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公式HP映画「哲学への権利――国際哲学コレージュの軌跡」

本ブログでの情報はすべて個人HPに移動しました。今後はそちらでの閲覧をお願いします。⇒http://www.comp.tmu.ac.jp/nishiyama/

ホーム > アーカイブ - 2009年08月

国際哲学コレージュに対するフランス政府の圧力

ジャック・デリダらが1983年に創設した国際哲学コレージュは、社会の効率性を重視する現サルコジ政権からその存続の危機を脅かす圧力がかけられている。

国際哲学コレージュは、哲学研究に情熱を傾ける中等教育の教員にその研究教育の機会を与えようと門戸を開いてきた。フランスでは、高校で哲学の教員をしながら博士論文を執筆し、大学での常勤ポストを得ようとするポスト・ドクターが少なくない。国際哲学コレージュは公募審査を設けて、彼ら/彼女らにセミネールを担当する機会を与えている。現在、プログラム・ディレクター50名のうち、実に15名がそうした高校の哲学教員である(また外国人枠は10名)。また、国際哲学コレージュが根本的に国際的な研究教育組織である以上、彼らには国際的な活躍の舞台が用意されることになる。

ところが、現在の教育改革によって、こうした公務員の「兼務保証」が廃止され、彼ら/彼女らの研究の機会が奪われようとしている。学校の先生は教育活動に専念するべきで、研究する暇などないはずだ、という論理である。これは国際哲学コレージュのアイデンティティを脅かすだけでなく、フランスにおける哲学研究の創造性と活力を削ぐ改革となるだろう。

コレージュのプログラム・ディレクターは聴衆と賛同者に公開書簡で連帯を呼びかけたが、日本語訳を以下掲載しておく。

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国際哲学コレージュの新旧プログラム・ディレクター、その聴衆と賛同者への手紙

国民教育省は2009年9月の新学期から公務員の「兼務保証」を撤廃する意向を示している。「兼務保証」とは、中等教育に従事する教員(現在15名)が、非常勤職として、国際哲学コレージュ(CIPh)での研究プログラムを担当することを可能とする制度である。この措置は二つの論理に基づいている。一方で、いわゆる公務員制度の「現代化」法は「兼務保証」を撤廃し、「出向制」に切り替えようとしている(そうなると、非営利団体が公務員の出向分の給与の穴埋めをすることになる)。他方で、国民教育省の「活動領域の再規定」が影響している。国民教育省は高等教育研究省から分離した後、狭義の学校教育に関係のない活動をことごとく放棄しようとしているのだ。

兼務保証を撤廃すれば、幅広い社会参加の機会が奪われ、教育が荒廃することになる。社会に必要な任務(就学困難な児童の支援、スポーツ関係の団体など)を遂行しているあらゆる類の非営利団体からその行動手段が奪われることになるだろう。国際哲学コレージュだけでなく、市民社会全体が危機に曝されるのである。近年、ヨーロッパ各国政府(とりわけイタリアとスペイン)は研究教育の公的制度を解体し続けているが、今回の決定はその一環と言える。国際哲学コレージュに関して言えば、この措置は特殊な次元を含んでいて、つまり、コレージュのアイデンティティが、さらにはその存在が根本的な危機に陥いることになる。つまり、これは哲学研究を窮状に陥れる脅威にほかならないのだ。

そもそも国際哲学コレージュは哲学を根本的に解放するという理念から誕生した。哲学研究は取得学位や履修科目を問わず、あらゆる聴衆に開かれていなければならず、フランス人と外国の研究者が互いに交流しなければならない。哲学研究は諸々の専門科目が交錯する地点に位置づけられなければならない。人文科学、精密科学、文学、芸術は哲学を必要としており、逆に、哲学もまたそれらの学を必要としているのだから。哲学研究は研究教育制度に属する研究者だけでなく、聴衆の関心を引く研究プログラムを提供しうるあらゆる人々によって実施されなければならない。中等教育と研究の連関は、創設以来、国際哲学コレージュのアイデンティティをなしてきた。思い出しておきたいのだが、この着想はGREPH(哲学教育に関する研究プループ)の活動から生まれたものであり、GREPHの発起人たちは高校最終学年だけで実施される哲学教育をさらに拡張しようと望んでいた。哲学教育を拡大するのは、原理的に言えば、研究が教育と深く結びつくことで研究内容が公になることが重要だからである。また、教職に就くすべてのひとに研究の精神がみなぎることは大切だからである。教養や都市における哲学の範囲という考え方は啓蒙主義の遺産なのである。

今日、国際哲学コレージュの活動は、国民教育省と高等教育研究省の分離が象徴する経済合理主義によって脅威に曝されている。経済合理主義を機械的に適用すれば、研究と教育の役割区分が切り離されてしまい、それは国際哲学コレージュが担う哲学の理念とは逆行するものとなるだろう。中等教育の教員は研究する必要などない、というわけである。哲学研究は細分化されたアカデミックな空間のなかに閉じ込められ、公式化され正統化された対象に限定されるのだ(にもかかわらず、領域横断性や学際性は大いに奨励されるのだ!)。国際哲学コレージュが国際的な評価を獲得しているのは、まさに、その研究活動が知の諸領域のあいだをしばしば横断しているからではないだろうか。コレージュが、20世紀後半のフランスにおいて、哲学の創造性を増大させ、その密度を高めたからではないだろうか。コレージュは、フランスにおいて、そして、国際的にみて、哲学の分野で重要な位置を占めており、その独創性は保護されるべき豊饒さを体現している。

国際哲学コレージュが活用してきた「兼務保証」制度を代替案なしに撤廃すれば、その影響は、中等教育に携わる現在のプログラム・ディレクターに及ぶだけではない。この決定はコレージュのアイデンティティと存在そのものを危うくするのだ。コレージュは、これまでその根幹をなしてきた哲学や哲学研究の理念とはかけ離れた、慎ましやかで害のないお飾りの文化団体と化してしまうおそれがある。この事態が明らかにコレージュの将来に関わるものである以上、私たちは今回の処置のことを広く知ってもらうために、あらゆる賛同者に、あらゆる手段を介して訴える(支援メッセージや行動提案はウェブサイトCIPh en lutteを通じて配信される)。

