公式HP映画「哲学への権利――国際哲学コレージュの軌跡」

本ブログでの情報はすべて個人HPに移動しました。今後はそちらでの閲覧をお願いします。⇒http://www.comp.tmu.ac.jp/nishiyama/

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【報告】日本版完成記念上映会@UPLINK FACTORY

9月27日、日本版の完成記念上映会が渋谷UPLINK FACTORYで開催されました。約70名の参加で、立ち見も出て盛況だったので、ひとまず安心しました。遠くは京都や山口からも、ご来場いただいたみなさん、ありがとうございました。しばらく間をおいて、12月から日本、フランス、韓国の各地での上映+討論会が始まります。

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[ 2009/09/27 22:46 ] 上映報告(国内) | TB(0) | コメント(-)

【報告】郵便配達人かつ旅人――旅の終わりの旅立ちの唄 Yale University

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(イェール大学の美しいネオゴシック様式の校舎)

9月11日、雨のなか、鉄道アムトラックで1時間半移動し、ニュー・へヴンの町に到着。ホテルに立ち寄ってすぐにイェール大学に向かう。1701年創設のイェール大学はアメリカで3番目に古い大学だ。19世紀初頭に発行されたYale Literary Magazineはアメリカでもっとも古い文学批評誌だが、以後、ニュークリティシズム、比較文学、脱構築批評とイェール大学は文学研究を活気づけてきた。

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イェール大学での上映は東大‐イェール・イニシアティヴの主催で実施され、25名ほどが集まった。上映に使用された部屋は、以前チャペルに使用していたというステンドグラス窓の落ち着いた雰囲気の中部屋。Film Studiesが常用する部屋だけあって、大スクリーンでの映写と音響は満足のいくものだった。

討論では、まず高田康成氏が、国際哲学コレージュを創設した直後、1983年の秋にデリダが日本を訪問したときのことを語った。モイラ・フラナガー氏は、国際哲学コレージュが抱える理念が、哲学への欲望と制度の逆説のなかにあることを指摘。最後に、ハウン・ソーシー氏は丁寧なコメントを加え、本作品が強調する手のイメージに触れた。「手の動きは語り手の思考と比べてつねに先立つか遅れており、このずれの感触が上手く描き出されている」。その後、会場との質疑応答が続けられたが、夜の雨音によって際立つチャペル室の静けさのなかで、ひとつひとつの言葉が独特の重みをもって室内に響き渡るのが心地良かった。

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今回は初めてのアメリカ旅行だったが、現地のみなさんの適切な協力によって、すべての仕事を問題なく終えることができた。心より感謝する次第である。とりわけ、フランス語風の拙い私の英語に熱心に耳を傾けてくれた聴衆のみなさんに感謝したい気持で一杯である。



旅の終わりに、初心に帰って、少しだけ個人的な話を。

学部生の頃、一年間休学して、しばらく郵便配達のアルバイトをしたことがある。バイクに乗るのが好きなこともあり、郵便配達の仕事はなかなか魅力的で、その後も何度か従事することになる。基本的にひとりでおこなう仕事なのだが、他者の手紙を他者へと伝える仲介者として、ひとりでいるのにひとりでいる気がしない不思議な感覚がするのだ。郵便配達で貯めた資金をもとにして、その後、東アジアに半年間の一人旅に出た。初めての海外旅行であり、また、大病の後遺症を長年患っていた父が亡くなった直後の一人旅となった。旅先でノートに書きつけたたくさんの言葉をもとにして、帰国後、思い立ち、友人たちと8ミリ映画を初めて製作したのだった。

あれから十数年後、今回は旅のはじめに映画があった。旅の主要な目的は、いわばこの第2作目の映画作品を上映することである。しかも、7人のインタヴューからなるドキュメンタリー映画である。講演や発表といった個人的な自己表現というよりも、他者の言葉をさらに他者に届ける責務を果たすために上映の旅に出たわけだ。届けると言っても、宛先が明確に決まっているわけではなく、受け取り方はもちろん、ひとそれぞれ自由である。上映が始まって数十分で退席する人も何人もいれば、「そのスタイルと内容からして、これまで受けたなかで最高の哲学教育の時間」と絶賛する大学院生もいた。

