遠征に関する小林康夫の文章「もうひとつのend、あるいはブエノスアイレスの休日」(『知のオデュッセイア』、東京大学出版会)からの引用を散りばめることにした。そのことで、彼の視点からみた旅という人称性をもたせた。また、私は旅と研究教育の関係をきわめて重視しているので、「旅のなかで思考するとはいったい何なのか」を映像で表現しようと配慮した。
つまり、自分が地球の反対側・アルゼンチンに旅立ち、「南米のパリ」ブエノスアイレスと湖畔の山岳都市バリローチェとで英語とフランス語で研究発表をした、あの経験と思考をたんなる記録にはとどまらない映像作品として表現しようと試みたわけである。
なお、拙映画『哲学への権利』でも音源を使用させていただいているmatryoshkaさんの卓越した楽曲に今回も大いに救われている。心から感謝の意を表わす次第である。
「もうひとつのEND」(2008年UTCPアルゼンチン出張記録)
引用テクスト:小林康夫『知のオデュッセイア』(東京大学出版会)
第23歌「もうひとつのend、あるいはブエノスアイレスの休日」より
音楽:matryoshka “Tyrant's Miniature Garden” in zatracenie http://www.matryoshka.jp
監督:西山雄二
後援:東京大学グローバルCOE「共生のための国際哲学教育研究センター(UTCP)」
http://utcp.c.u-tokyo.ac.jp/
ミシェル・ドゥギー Michel Deguy
パリ第8大学名誉教授。国際哲学コレージュ議長(1992-95年)。現代フランス最大の詩人・哲学者。詩人として20冊以上の詩集を出版し,1989年に詩の国民大賞を受賞。『ポエジー』誌編集主幹、『レ・タン・モデルヌ』編集委員、『クリティック』誌査読委員、フランス作家協会会長(1992-98年)を務める。ヘルダーリンやパウル・ツェランの翻訳も手がけている。日本語訳に、『尽き果てることなきものへ――喪をめぐる省察』(梅木達郎訳、松籟社)、『愛着――ミシェル・ドゥギー選集』(丸川誠司訳、書肆山田)、編著『崇高とは何か』(梅木達郎訳、法政大学出版局)、『ジラールと悪の問題』(古田幸男ほか訳、法政大学出版局)。
フランソワ・ヌーデルマン François Noudelmann
パリ第8大学教授。国際哲学コレージュ議長(2001-04年)。アメリカではニューヨーク州立大学やジョンズ・ホプキンズ大学で定期的に講義をもつ。フランスを代表するサルトルの研究者。フランス・キュルチュール局の哲学のラジオ番組「哲学の金曜日Les Vendredis de la Philosophie」の人気パーソナリティーでもある。著書に、Le Toucher des philosophes. Sartre, Nietzsche et Barthes au piano, Gallimard, 2008 (grand prix des Muses 2009) ; Pour en finir avec la généalogie, Léo Scheer, 2004; Sartre: L'incarnation imaginaire, L'Harmattan, 1996. 日本語訳に「非-系譜学的共同体の哲学」(『来るべき〈民主主義〉――反グローバリズムの政治哲学』、藤原書店)、「脱世代化するサルトル」(『環 別冊11サルトル 1905-80』、藤原書店)。
ブリュノ・クレマン Bruno Clément
パリ第8大学教授。国際哲学コレージュ議長(2004-07年)。フランスを代表するベケット研究者。著書に、Le Récit de la méthode, Seuil, 2005; L'Invention du commentaire, Augustin, Jacques Derrida, P.U.F., 2000; Le Lecteur et son modèle, P.U.F., 1999; L'Œuvre sans qualités, rhétorique de Samuel Beckett, Seuil, 1994. 日本語訳はないが、書評として、郷原佳以「方法のポエティック――ブリュノ・クレマン『方法の物語[レシ]』に寄せて」(『Resonances』第4号、東京大学教養学部フランス語部会、2006年9月)。
カトリーヌ・マラブー Catherine Malabou
パリ第10大学准教授。国際哲学コレージュ・プログラム・ディレクター(1989-95年)。アメリカのカリフォルニア大学アーヴァイン校、ニューヨーク州立大学バッファロー校などでも教鞭をとる。ジャック・デリダの脱構築思想を継承し、ヘーゲルやハイデガーに即して「可塑的存在論」を展開。著書に『ヘーゲルの未来――可塑性、時間性、弁証法』(西山雄二訳、未来社)、『私たちの脳をどうするか』(桑田光平・増田文一朗訳、春秋社)、La Chambre du milieu. De Hegel aux neurosciences, Hermann, 2009 ; Les Nouveaux Blessés. De Freud à la neurologie, penser les traumatismes contemporains, Bayard, 2007 ; Le Change Heidegger. Du fantastique en philosophie, Léo Scheer, 2004. 編著に、『デリダと肯定の思考』(高桑和己他訳、未来社)。
フランシスコ・ナイシュタット Francisco Naishtat
ブエノスアイレス大学教授。国際哲学コレージュ・プログラム・ディレクター(2004-07年)。主に政治哲学を専門としながら、近年はグローバル化時代における哲学の役割を研究。M・ウェーバーやベンヤミンに関する論考多数。著書に、Universidad y democracia, BIBLOS, 2004 ; La acción y la política. Perspectivas Filosóficas, GEDISA, 2002 ; Max Weber y la cuestión del individualismo metodológico, EUDEBA, 1998. 編著に、Genealogías de la universidad contemporánea. Sobre la Ilustración o pequeñas historias de grandes relatos, Biblos, 2008. 日本語訳に、「歴史認識理論における精神分析の痕跡―ヴァルター・ベンヤミンの『パサージュ論』における運命と解放」、(『〈時代〉の通路 ヴァルター・ベンヤミンの「いま」』、UTCP)。
ジゼル・ベルクマン Gisèle Berkman
ジュール・ヴェルヌ高校教員。国際哲学コレージュ・プログラム・ディレクター(2004-07年)。『ポエジー』誌編集委員。18世紀啓蒙期の文学・思想を専門としながらも、20世紀の文学・思想にも造詣が深く、エクリチュールと思考をめぐって文学と哲学の連続性に関する研究を進めている。J・デリダ、M・ブランショ、J=L・ナンシー、M・ドゥギーに関する論考多数。著書に、Filiation, origine, fantasme : les voies de l’individuation dans Monsieur Nicolas ou le cœur humain dévoilé de Rétif de la Bretonne, Champion, 2006.
ボヤン・マンチェフ Boyan Manchev
新ブルガリア大学准教授。国際哲学コレージュ副議長。演劇やダンスの事例を踏まえつつ、表象やイメージ、身体の理論と主体や共同体の今日的意義を追究している。著書に、The Unimaginable. Essays in Philosophy of Image, Sofia: NBU, 2003; L'altération du monde : Pour une esthétique radicale, Nouvelles Editions Lignes, 2009. 日本語訳に、「野生の自由 動物的政治のための仮説」(『現代思想』2009年8月号)。G・ディディ=ユベルマンやJ=L・ナンシーのブルガリア語の訳者でもある。
Author:西山雄二 Yuji Nishiyama
首都大学東京 都市教養学部
フランス語圏文化論(仏文)准教授
国際哲学コレージュ
プログラム・ディレクター(2010-2016年度)
日本学術会議 若手アカデミー活動
検討分科会委員
20世紀フランス思想専攻
映画上映の旅のつぶやき:
http://twitter.com/yuji_nishiyama
研究業績(2005年以降):
http://rightphilo.blog112.fc2.com/blog-entry-111.html