こうした目的で私たちは、国際哲学コレージュの新旧プログラム・ディレクター、その聴衆と賛同者を招いて、2009年1月17日土曜日、国際哲学コレージュを支援する討論集会を開催する。会では、コレージュでの経験を共有することを手始めとして、各人の発言やラウンド・テーブルを通じて、コレージュの多様な使命が検討され、コレージュの企図が現在の状況に照らし合わせて確認され、継続され、刷新される予定である。

国際哲学コレージュ 現プログラム・ディレクター一同

(日本語訳:西山雄二)

【日本語訳のPDF版のダウンロード】 ⇒ こちら

UTCPブログより転載
http://utcp.c.u-tokyo.ac.jp/blog/2008/12/post-157/
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[ 2009/08/30 23:36 ] 映画の概要・内容 | TB(0) | コメント(-)

「脳カフェ」の試み ― 人文学にとって現場とは何か

脳科学の知見を社会に開放し、自由に議論できる場を設けようと、本年4月から東京大学UTCPでは「脳カフェ」が開始され、すでに3回を数えている。発起人であるUTCP研究員の中尾麻伊香さんに「脳カフェ」の成果と可能性をうかがい、「人文学にとって現場とは何か」について思いを巡らせた。

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科学の専門的知識を社会のなかで議論する場として、すでに「サイエンス・カフェ」が各地で試みられている。また、哲学思想系の「哲学カフェ」も草の根的に実施されている。一見、「脳カフェ」という命名は、「脳科学」という特定の専門分野に対象を限定しているかのように聞こえる。しかし、中尾さんが目指すのは、逆に、脳科学を中心とするカフェを開催することで、「サイエンス」と「哲学」を、つまり、知の実証性と思弁性を架橋する地点(例えば、脳神経倫理など)を幅広く開くことである。

「脳カフェ」では、大学の教室やセミナー室とは異なる場所で、飲食しながら気軽に議論できる場づくりが重視される。これまでの3回では、場所や状況を変えながら、「脳科学を議論するための現場をいかにしてつくり出せばよいのか」が模索されてきたし、今後も試行錯誤されることだろう。

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[第1回@初年次活動センター]

第1回目「しなやかな脳、柔軟な社会」は初年次活動センターで実施され、45名ほどが集まった。狭い部屋だったので、独特の親密感のなかで議論が交わされた。第2回目「記憶を取り戻す!? 食べて治す認知症」は、学内の軽食レストラン「イタリアン・トマト」で実施され、30名ほどが集った。実際のカフェでたしかにおこなわれたわけだが、しかし、プロジェクターやマイクを準備することで、逆説的にも、カフェが教室化してしまうという逆効果も生じたようだ。実は「本物のカフェ」がそのままで「公共的なカフェ」であるわけではなく、そこで知的交流を成立させるためには適切な工夫が必要なのである。

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[第2回@イタリアントマト]

第3回目「道徳って何?―脳科学が明らかにする道徳的認知のメカニズム」は、18号館4階の多目的オープン・スペースで実施され、40名ほどが参加した。たしかにこのスペースはセミナー室の一角にあって、一般の人間がふらっと立ち寄るような場所にはないので、クローズドな雰囲気だった。しかし、机と椅子を自由に配置することで、リラックスした議論のできる空間設営に成功した。

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[第3回@18号館4階オープン・スペース]

こうした現場づくりには数々の工夫が凝らされている——マイクを使用すると発言者の特権性が生まれてしまうので、地声で誰もが好きな時に発言できるようにすること。それゆえ、マイクなしで声が届くような小さな空間を用意し、場の一体感が損なわれないようにすること。大学院生が特権的な司会ではなく、ファシリテーター(促進者)として運営・進行を務めることで、院生各人の参加意識を向上させ、現場経験を豊かにしてもらうこと。「知識のある専門家」と「一般の非専門家」という非対称的な二分法ではなく、「すべての人が何らかの専門家である」という前提で相互的な知的対話を重視すること。それゆえ、専門家に「先生」として噛み砕いた話をしてもらうのではなく、各人の立場から気軽に議論できる場づくりを心掛けること。これまでは大学内の施設でカフェを臨時につくってきたけれども、今後は街中のカフェで実施してみること……等々。

「脳カフェ」の試みにおいては、「カフェ」という場の規定性を前面に出すことで、従来のセミナーや講演会のスタイルとは異なる知の公共性が目指される。しかし、そもそも、日本において「カフェ」とは何だろうか。

17世紀半ば以来、イギリスではコーヒーハウスが、フランスではカフェが人々に自由な交流と談話の機会を与えた。クラブやサロンが同じ階級の閉鎖的な空間であるのに対して、コーヒーハウスやカフェでは安価な値段で身分の異なる人々が言葉を交わした。世論を形成する「私設議会」ともなったコーヒーハウスは謀略とデマの危険な温床であるとされ、17世紀にはイギリス政府がコーヒーハウスを閉鎖したこともあった。コーヒーハウスやカフェがもたらした市民的公共性は、ときに過激な政治談議を許容し市民革命の源泉となり、文人や芸術家の交流を促して新たな文化を生み出す力となったのだった(スティーヴ・ブラッドショー『カフェの文化史』、臼井隆一郎『コーヒーが廻り世界史が廻る』など参照)。

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〔1868年創業のウィーンの老舗「カフェ・ツェントラル(Café Central)」。高い天井と壮美な円柱がベル・エポックの雰囲気を伝える印象的なカフェ。フロイト、ホフマンスタール、シュニッツラー、クリムト、シーレ、トロツキーなど、作家、詩人、画家、思想家、革命家たちの知的故郷。亡命したトロツキーはこのカフェでオーストリアの社会主義者たちと交流しており、革命はこのカフェから着火されたとさえ言われている。〕

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〔1885年創業のパリのカフェ「レ・ドゥ・マゴ(Les Deux Magots)」。ヴェルレーヌ、ランボー、マラルメが利用し、ピカソ、ヘミングウェイ、サルトルやボーヴォワールらが交流した伝説的なカフェ。シュルレアリズムと実存主義の興隆を促進した文化的な磁場であり、1933年には「レ・ドゥ・マゴ文学賞」も設立しているほど。〕

歴史的にみて、ヨーロッパのように、文士や芸術家が集い、談論風発する公共空間として現在の日本のカフェが機能しているだろうか。むしろ居酒屋において、あるいは、鍋料理を囲むことで、真摯な内容にしろ取りとめのない内容にしろ、議論が円滑に交わされるのではないだろうか。そして、そうした自由な議論の場と大学のアカデミズムの場はいかなる関係にあるのだろうか。ただたんに「飲食できるから自由で気軽」というわけではないだろう。