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ところで、人文学の研究者は、本質的に、郵便配達人かつ旅人である、というのは言い過ぎだろうか。人文学研究者は、基本的に、他者のテクストを読み、他者の言葉を受け取り、また新たなテクストとして、見知らぬ他者へと送り出すことをその責務とする。また、テクストの魅力は時間と空間の制約から解き放たれて、旅に出る感覚を抱くことができる点にあるだろう。他者の言葉と対話を続け、異邦の風景へと誘われることで、自己表現を成立させるのが人文学研究者の営みではないだろうか。ひとりでいるのにひとりでいる気がしないという距離のある友愛とともに続けられるひとり旅である。もっとも「異郷へ旅したものは往々にして、正確には真実とは言いがたいことまで主張しがちなものである」のだが、しかし、郵便配達人かつ旅人である限りにおいて、人文学研究者は「すべてを公的に言う権利」を有するのである。

アメリカ東海岸での旅が無事に終わるが、映画「哲学への権利」はこれからやっと本格的な旅に出る。日本、フランス、アメリカ西海岸の各地での数多くの上映と討論会が準備されているところである。討論会にはさまざまな方に参加していただき、この資本主義時代における人文学や哲学の制度的可能性を議論したいと考えている。

旅の終わりに奏でられるのは、またしても、旅立ちの唄である。

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(ニュー・へヴンを去り、JFK空港へと向かう早朝、イェール大学構内を散歩しているときにゴミ箱から顔を出した〔野良?〕リス。このアメリカ滞在で、対話〔独語?〕を交わした最後の生き物。)

UTCPブログより転載
http://utcp.c.u-tokyo.ac.jp/blog/2009/09/post-278/
[ 2009/09/13 22:02 ] 上映報告(海外) | TB(0) | コメント(-)

【報告】再びニューヨークへ New York University

イサカを発って5時間後、日暮れの大都市ニューヨークのネオンサインの風景のなかにバスが吸い込まれていった。翌日から再び、映画「哲学への権利」の上映と討論会がニューヨーク大学から始まる。

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ニューヨーク大学(通称NYU)は銀行家や商人などの有閑層グループによって1831年に創設された。「出自や身分、社会階級ではなく能力に応じて、若者に高等教育の機会が与えられる大学をマンハッタン島に」というのが彼らの理念だった。当時、アメリカのカレッジが特定のキリスト教派と関係して創設されていたなかで、NYUは無教派の大学として創立された。ちなみに、NYUの哲学科は、英米圏の50の哲学科ランキングでつねに1、2位を争っている。

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NYUのキャンパス群はワシントン・スクエアとグレニッチ・ヴィレッジ周辺に点在しているが、この地域は19世紀初頭以来、ニューヨークの文化的中心地であり続けている。E・A・ポー、マーク・トゥェイン、ハーマン・メルヴィル、ウォルター・ホイットマンらが近隣に居を構えて創作活動をおこない、1930年代にはジャクソン・ポロックやデ・クーニングらが抽象表現主義の拠点を付近に据え、1960年代にはアレン・ギンズバーグやボブ・ディランらがこの地域からビート・ジェネレーションやフォーク音楽を世界に発信した。

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9月10日、映画「哲学への権利」のNYUでの上映には約20名ほどが参加し、議論をおこなった。ミハイル・ヤンポリスキ氏によれば、「この作品はとりわけアメリカの学問状況を考える上で重要である。アメリカではヨーロッパの大陸哲学がカルチュラル・スタディーズや比較文学などに吸収され、準-学科的な扱いを受けているからだ」。トマス・ルーザー氏からは「哲学が一学問分野というよりも、そもそも領域横断的なものであることがこの作品によって鮮明になる」、リチャード・カリッチマン氏からは「哲学と他の学問分野の関係はやはりandによってしか語ることはできないのか、and以外の方法で語ることはできないのか」、ペドロ・エルバー氏からは「デリダの名前が特権的に引用されていて、他の思想家の名が出てこないことが気になる」とのコメントをいただいた。

UTCPブログより転載
http://utcp.c.u-tokyo.ac.jp/blog/2009/09/post-278/
[ 2009/09/12 21:56 ] 上映報告(海外) | TB(0) | コメント(-)

【報告】大学の瞳 Cornell University

ニューヨーク市から長距離バスに乗り北に5時間、小さな田舎町イサカへと向かった。コーネル大学での2つの催事のためである。

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(サッカー競技場ほどのどうしようもなく広い中庭を休み時間に移動するのは良い運動)

コーネル大学は南北戦争終結後の1865年に、上院議員エズラ・コーネルが自身の広大な農地と私財を寄付し、アンドリュー・D・ホワイトが初代学長を引き受けることで創設された。「誰でも何でも学ぶことのできる学校」を創立理念として掲げたこの大学では、実際、伝統的なリベラル・アーツ教育から、技術者養成、農業、獣医、ホテル経営学に至るまで多種多様な教育プログラムが整備されてきた。1870年に女子学生の入学を始めているコーネル大学はいわゆる「アイビー・リーグ」のなかではもっとも早い男女共学の学校である。町を一望できる小高い丘上にある3k㎡の実に広大なキャンパスで、現在、約2万人の学生が学んでいる(イサカ市の人口は3万人)。コーネル大学は原則的に私立大学だが、理系の実学設置を支援するために連邦政府所有の土地を州政府に供与するモリル・ランドグラント法が一部の学科には適用されているため、半官半民のユニークな大学である。

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(Andrew D. White House)

9月8日、映画「哲学への権利」の上映・討論会が、Andrew D. White HouseのGuerlac Roomで実施された。初代学長の名前を冠したこの豪奢な建物のこの部屋では、人文科学系の大規模な催事がつねにおこなわれるそうである。蓋を開けてみると、80名以上が詰めかけ、廊下まで人が溢れて立ち見が出るほどの盛況ぶりだった。とりわけ嬉しかったのは、学部生から重鎮の教師まで異なる学科の人々が集ってくれたことだった。

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討論会では、フランス科の注目の若手ロラン・デュブリル氏とブルーノ・ボステル氏に相手をしていただいた。手厳しい気鋭の論客で知られる彼らのコメントは批判的なもので、会場は容赦のない真剣勝負の張り詰めた雰囲気になった。ボステル氏は「映画ではデリダの言う領域交差(intersection)とカルチュラルスタディーズの学際性が明瞭に対比されているが、短絡的ではないか。少なくともアメリカでデリダ思想が受け入れられたのは後者の学際性のおかげである。コレージュで教師が無報酬で教えているのは、他に定職があり収入があるからであって、無償性の原則がもたらす自由といっても、それはこの依存の構造によるものにすぎないのではないか」と問うた。デュブリル氏は、国際哲学コレージュの人員構成や授業の方法を社会学的に分析した後、大学の外に新しい研究教育機関を創設したと言っても、結局、大学の外に大学のミニチュア的権力構造を再生産しただけである、と映画の内容を一蹴した。

また、会場のジョナサン・カラー氏からは、「誰もがコレージュのディレクターに応募できるというが、選抜は適切に機能しているのか?」、ドミニク・ラカプラ氏からは「真の学際性を目指すならば、哲学にこだわっていてはやはりダメで、交差する他の学問分野の内部からも同時に学際的な可能性を見出す必要があるのでは?」といったコメントをいただいた。最後に、ルーベンシュタイン氏が「コレージュの実態に手厳しい批判を加えることは容易いが、しかし、その試みや方向性はフランスの伝統的で保守的な学術制度においてはやはり貴重なものである」と肯定的に流れを締めくくった。