「大学を社会に開く」「アカデミズムの成果を一般の人々に還元する」「専門的な知識を人々に伝達する」——大学と社会、アカデミズムと在野、専門と非専門といった区別を前提として議論するだけでなく、さらに重要なことは、両者のあいだを結ぶ交渉の場をいかに構想し実践するのか、である。

(取材協力:中澤栄輔)
[ 2009/08/30 23:00 ] 報告・取材記 | TB(0) | コメント(-)

【取材記@パリ】パリ第8大学40周年記念シンポジウム

2009年5月11-14日、パリ第8大学の40周年記念シンポジウム「グローバル化時代の大学、卓越性のための競争」が開催された。

パリ第8大学は五月革命の余熱のなか、1969年に「実験大学センター」としてパリ郊外のヴァンセンヌに創設された。教員と学生の民主的な関係、大学と社会の実践的な関係を積極的に問い直そうとした画期的な大学である。映画、造形芸術、ダンス、演劇、精神分析、都市論、メディア論などの学科がはじめて導入されたのはパリ第8大学であり、また、領域横断的な研究教育が試みられた最初の大学でもある。発展途上国からの留学生を積極的に受け入れた点でも画期的だった(その写真記録集はVincennes : Une aventure de la pensée critique , Flammarion, 2009)。

そうしたパリ第8大学の創設理念に立ち返りながら、大学の今日的意義を問い直そうというのが今回の催事の趣旨である。世界各地の大学で教鞭をとっている同大学の卒業生を主な参加者としているため、実に国際色豊かなシンポジウムとなっている。また、「大学と労働の世界」と題して、労働組合の代表者と討議するセッションが組まれているのは興味深い。

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(封鎖されたエレベーター)
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大学の問題といえば、ちょうど、2月からフランス全土で大規模な抗議運動が継続され、長期化している。資金や運営をめぐる大学の自律化、教員の身分の不安定化、教員ポストの削減、競争的な評価制度の導入など、政府による一連の改革に抗議して、授業を停止してストライキをおこない、街路でのデモ行進がおこなわれているのだった。

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(壁一面にボール紙が貼られ、メッセージが記される。右端は大学改革を説明する図式。「資本主義」→「新自由主義」→「ボローニャ・プロセス」→「大学の自由と責任法」→「修士課程の整備:教員-研究者の身分改革」→「ゼネスト」)

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(総会。学生と教師による自発的な運営で、この日は200名ほどが集まる。政治情勢の確認、病院関係者と合同で実施される今度のデモ行進の日程と集合場所の確認、学期末ストの結果、成績評価や試験はどうなるのかに関する議論など)

パリ第8大学の現学長は若干40歳の法学者Pascal Binczakである。開会の辞での彼の言葉は印象的だった。「大学とグローバル化は知の普遍的な伝達という点で理想的な関係を示す。しかし、グローバル資本主義の競争主義によって、とりわけ1999年のボローニャ宣言以降、この夢は悪夢となった」。現在の大学改革では(日本の独立行政法人化と同様に)学長に権限を集約したトップダウン式の統治が称揚されているが、Binczakは早い時期から改革に反対し、学長に過度の権限をもたせてはならないと主張しているという。

シンポジウムは9つのアトリエに分かれる――「大学のグローバル化と国際化」「知識基盤社会」「言語とグローバル化」「自律」「大学と批判的思考」「評価―誰が何を?いかにして?いかなる目的で?」「領域横断性」「職業教育」「大学とその領域」。各アトリエでは各国の大学の諸問題が報告され、活発な議論がおこなわれた。

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UTCPブログより転載
http://utcp.c.u-tokyo.ac.jp/blog/2009/05/8/
[ 2009/08/30 21:47 ] 報告・取材記 | TB(0) | コメント(-)

再び見い出された大学の記憶──欧州連合エラスムス・ムンドゥス「Euro Philosophy」

「どこの大学から来たんですか?」「学部はフランスのポワティエ大学で、大学院に入ってからはプラハのカレル大学、ベルギーのルーヴァン大学、今月は日本の法政大学で、最後はフランスのトゥールーズ大学で修士論文を提出する予定です」──欧州連合エラスムス・ムンドゥスに参加する学生の答えだ。

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2009年4月の一ヶ月間、欧州連合エラスムス・ムンドゥスの哲学部門「ユーロ・フィロソフィー」が法政大学で開始され、関連イベントが東京と大阪で実施されている(2008-09年度法政大学プログラムと関連イベントの概要は本ブログ末尾に掲載)。エラスムス・ムンドゥスとは、ヨーロッパの大学間短期留学・単位互換制度を世界規模に拡大しようとする試みである。これまでは学部段階の制度だったが、新たに修士課程が2007年度から創設された。

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(フローランス・ケメックス氏の講義)

「ユーロ・フィロソフィー」では、毎年、非ヨーロッパ圏も含めて25名ほどが選出され、年間2万1千ユーロ(150円換算で315万円)相当の奨学金を得ながら、二年間で仏・独などの三つの大学で研究教育活動をおこなう。フランス語とドイツ語の習得が義務づけられており、主たる必修科目は「カントからニーチェに至るまでの近代ドイツ哲学」「ビランからドゥルーズに至るまでのフランスの現代哲学」「独仏の現象学」。年度初めにベルギーのリュクサンブール大学で、毎年一回パリの高等師範学校でプログラム参加学生全員が欧州各地から集い、集中講義が実施される。また、ヨーロッパの参加学生は、非欧州圏の提携大学、つまり、アメリカのメンフィス大学、ブラジルのサンパウロ大学、日本の法政大学のいずれかでこのプログラムを短期間受講しなければならない(今回、日本には5名の学生が滞在している)。

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このように欧州連合という政治的枠組みを確固たる背景として、国境を越えて、各々の大学において、回遊的な知性にもとづく研究教育活動が促進されているわけである。たんなる大学間の個人的な留学ではなく、個々人の研究教育活動の移動が制度化されている点で画期的な試みである。しかし、大学の記憶をたどり直してみると、こうした知の越境的運動は中世ヨーロッパの大学の特徴をなしていたと言える。