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1983年4月、ジャック・デリダはコーネル大学で、講演「根拠律――その被後見者の瞳に映る大学」(日本語訳は『他者の言語』所収)を、やはりこのAndrew D. White Houseでおこなった。国際哲学コレージュの創設を半年後(10月)に控えていることにも言及しながら、デリダはコーネル大学の景観やその周辺の地形と絡めて大学論を講じた。

知識に対して眼を開くことが人間が理性的な動物へと移行する第一歩だとすれば、瞳、視野、眺望、展望といった問いはまさに理性の根本をなす。大学はこうした理性の制度化であるが、では、「大学からの眺望とは何か(What is the view from the University?)」とデリダは問いかけ、コーネル大学の歴史を紐解く。

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(創設者エズラ・コーネル)

創設者エズラ・コーネルは理事会役員たちを連れてイサカ市の丘の上に登り、「この眺望とともに新たな大学を創設する」と説明したという。ここには、若者が教養を身につけ、生き生きした瞳で高みから世俗世界を見下ろすというロマン主義的崇高さが感じられる。そこでデリダは同時に、コーネル大学の別の地形的特徴にも触れる。この周辺は渓谷地帯であり、大学は渓谷にかかるいくつかの橋で町と結ばれているのだ。

渓谷の風景がもたらす深淵の問いを喚起しつつ、デリダはライプニッツとハイデガーの根拠律を論じ、理性が理性自身を基礎づけるという循環のなかには実はこうした深淵が介在しているとする。社会を眺望する大学の理性の瞳はこうした無の深淵を宿すのであり、生と死の狭間で、開放と閉鎖のあいだで大学の問いをいかに考察するべきだろうか。世俗社会から隔離された理性の「孤独と自由」の眺望がフンボルト的な近代の大学理念だとすれば、デリダの方は、理性がつねにその無根拠性に曝され、脱構築的な運動をおこなう大学の瞳を強調するのである。

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(コーネル大学周辺の渓谷。学生の投身自殺も少なくないという。)

今日、大学の瞳とは何か、大学からの眺望とは何か――コーネル大学での3日間の、しかし、あまりにも濃密な滞在を終えて、終盤の上映会に向けて、再びニューヨーク市へと旅立つ。

UTCPブログより一部を転載
http://utcp.c.u-tokyo.ac.jp/blog/2009/09/post-277/
[ 2009/09/09 21:48 ] 上映報告(海外) | TB(0) | コメント(-)

【報告】旅立ちの唄――亡命者の大学The New School for Social Research

衆議院選挙で民主党の歴史的勝利が達成された翌日、映画「哲学への権利――国際哲学コレージュの軌跡」の上映と討論会のために、晩夏の台風のなか、アメリカ東海岸に旅立った。

異郷へ旅したものは往々にして、正確には真実とは言いがたいことまで
主張しがちなものです。――『ほらふき男爵の冒険』

映画「哲学への権利」では、デリダが脱構築の論理によって創設した国際哲学コレージュを例として、効率性や収益性が重視される資本主義において、哲学や芸術などの人文学的なものの現場をいかに構想するのか、が問われている。今回の旅ではデリダが定期的に、あるいは短期間教鞭をとっていた四つの大学で映画上映と討論会を準備している。脱構築はたんなる理論ではなく、デリダによる研究教育の実践と切り離せない。彼に縁のあるアメリカの大学で上映と討論をおこなうことで、研究教育と脱構築の関係やその展望を問いたいと考えている。まずは9月3日、ニュー・スクール・フォー・ソーシャル・リサーチで第一回目の催事が開催された。

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(創設当初から残っている国際様式の建物)

ニューヨーク市のグレニッジ・ヴィレッジ周辺に位置するThe New School for Social Research は、1918年に教育哲学者ジョン・デューイらの発意によって創設された。第一次世界大戦中、ナショナリズムの高揚によって政府による表現(例えば反戦の表明や外国人への寛容)の検閲や抑圧が強まっていた頃、コロンビア大学のリベラル派教師が中心となって新たな学府――New Schoolという校名は彼らの理想を物語る――を設立する動きが起こったのだ。例えば、必ずしも学士号をもっていない社会人向けの大学院をアメリカではじめて創設したのはNew Schoolだった(校名は日本語で「社会研究新学校」と訳されるよりも「ニュー・スクール・フォー・ソーシャル・リサーチ」を仮名表記されることが多い)。