12世紀に教師の同業組合から生まれた大学(universitasは「組合・結社」の意味)は専用の建物を所有せず、教会や修道院のなかで授業がおこなわれた。少数の大学都市にはアルプスの峠道を越えて学生たちが集い、また彼ら遊歴学僧(ゴリアルディ)たちは優れた教師のところへ自由に転学した。実際、神学、法学、医学、人文学という4学部と並行して、大学では国民部(nations)が有力な自治組織として機能していたのは、各地方から大学都市に集ってきた移動する学生たちの生活を支援するためだった。例えば、フランス(現在のパリ周辺を含意)、ピカルディ、ノルマンディ、イングランドといった国民部が組織されていたのだった。

また、少なくとも15世紀になるまで、教師と学徒の群れそのものが引っ越しを厭わなかった。大学団は世俗的権力の事情によって拠点の移動を余儀なくされることもあれば、また逆に、当地の権力に抵抗して自主的に移動を敢行することもあった。例えば、13世紀半ばに聖俗権力との対立からパリの大学団が講義を停止し、トゥールーズとケンブリッジへと移動した事件は中世大学史上で最大の引っ越しである。

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(ルネッサンス期最大の人文学者エラスムスもまた、トリノ、ケンブリッジ、アントウェルペン、バーゼル、ルーヴァンなど、ヨーロッパ各地を転々としながら研究・執筆活動を続けた。)

大学はキャンパスという閉域のなかで動かない「象牙の塔」ではなく、逆に固有の場所とは結びつかず、つねに移動する運動体だった。ヨーロッパのさまざまな知性が集合し流動し、大学はつねに旅の途上にあった──今回のエラスムス・ムンドゥスはこうした大学の原光景を強く思い起こさせるものである。

この野心的な試みを、現在、私たちはいかに評価するべきだろうか。画期的とはいえ、少数エリート主義を促進するだけで、高等教育の民主化・大衆化とは逆行する試みだと批判する向きもあるだろう。しかし、政治的・経済的なグローバル化が世界の画一化を押し進めるのだとすれば、それとは別の仕方でコスモポリタニズムを発明することができるのは、ともすれば、こうした知性の積極的な移動によってではないだろうか。そして、欧州連合とは異なる歴史的文脈をもつこの東アジアにおいて、制度と運動の狭間で大学という存在をいかに想像することができるのだろうか。

今回のエラスムス・ムンドゥス「ユーロ・フィロソフィー」の講義および関連イベントは、他大学の大学院生や、さらには一般聴講者が自由に参加することが歓迎されている。哲学のヨーロッパの現場と日本の現場とが広く交わるこの絶好の機会に、できるだけ多くの方が参加されることを期待したい。
[ 2009/08/30 21:41 ] 報告・取材記 | TB(0) | コメント(-)

【取材記@ソウル】大学の外――Academy of Philosophy

2009年2月15日早朝、早尾貴紀、森田團、大竹弘二(UTCP)、國分功一郎(高崎経済大学)とともに飛行機に乗り込み、ソウルに向かう。ソウルの気温は思った以上に穏やかで寒さを感じない程度だ。到着後、翌日開催されるワークショップの打ち合わせのために「研究空間スユ+ノモ」を訪問した。

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研究者の知的共同体「スユ+ノモ」の独創的な挑戦に関する取材について、すでに別のブログ報告に掲載した。コ・ビョンゴン、イ・ジンギョンさんら懐かしい顔が出迎えてくれ、施設内のカフェでひとしきり談笑した。

私たちが話し合っていると、日本語を話す人もそうでない人も、知らない間にいろいろな人が寄ってきて傍に腰かけ、次第に話の輪が広がっていった。私たちは彼らに通訳の仕事しか依頼していなかったのだが、すでに発表原稿4本を翻訳してくれていて、とてもありがたく感じた。

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ちょうど2週間前、ブランショ研究者のPark Joon-Sangとパリで出会った。「来月ソウルに来るならば、自分が運営しているAcademy of Philosophy (通称Acaphilo)を訪問してほしい」、ということで「スユ+ノモ」の後で訪れてみた。

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Acaphiloは「哲学の大衆化」を目指して2000年にソウル市内に創設された私的な研究教育組織である。講義料は一年120万ウォン(12万円程度)で好きなだけ講義を受けられる。今学期(全8週)は32の入門・専門講座と8つの語学講座が開講されている。ネット上での論文や映像視聴サーヴィスを受けられるネット会員や生涯会員の枠もある。Acaphiloの目的は「開かれた討論の広場」を提供することだ。土曜フォーラムでは映画上映や小説家の講演などの催事も開催されており、将来的には哲学図書館、哲学書店などの創設を構想しているという。

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韓国では大学アカデミズムを指して「制度圏」という表現が用いられ、「スユ+ノモ」やAcaphiloはその外に創設された研究教育の現場である。訪問した私たちが即座に思ったことは、何故このようなことが可能なのか、という問いだ。日本でこのような研究者の施設を構想し実現することは困難であるように思えるが、その違いは何だろうか。韓国では日本以上に大学院での高学歴ワーキングプア問題が深刻だからだろうか。80年代の社会運動の余熱のなかで学問的アクティヴィズムの力が残存しているからだろうか。

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明日、ソウルは底冷えがするほどの寒さとなる模様だ。「スユ+ノモ」とUTCPが共催するワークショップのタイトルは「人文学にとって現場とは何か」である。

UTCPブログより転載
http://utcp.c.u-tokyo.ac.jp/blog/2009/02/post-191/index.php
[ 2009/08/30 21:22 ] 報告・取材記 | TB(0) | コメント(-)

参議院議員・広田一氏来訪 ― 高学歴ワーキングプア支援対策の拡充のために

参議院議員(民主党)・広田一氏がUTCPを来訪され、西山雄二が応対した。来週から補正予算案が参議院で審議されるのだが、若年研究者の正規就業支援事業費に関するヒアリング調査のためである。

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平成20年度補正予算第2号追加案は、選挙向けのバラマキにすぎないと評判の悪い「定額給付金」約2兆円を含めて、総額4兆7千億円が予定されている。その中で「非正規労働者雇用安定対策費」として「若年研究人材の正規就業支援事業費」が約10億円盛り込まれている。これは、独立行政法人・産業技術総合研究所(経済産業省管轄)が、博士号および学士・修士号をもつ若手研究者を、同研究所と企業との共同研究などに活用することで、正規就業に結びつく将来的な取り組みを促すものである。総額10億円を投じて、例えば、無職の博士号取得者を200名救済して、ひとり500万円を給付することで彼ら/彼女らの正規就職が確保される道を開くという方法が考えられるだろう。