1930年代、ドイツやイタリアなどでファシズムの暗雲が立ち込めると、The New Schoolは亡命を余儀なくされたヨーロッパ知識人(とりわけユダヤ人と社会主義者)を受け入れるために制度的に尽力した。1933年、ロックフェラー財団の支援を受けて、学内にThe University in Exile(亡命者の大学)が大学院部門として設立されたのだ。この大学は戦時中、180名以上ものヨーロッパの卓越した知性を受け入れ、この学府の知的な歓待精神を証明することになるだろう。The New Schoolは1918年と1933年に二度誕生したと言われる所以である。

現象学的社会学の始祖アルフレッド・シュッツ、異形の政治哲学者レオ・シュトラウス、ゲシュタルト心理学の創始者マックス・ヴェルトハイマー、『ファシズムの集団心理学』を著わしてナチスから危険視された精神分析家ヴィルヘルム・ライヒらが海を渡って「亡命者の大学」へと迎え入れられた。死後公刊されたハンナ・アレント(1967-75年在職)晩年の講義録「カントの政治哲学」はThe New Schoolで実施されたものであり、哲学者ハンス・ヨナスが生命や責任の哲学を練り上げたのはThe New Schoolに奉職中(1955-76年)のことだった。

また、The New Schoolはフランスとの学術交流においても重要な役割を果たしてきた。1942年、亡命したフランス語圏の研究者たちのために「高等研究自由学院L'École libre des hautes études」がThe New Schoolの近隣に創設される。ナチス政権によるフランス占領に反対してド・ゴールは亡命先のロンドンから対独抵抗運動「自由フランス」を世界各地に呼びかけたが、自由学院の設立はその一環であった。ジャン・ヴァールらの尽力によってロックフェラー財団の資金援助で開設されたこの亡命者の学院では(初代事務局長はアレクサンドル・コイレ)、クロード・レヴィ=ストロースやローマン・ヤコーブソンが教鞭をとっており、二人の知的交流が構造主義思想の着火点となったことはよく知られている。戦後、自由学院はパリへと徐々に拠点を移し、「社会科学高等研究院l'École des hautes études en sciences sociales」として改編されたが、その後もThe New Schoolとの密接な連携を保っている。

こうした歴史的背景から、The New Schoolの哲学科はアメリカでも珍しくヨーロッパ大陸哲学が講じられている学科である。アメリカのほとんどの哲学科では分析哲学系が多数派を占めているが、The New Schoolではフランス現代思想に至るまでのヨーロッパ哲学が盛んで、とりわけフランクフルト学派の批判理論研究では有名である。現在は、レヴィナス研究で知られるサイモン・クリッチリー、政治哲学研究のナンシー・フレイザー、批評理論研究のリチャード・バーンスタインなどが教鞭をとっている。また、A・シュッツの業績を記念して現象学研究のために「フッサール資料館」/が、H・アレントの業績を保管するために「ハンナ・アレント・センター」が哲学科には設置されている。

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新学期第一週目に開催された上映会は木曜夜の定期的な哲学科コロキウムの枠で実施され、約25人程度が集まった。サイモン・クリッチリー氏とゼッド・アダム氏に相手をしていただいた討論会では、アメリカとフランスの高等教育制度の相違を追加説明するなかでいくつもの質問を受けた。

「学生と教師の関係は映画では描かれていないが、デリダは両者のいかなる関係を理想としていたのか」「ディレクターの選抜試験は本当にうまく機能しているのか」など。「このネット社会において、大学とは何か。クリッチリー氏の講義を授業料を払ってNew Schoolで聞くことと、YOUTUBEで彼の講義を無料で自宅で聞くことの違いは?」とやや挑発的な説明をしたせいか、大学の存在意義の議論が盛り上がった。

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かつて国際哲学コレージュのディレクターを務めたこともあるクリッチリー氏は、その経験から3年ごとに人選がなされるコレージュの一貫性をどう確保するのか、あくまでもフランスに拠点のあるコレージュの国際性をどう考えるのか、などについてコメントした。

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アメリカでの初めての催事なので大変緊張していたが、初回を何とか無事に事を終えることができた。後の日程も手抜かりのないように、イベントをひとつずつ終わらせていきたい。

メールのやりとりだけでこのような催事を開催していただいたクリッチリー氏とアダム氏には感謝する次第である。また、準備に協力していただいた同校出身のナヴェ・フルマー氏にも謝意を表わしたい。

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〈参考文献〉
Peter M. Rutkoff, William B. Scott, New School: a history of the New School for Social Research, Free Press, 1986.
Claus-Dieter Krohn, Intellectuals in Exile: Refugee Scholars and the New School for Social Research, Univ. of Massachusetts, 1993.


UTCPブログより転載
http://utcp.c.u-tokyo.ac.jp/blog/2009/09/post-275/
[ 2009/09/04 21:38 ] 上映報告(海外) | TB(0) | コメント(-)

2009年9月上映スケジュール

9月3日(木)18:00-21:00
The New School for Social Research

Room 906, 6 East 16th Street, New York, NY 10003
with discussion moderated by Simon Critchley, Zed Adams and Y. Nishiyama

9月8日(火)16:30-19:00
Cornell University
(French Studies)
Guerlac Room, Andrew D. White House, 27 East Avenue, Ithaca, NY 14853-1101
with discussion moderated by Laurent Dubreuil, Bruno Bosteels and Y. Nishiyama

9月10日(木)16:00-19:00
New York University
(East Asian Studies)
Room 312, 715 Broadway, 3rd Floor, Department of East Asian Studies, New York, NY 10003
with discussion moderated by Thomas Looser and Y. Nishiyama

9月11日(金)17:00-20:00
Yale University
(the Todai-Yale Initiative)
Room 208, the Whitney Humanities Center, 53 Wall Street, New Haven
with discussion moderated by Haun Saussy, Yasunari Takada and Y. Nishiyama

9月27日(日) 17:00-20:00
渋谷「UPLINK FACTORY」
(Bunkamuraより徒歩3分)
Tel.03-6825-5502 / http://www.uplink.co.jp/factory
東京都渋谷区宇田川町37-18 トツネビル1階
料金:1,800円(1ドリンク付/メール予約可)
予約希望の方は(1)お名前、(2)人数[[一度のご予約で3名様まで]、(3)住所、(4)電話番号を明記の上、件名を「予約/『哲学への権利』上映会」として、factory@uplink.co.jpまで
[ 2009/09/02 00:04 ] 上映スケジュール | TB(0) | コメント(-)

【取材記@パリ】学問の無償性

取材後半、カトリーヌ・マラブー、ジゼール・ベルクマン、フランソワ・ヌーデルマン、ボヤン・マンチェフのインタヴューをおこない、国際哲学コレージュに関する取材が無事に終わった。

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カトリーヌ・マラブー(パリ第10大学。1989-94年コレージュのプログラム・ディレクター)

今回の取材では事前から100ユーロ(約16,000円)の報酬を条件に交渉を進めてきた。今回の仕事は個人科研費によるものだが、既定の取材報酬料としては標準的な額である。だが取材が終わり、報酬を手渡す時になると、みな一様に心底驚いた様子で「もちろん無償でいいのに……なんて寛大なことを……」と言葉を返してきた。「これは公的な資金による報酬なので、私が個人的に出資しているわけではないから大丈夫です」と言うと、やっと納得して報酬を受けとってくれるのだった。そもそも、フランスではシンポジウムでの研究発表や雑誌への寄稿など、学術的活動が無償でおこなわれることは多い。それゆえ、今回の取材が無償であることはフランスの常識からすれば当然のことなのだろう。だが、私見では、彼らの驚きはコレージュにおける無償性の原則とも深く関わるように思えた。