広田氏とは今回の施策の具体的な検討だけでなく、大学院の実態、学術研究の将来的な展望、効果的な政策などについて語り合った。

大学院重点化によって、大学院生の数は20年前の7万人から、約26万人と約4倍もに増加している。文科省と大学側の利害が一致して執行されたこの制度変革に対して、誰ががどのような責任をとり、どのような施策を実施するのかが問われている。「自分が行きたくて大学院まで行ったのだから、就職できなくて路頭に迷っても、自業自得。自己責任でしょう」と冷淡に単純化することもできるかもしれない。だが、博士1人を育成するために投入される国費は1億円から1億5000万円である。国民の血税が注ぎ込まれた博士号取得者が、社会の片隅でフリーターとして置き去りにされることは、社会の知的活力として大きなマイナスである。高度な専門的技能をもつ彼ら/彼女らが社会のなかで積極的な役割を果たすことが望ましい。

だから、「なぜ博士号取得者を税金で救済しなければならないのか」という見解をまずは変える必要があるだろう。高学歴ワーキングプアを支援することは、生活保護のように個人を救済することを意味するだけではない。それは、日本の学術研究の構造全体を支援し活性化することにつながるのだ。諸個人の救済の妥当性ではなく、日本の学術の将来的な展望をどのように描くのかが問われている。

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芸術やスポーツの世界と同じく、学術研究の世界もまた、将来を夢見て下積みを重ねる多くの若手の情熱と労苦によって支えられている。授業を受ける学部学生と大学運営に携わる正規教員のあいだで大学院生は研究や教育の面で重要な役割を果たす。若手研究者全員が大学のポストを得られることを目標にとは言わぬまでも、ある程度の期間、若手が安定した研究生活を送ることのできる施策が望ましい。

だから、若手研究者の支援事業において重要なことは、目標を二重に設定し、二重の意味で「責任」概念を考えることである。国民の貴重な税金を使った施策である以上、当然ながら、数値目標を設定し、その結果を広く説明する責任が必要となる。具体的に何名の若手が就職できたのか、企業側に院生の好印象を与えることに成功したか、など具体的な成果が必要である。しかし、個別の成果とは別に、その成果がいかに低調なものであっても、日本の学術研究全体を底支えするという大局的な視点もまた大切である。短期的な視点で目に見える成果を要求するのではなく、この困難な時代のなかで、学術研究はいかなる希望を紡ぎ出すのか、といった問いに応答するために学術支援を実施する必要があるだろう。

若手研究者の支援事業においては、それゆえ、諸個人の結果に基づく説明責任(accountability)と学術の将来に対する応答責任(responsibility)という二重の目標と責任を考慮しつつ、長期的な視野で支援を継続させることが理想的である。
[ 2009/08/30 21:20 ] 報告・取材記 | TB(0) | コメント(-)

【取材記@パリ】思考の方向を定めるとはどういうことか――フランスの高校における哲学教育

フランスの高校においては哲学が必修科目であり、最終学年になると文系理系を問わず、高校生は週に4-8時間の哲学の授業を受ける。世界的に見て例外的な、フランスの高校における哲学教育はどのように実施されているのだろうか。

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2008年11月27日、ジゼール・ベルクマン氏の尽力によって、UTCP共同研究員の藤田尚志氏らとともに、パリ郊外のジュール・フェリー高校で哲学の授業を見学させていただいた。学生数約100名のジュール・フェリー高校はエリート養成的でも、問題児が多いわけでもない平均的な高校である。

フランスの高校で学科コースは文科系(L)、経済系(ES)、理科系(S)に分けられる。いずれも学科コースでも最終学年で哲学が課せられており、大学入学資格試験(BAC: Baccalauréat)にも哲学の科目が含まれている。BACはいわば日本のセンター試験のような大学進学者の共通試験である。ただ、日本の場合は、獲得点数に応じて大学進学が左右されるが、BACに合格するとほとんどすべての国立大学に入学することができる。BACでの哲学の筆記試験は4時間。三つの課題が出され、その設問のなかから小論文かテクスト注釈を選択する。試験課題は年度初めに公表されるので1年間の受験勉強期間があるわけだが、しかし、18歳の若者が4時間の哲学の論述試験に合格するためにはかなりの訓練が必要だろう。

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(きわめてシンプルな職員室。先生ごとの個別の机はない。先生は毎日出勤する必要はなく、授業のある日だけ学校に赴き、終わると日中でもすぐに帰宅する。)

最初に見学したのはドゥ・プルヌフ先生の授業2コマ(1コマは55分)。最初のクラスの主題は「欲望と自由」。欲望は受動的で情動的なものであるため、人間の自由に対する脅威であるようにみえる。欲望とはいまだ実現されていないもののに対する願望であり、その実現をめぐって諸個人の能力が試される。「欲望と自由」については、自分の能力に照らし合わせて、いかにして自己を統制するべきかが問題となる。授業では、デカルトの自由意志、プラトンにおける不死の問い、ストア派の自己統制などが参照された。

次のクラスの主題は「真理」。アリストテレスの論理学関係の著作群『オルガノン』におもに言及しながら、真理認識に至るために、判断の基準や規則を見い出し、習得することが必須であることを説明。同一律、無矛盾律、排中律を紹介し、推論や三段論法の論理を普遍-特殊、質-量のカテゴリーを踏まえながら具体的に教えた。

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(学生に人気のドゥ・プルヌフ先生。「幸福の探求は哲学の一部なのよ」と印象的な言葉を学生に投げかけていた。)

ドゥ・プルヌフ先生は学生との親密な雰囲気を十分に活かしながら授業を進める。そうした自由な雰囲気はときに学生たちの雑談をも許容するのだが、しかし、学生との対話を重視することで教室全体で活発な議論がおこなわれていた。

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お昼を学食で食べた後は、カジエ先生の授業。エピクロスの手紙とフロイトの「文明への不安」の抜粋を使用して「幸福」について、サルトルの抜粋を使用して「自由」について授業された。学生は抜粋プリントを読んできており、先生に発言を促されると自分の見解を述べる。「テクストを読む際には、テーゼ、争点、問題を浮かび上がらせることが重要です」「みなさんの段階では、分析したり批判したりするのではなくて、テクストが言わんとしていることの概観を明示することが大切です」と哲学の初学者に読解の基礎を示していた。

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(授業は厳しいパンション先生)

最後は、パンション先生による2年生向けの哲学入門。だが、入門とは思えない高度な内容。すでにいくつかの質問をめぐって小エッセイの宿題が提出されており、今回はその講評と添削がなされた。設問は「動物はいかなる意識をもっているのか」「欲求と欲望の違いとは何か」「『実存は本質に先立つ』というサルトルの命題をどう考えるか」など。「みなさんの小エッセイの出来は残念ながらいま一つでしたよ」と軽く言い放って授業開始(17歳の初学者がこれらの難問に答えるわけだから当然だと思うが)。学生が曖昧に使用した概念(自律、他律、偶然、反省など)に的確な規定を加えながら、哲学的理解を促していく。

日本と比べて、フランスの高校では授業中、学生の質問が活発だ。学生は沈黙しない。学生はどんどん手を挙げて絶えず質問をする。その内実は事実確認のレベルから、論理的な質問、的確な反論のレベルまでさまざまだ。排中律の説明の際には「それはパラドックスとはどう違うのか」、矛盾の説明の際には「対立との違いは?」との質問がすかさず出てくる。授業中、先生が説明しているあいだに、学生数名同士で話し始めることもあるが、それはけっしてたんなるおしゃべりではなく、思わず隣の学生と議論が始まっているという場合もあった。教師と学生とのあいだで絶えず対話や議論がなされることで、教室全体で理解を深めていくという連帯感が生まれるのだ。

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引用テクストが配布されることはあるが、教科書はない。「ここは重要だから」という先生の合図とともに重要な命題文が読み上げられると、学生はみなノートを取って正確に転写する。おもに学生と先生の対話と問答を通じて、問いの射程が十分に深められ、概念の規定が明確になり、命題の真偽が明晰に判断される。授業では、人物名や著作、概念やキーワードなど重要事項を暗記することではなく、何かを思考するための手段や基準、つまりは道具(オルガノン)を習得することが目指される。

思考の方向を定めるとはどういうことだろうか―今回の取材でもっとも印象に残ったのは、「思考するための基本的で的確な方法を学ぶ」という、哲学に課せられたもっとも単純な務めである。自由に思考することが重要なわけではない。自由に思考するためにいかなる制約や規則が必要なのかを自覚することが重要なのである。

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(休み時間に学生たちとの対話。「必修科目だから哲学の授業を受けているけど、哲学をやって何の意味があるのか、とは思わない?」と質問すると、「とんでもない! 思考の訓練のためにとても重要な授業なの」との返事。)

*今回の取材に際して尽力していただいたジゼール・ベルクマン氏、ジュール・フェリー高校のみなさんには深く感謝いたします。

UTCPブログより転載
http://utcp.c.u-tokyo.ac.jp/blog/2008/11/post-150/
[ 2009/08/30 18:33 ] 報告・取材記 | TB(0) | コメント(-)

【取材記@パリ】キャンパス計画――フランスの大学改革

9月の国際哲学コレージュ取材に引き続き、2008年11月末、国際フォーラム「哲学への権利」を開催するために再びパリに滞在している。パリは例年以上に寒い日が続いており、今日は早くも粉雪が舞った。

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現在、フランスでは急速に大学改革が進められている。2007年春、大統領に就任したサルコジはまず高等教育改革に着手し、早くも8月には「大学の責任法」を成立させる。フランスの大学は大部分が国立大学だが、この法律は日本の国立大学の独立行政法人化にも似た仕方で、各大学の企画運営に自律性をもたせると同時に自己責任を負わせる。この改革は大学における産学連携を可能にする一方で、大学の自立や自治を脅かし、学問の独立性に根本的な変化を強いるものであり、学生や教員の激しい反発を招いた。だが結果的に翌1月から早くも20の大学が自律化を遂行し、すべての大学は今後3年以内に改革にしたがうことになっている。

世界ランキングにおいて遅れをとるフランスの大学の水準を引き上げようと、ここ数年来、研究教育活動の効率化を図るために、「研究と高等教育の拠点」(Pres: Pôles de recherche et d’enseignement supérieur)や「先端研究の主題別ネットワーク」(RTRA: Réseaux thématiques de recherche avancée)といった施策が実施されてきた。大学の自律化を経た今年、高等教育研究省は「キャンパス計画(Plan Campus)」を打ち上げ、全国に10の「卓越したキャンパス(un campus d’excellence)」を新たに創設するとした。国営の電力・ガス会社EDFの一部を民営化して得られた資金をもとに、「キャンパス計画」には39億ユーロ(約5000億円)が投入されることになる。従来の大学施設の選択と集中を促進する抜本的で大規模な大学改革である。

この大胆な計画には批判の声もあがる。この新自由主義的な施策は大学間の階層化を促進し、とくに大都市と地方の研究教育格差を助長するものだからだ。また、政府主導の大学改革は往々にして大学の体制順応主義的な体質を助長し、その批判的精神を減退させることで、学問の重要な生命力であるその独立性を委縮させるからだ。しかし、大学ランキングにフランスの大学の存在感がないという焦燥感を打ち消し、研究教育の国際競争力を高めるという論理を説得することは難しかった。

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     (ソルボンヌ大学前広場)

大学人と財界人8名からなる審査委員会では、各応募キャンパスについて、研究教育の目的と展望、キャンパスの新設と移転の必要性、キャンパス・ライフの充実などが検討される。春の第一次募集では46の応募のうち、ボルドー、トゥールーズ、リヨン、モンペリエ、ストラスブール、グルノーブルが選出された。夏の第二次募集では20の応募のうちからパリ北部の「コンドルセ計画」(人文科学系)、パリ近郊ヴェルサイユの「サクレー計画」(理科学系)、マルセイユが選出され、さらに、パリ市内で最後の一拠点が決定され、「21世紀のカルチエ・ラタン」が創出される見込みだ。予想通り、大都市の伝統的な大学だけが拠点資格を獲得したわけである。

例えば、「コンドルセ計画」はヨーロッパにおける人文社会科学系の研究教育拠点形成を目指すものだ。パリ第1、8、13大学が連合し、社会科学高等研究院(EHESS)や高等研究院(EPHE)、人間科学館(MSH)と連携しつつ、2012年にパリ北部郊外のオベルヴィリエに新キャンパスが開設される。4億3,000万ユーロ(約560億円)を投じて新設される広大なキャンパスでは、約2,000人の教員と研究者、約15,000人の学生(6,500名が大学院生)が、整備された最新の施設や巨大な図書館で研究教育に従事することになっている。