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国際哲学コレージュでの研究教育活動は、どんなに著名な研究者(昨今の例を挙げると、シクスー、バデュウ、スティグレール、アガンベン、ネグリなど)であってもすべて無報酬である。常駐する事務局スタッフには給与が支払われるものの、研究者は役職に就いていても報酬はない。国際シンポジウムの場合でも、旅費と滞在費は出るが講演料は支払われない。とくにアングロサクソン系の研究者がこの規定に驚きの色を隠さないという。

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ジゼール・ベルクマン(現在のコレージュのプログラム・ディレクター)

逆に、聴衆の方からすれば、コレージュの研究教育プログラムは原則的に無料であらゆる人に公開されている。そして、ゼミを受講する人々に客観的な見返りはない。コレージュは大学ではないので、授業をいくら受けたところで単位が出るわけでも、学位が取得できるわけでもないからだ。なぜこれほどの研究教育が無償性の原則に基づいて実現されるのだろうか。

今回の取材で私がこだわった主題のひとつがこの無償性だった。コレージュが反時代的な仕方で実践している学問の無償性は、いわば学問を通じたキャリア主義と相反するものである。研究教育活動を通じて、教師は報酬を受け取り、学生は社会的な評価(単位や学位)を獲得する。しかし、コレージュではこうした経済的な交換関係とは異なる論理で研究教育が実施されるのだ。実際、コレージュに影響を受けて、この20年間で、大学で市民公開講座が開設され、市中の喫茶店での自由討論会「哲学カフェ」の試みが広がっていき、あらゆる社会階層の人々が無償で哲学の研究教育に接する機会が増えたという。

研究教育活動が特定の個人の成果やキャリアに還元されえないとき、学問は無償性の原則に基づいて、もっとも強い意味で共同的なものとなるのだろうか。

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フランソワ・ヌーデルマン(パリ第8大学。2001-04年コレージュ議長)
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今回の取材では国際哲学コレージュ関係者7名にインタヴューをするというこの上なく貴重な機会を得た。新自由主義的な経済的価値観が浸透する中、フランスでも人文学や哲学に対する風当たりはきわめて強くなっている。取材した誰もが人文学研究に対する切迫感を抱きながら、国際哲学コレージュという枠組みにおいて人文学の展望を今後どのように考えればよいのか、真摯な言葉を情熱的な口調で返してくれた。彼らの重々しい言葉に耳を傾けながら、私はつねに、それらの言葉を引き継ぐべき自分の姿を想像するように強いられた。今後はインタヴュー記録を映像作品として完成させ、何らかの形で公開したいと考えている。インタヴューに快く応じてくれた関係者の方々、現地でアシスタントをしてくれた友人たちには深く感謝する次第である。

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ボヤン・マンチェフ(現在のコレージュ副議長)

最後のマンチェフ氏の取材はリュクサンブール公園で実施されたが、一週間前、日光浴でごった返していたあの和やかな風景はもうなかった。新学期が始まって一週間、もう秋の涼風が吹くパリの街は日常生活がすでに始まっている雰囲気だ。私も東京での日常に戻らなければならない。取材記録を携えて帰路に就くため、シャルル・ド・ゴール空港に向かった。

UTCPブログから転載
http://utcp.c.u-tokyo.ac.jp/blog/2008/09/post-124/
[ 2009/09/01 23:53 ] 報告・取材記 | TB(0) | コメント(-)

【取材記@パリ】制度と運動

2008年9月初旬、夏のヴァカンスが終わり、新学期の慌ただしい賑わいを見せ始めているパリに短期滞在した。ジャック・デリダらが創設した研究教育機関「国際哲学コレージュ」の取材のためである。

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(新学期前最後の週末、人々が日光浴で賑わうリュクサンブール公園)