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(フェルナン・ブローデルらが1963年に創設した人間科学館(MSH)もまた、新キャンパスに移転される。上はその完成予想図。パリ市内から研究教育機関の伝統的な建物がまたひとつ消え、その郊外化が始まる。)

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(グローバル資本主義の知的拠点として創設されるコンドルセ・キャンパスだが、その広場〔上図〕の名称は「人民戦線」、大学前に新設される地下鉄の駅名は「プルードン」)

日本でも2001年度から文部科学省のCOEプログラム(Center of Excellence卓越した拠点)が開始され、国際競争力に耐えうる研究教育の選択と集中が図られてきた。私たちのUTCPもまた、このプログラムの枠で大学内に設立された期限付きの組織である。

「卓越性(excellence)」の論理によって、高等研究教育は劇的な変容を迫られている。こうした潮流のなかで、資本の論理とはむしろ疎遠な人文学、とりわけ哲学にはいかなる意義が残されているのだろうか。今後、人文学、とりわけ哲学はいかなる制度として実現されるべきなのだろうか。人文学の責任を、哲学への権利をいかなる研究教育制度において構想するべきだろうか。

UTCPブログより転載
http://utcp.c.u-tokyo.ac.jp/blog/2008/11/post-149/
[ 2009/08/30 16:32 ] 報告・取材記 | TB(0) | コメント(-)

【取材記@アルゼンチン】四循環――1918年のコルドバ大学

地球の反対側へと移動するとは、いったい、いかなる経験なのだろうか――2008年10月初旬、バリローチェで国際哲学会議と国立図書館での会議「大学の哲学 合理性の争い」に参加するためアルゼンチンを訪れた。滞在中、ブエノスアイレスから北に700キロ離れた古都コルドバに取材にいくため、朝一番の飛行機に乗り込んだ。

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(ラプラタ河の夜明け)

  海は盲人のように孤独である。
  海は私には読み解けない古代語である。
  水底の夜明けは慎ましやかな白壁になり、
  その果てから煙のような光が生まれる。――ボルヘス「船旅」

今回の取材対象はコルドバ大学の歴史である。1613年にイエズス会によって創設されたコルドバ大学はラテン・アメリカで二番目に古い大学、アルゼンチン最古の大学である。この大学は最終的には1881年に国立大学として改組された。ブエノスアイレス大学およびコルドバ大学で学長を務めた国会議員フランシスコ・デリッチ氏にインタヴューをおこなった。

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(コルドバ大学の回廊)

2008年の今年は、アルゼンチンの高等教育における歴史的な出来事、1918年のコルドバ大学改革の90周年にあたる。イエズス会が創設したコルドバ大学はかつて、聖職者の養成や上流階級の子弟の教育のために機能していた。19世紀末、ヨーロッパから大量の移民がアルゼンチンに移住するのだが、その第二世代は社会的地位を獲得するために高等教育の機会を求め、保守的で貴族主義的なコルドバ大学の在り方に反発を強めていく。

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(法学部の建物。17世紀の石柱部分と近代的なビルとの融合。)

学生たちは大学の民主化を求めて、いかなる政治的介入をも受けない大学自治の確立、学術研究の近代化(カリキュラムの見直しなど)、あらゆる学生に教育の機会均等を保障するための授業料の無償化、研究教育の世俗化を要求した。とりわけ、画期的だったのは、共同統治の提案である。これは教師、学生、卒業生が平等に大学の要職の選出に参加するという大学の民主的統治の原理である。大学にもっとも安定的な関係をもつ教員がつねに大多数を占めることという原則が保持され、例えば、大学評議会が教師側8名、学生側6名、卒業生1名で構成され、役職人事の選出などがおこなわれる。卒業生もこの大学運営に参与できるとする点が興味深く、社会と大学の接点が配慮されているといえる。

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(大学前の街路では学生による作品展示、演劇上映がおこなわれていた)

1918年、学生たちはこれらの要求を掲げてデモをおこない、大学を占拠し、警察や国軍まで出動する出来事となった。最終的には世論の後押しを受けて、学生の要求が受け入れられる形で大学改革が進められ、その影響はペルーやチリなど南米諸国全体に広がっていった。教師、学生、卒業生による大学運営の原則は今なお保持されている。

また、1969年にはパリの68年5月革命の影響を受けて、コルドバ大学の学生と労働者による反政府運動が勃発する。多数の犠牲者を出しながらも、彼らは人権無視の軍事政権に対して異議申し立てを貫き、ついに大統領を退陣に追い込んだのだった。ちなみに、パリの68年5月では「禁止することを禁止する」というスローガンが叫ばれたが、これと同じ表現が1918年のコルドバ大学の改革の際に叫ばれていたという。

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(大学に隣接するアルゼンチン最古のラ・コンパーニャ・ヘスス教会。12月の年度終了時には、聖職者と教師によってセレモニーが開催される。)

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ボルヘスが「四循環」(『群虎黄金』)において寓意的に示したところでは、物語には四つの種類しかない。まず、もっとも古い物語として、勇敢な男たちが守備する強大な都市の物語が挙げられる。彼らはやがて都市が剣と炎に屈服することを承知の上で戦いを続ける。次は、先の物語と関係するもので、オデュッセウス譚のような帰還の物語である。その変奏として第三に、遠く彼方へと向かう探求の物語がある。最後は、キリストのように、神が犠牲になる物語であり、この物語は先の三つの物語とは異質な次元で語られるようにみえる。「物語は四種類ある。われわれは残された時間、それらの物語をあれこれ変奏しながら語っていくことになるだろう」。

現在の大学もまた、保守、帰還、探求、犠牲という四つの物語のあいだを循環する。大学における研究教育活動は無条件的な真実の探求をその根本原理とする。こうした学問の無条件性に即して大学は資本主義社会の余白として機能し、知的好奇心を絶やさぬ人々が帰還するべき場所をなす。だが、現在、大学制度は社会‐経済的な論理にすでに屈しており、この現実を承知した上で、私たちはなお、真理探究の独立性を守備しようとする。私はインタヴューの最後に、デリッチ氏に「現在の大学において犠牲にしてはいけないものは何ですか」と問うてみた。彼の返答は「民主性と自由が学術の探求と調和した在り方」だった。

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(コルドバ大学元学長のフランシスコ・デリッチ氏と)