国際哲学コレージュ(Collège international de Philosophie : CIPh)は、フランス政府の依頼を受けて、デリダがフランソワ・シャトレらとともに、1983年秋にパリのデカルト通りに創設した研究教育機関である。産業・研究、文部、文化の三大臣の後押しを受け、経済的な支援を受けてはいるものの、基本的にはアソシエーション法に依拠して創立された半官半民の組織である。コレージュは、哲学のみならず、科学や芸術、文学、精神分析、政治などの諸領域の非階層的で非中心的な学術交流によって新しいタイプの哲学を可能にするという、当時としては画期的な組織だった。

コレージュでの学術的催事はすべて無料で誰にでも開かれている。年間約40-50が開催されるセミネールは、大学にポストを得るために研鑽中の若手研究者からアガンベンやネグリなどの著名人までが担当している。その他にも、 シンポジウム、講演会、書評会などのプログラムがある。また興味深いことに、コレージュは原則的に固有の建物を所有せず、したがってキャンパスもない。コレージュの研究教育プログラムが実施される場所にコレージュが場をもつとされる。実際、コレージュは海外の研究者と連携して、パリのデカルト通りのみならず、世界中のいたる所でプログラムをおこなっている。

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(ミシェル・ドゥギー氏(パリ第8大学名誉教授。1989-92年コレージュ議長)

このヴィデオ・インタヴュー取材の目的はまず、フランスの大学制度の余白で機能するそうしたコレージュの独特の活動や歴史を歴代議長や関係者の証言から明らかにすることだ。コレージュの定義、コレージュと従来の大学との違い、コレージュの領域横断的な理念の有効性、コレージュの研究教育活動と経済的価値観(収益性、効率性、卓越性)との望ましい関係、コレージュと場所の問い、コレージュの課題と将来性、コレージュと創設者デリダの関係などをめぐって質問を投げかけた。

もっとも、取材を通じて、たんにコレージュの活動や歴史を理解し紹介するだけでは不十分である。コレージュの成果と失敗を通じて、これからの哲学、さらには人文学はどのような研究教育制度において可能なのか、という今日的な問いをめぐって彼らと共に議論を交わすことが本来的な目的である。興味深い古き良き思い出話を引き出すだけではなく、哲学や人文学の今後の展望について彼らの証言から何らかの感触を掴みたいと考えた。

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コレージュの歴代議長への取材という大胆な企画など実現できるのだろうか――私は限られた人脈を通じて取材対象者にコンタクトをとった。だが、そうした不安とは裏腹に順調に取材許可がおり、「ヴィデオ・インタヴューなら静かな場所がいい」と自宅を使わせていただくこともできた。さらには、「それは重要な仕事だからXも紹介するから会いなさい」と言われて輪が広がり、準備が整っていった。

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(ブリュノ・クレマン氏(パリ第8大学。2004-07年コレージュ議長)

国際哲学コレージュが実践しようとしているのは、特殊な制度と流動的なアソシエーション(運動体)のあいだで、いかなる哲学が可能かという問いである。古代ギリシアにおけその生誕以来、哲学は「知を愛する」活動である以上、固有の制度を必ずしも必要とはしない。固有な場所と何処にもない非-場所(ユートピア)のあいだで、哲学のいかなる研究教育を実践していくのか。取材を通じて、哲学と研究教育、哲学と制度をめぐる本質的な問いのなかに巻き込まれていった。

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フランシスコ・ナイシュタット氏(ブエノス=アイレス大学)

哲学の務めのひとつは、問いに性急に答えるのではなく、問いを問いとして洗練させていくことである。歴代議長のミシェル・ドゥギー氏とブリュノ・クレマン氏、海外プログラム・ディレクターのフランシスコ・ナイシュタット氏への取材が無事に終了した後、今一度、策を練り直して後半の取材に望み、自分なりの問いを描き出そう。

UTCPブログより転載
http://utcp.c.u-tokyo.ac.jp/blog/2008/09/post-121/
[ 2009/09/01 23:52 ] 報告・取材記 | TB(0) | コメント(-)

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