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(現在は、市の南方にコルドバ大学の新キャンパスが創設されて、法学部を除くすべての学部学科が集約されている。社会に対する大学の開放という理念の下で、キャンパスには壁や塀はなく、誰もが大学の敷地内に入ることができる。写真は学生会館に掲示された「大学改革90年 1918‐2008」のポスター。)

UTCPブログより転載
http://utcp.c.u-tokyo.ac.jp/blog/2008/10/post-132/
[ 2009/08/30 12:32 ] 報告・取材記 | TB(0) | コメント(-)

【取材記@ソウル】「研究空間スユ+ノモ」の挑戦

博士号を取得したものの就職先がない「高学歴ワーキングプア」たちが創設した、大衆に開かれた研究教育のための自律的な生活共同体「研究空間スユ+ノモ(Research Machine “Suyu+Trans”)」――2008年8月1-2日、韓国・ソウルにて「研究空間スユ+ノモ」を訪問し、コ・ビョングォン講師らにインタヴュー取材をおこなった。

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(左からイ・ジンキュンさん、通訳のオ・ハナさん、コ・ビョングォンさん)

「研究空間スユ+ノモ」という場

1997年、ソウル郊外のスユリに国文学研究者・高美淑(コ・ミスク)が勉強部屋を開設した。就職先のない「高学歴ワーキングプア」たちが共同で研究空間を立ち上げたのである。後に、社会科学研究所を中心とする若手研究者たちが合流して、現在の「研究空間スユ+ノモ」が創設された。ちなみに「ノモ」は韓国語で「trans(越える)」という意味である。

「研究空間スユ+ノモ」はソウル中心にある南山近くのビル4階を一フロア借り切って運営されている。ここは理論探究がなされる研究所であり、数々の教育活動が実施される施設であるだけでなく、研究員の共同生活が重視されるコミューンである。三つの大きな講義室(兼ヨガ室および卓球室)、三つのセミナー室、カフェ、厨房+食堂、勉強部屋、美術室、育児室、映像編集室、仮眠室などを備えた「スユ+ノモ」が目指すのは学問と生活の適切な調和である。

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(厨房+食堂での食事風景)

例えば、食堂では当番制で食事が準備・調理され、昼夜の二食が1食約180円で提供され、毎回約30名が食事を共にする。食べ残しは厳禁で、食後はパンの切れ端で食器に残るソースまできれいに磨いて残さずに食べ切ることになっている。食堂とカフェでは会計箱に自分でお金を入れ、自分で食材を盛り、飲み物を注ぎ、自分の試用した食器類を自分で洗う。共に生活することと共に研究教育することの接続が「スユ+ノモ」ではもっとも重視されるのであり、この空間は研究と生活に関して参加者が共に悩むための場なのだ。

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(私が訪問した日に開催されていた特別英語プログラム。テクスト「コミューン主義宣言」をめぐって英語で討論)

「スユ+ノモ」の研究教育プログラム

現在、「スユ+ノモ」の運営会員は約60名で、常時200-300名ほどが研究教育プログラムに参加している。プログラムは主に、約30種類の通常セミナーと一般公開事業「空間PLUS」からなる。まず、セミナーは少人数の研究会で(最低2名から開催)、朝昼夜の三種類の時間帯で毎週一コマ3時間実施されている。毎月1,500円という手頃な授業料で約30種類のセミナーすべてに参加することができ、参加者数は各学期のべ100名ほどになる。

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(セミナー室)

また、「空間PLUS」は各種の公開事業で、例えば、その主要プログラム「講学院」は東洋思想に関する「古典講義」、西洋思想に関する「理論講義」、今日的なテーマを扱う「主題別講義」からなる。週1回の開催で準備時間2時間、本講義3時間の長丁場である。主に平日開催にもかかわらず各講義20-30名の参加者があり、受講料は一講義一学期につき約3万円である。2008年秋学期はそれぞれ、「出来事の思考――ドゥルーズ『意味の論理学』とインドの中論思想」「スピノザ読解」「魯迅の剣と微笑」という講義が用意されている。

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(講義室兼ヨガ室)

そして、通年講義「大衆知性」も2年前から開講されている。この講義は年間40週、週3コマからなり、一年間で精神分析、自然科学、文学、道徳などさまざまな講義を受けることができる(受講料は年間15万円)。このプログラムは大学の教養課程と類似しているようにみえるが、しかし、習得すべき一般教養という知の全体性をあらかじめ設定してはいない。各講師が自分のもっとも関心があることを講義し、受講生の生き方を変革する刺激のある講義を提供することが唯一の理念と責務とされる。

経済的な問題

しかし、ビルの一フロア(約400㎡)を毎月120万円で借り切って、これほどの規模の研究教育活動をどうやって維持することができるのだろうか。彼らは政府や企業からの資金提供を一切受けていないのだが、これまで家賃を滞納したことはないという。基本的には、各運営会員が自分の収入に応じて自由に運営基金を支払うことになっている。その最低額はひとり毎月4千円に設定されているのだが、逆に、最高額が2万円を超えてはならないという規則はとても興味深い。過度の資金提供をする特定の人物にある種の貴族的特権が付与され、研究空間の民主的共同性が乱される恐れがあるからだ。

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(勉強部屋。机の決まった割り当てはなく、好きな場所で勉強する。)

他にも、セミナーと講義の受講料、ヨガ教室や美術教室の参加料、不登校児向けの教室、出版物などによって収入源は確保されている。興味深いことに、コ・ビョングォン氏は「資金の確保は実はもっとも些細な問題であり、むしろ獲得した資金をどうやって使用するのかがより重要だ」と明言する。実際、廊下の掲示板には毎月の詳細な収支報告が掲示されており、資金の流れがきちんと公開されることで、参加者がお金の有効な使い方を強く意識するようになる。

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贈与と接続

生活共同体「スユ+ノモ」の基本理念は「お互いへの贈りものとなること」である。彼らは共同体(コミューン)を贈与の概念から理解し実践しようとする。実際、「スユ+ノモ」にある椅子や机、子供の玩具などは寄付であったり、廃棄予定の物資を引き取ったものだったりする。お互いへの贈与こそが諸個人の関係を接続し、共同体と共同体を接続するのだ。いやむしろ、私たちはつねにすでにどうしようもなく他者と接続してしまう存在なのであり、研究教育に基づく生活共同体はこの存在様態を基点としてこそ成立するのである。例えば、「スユ+ノモ」は農村コミューンと連携して、市場では割に合わない価格で取引される農作物の寄付を受け、そのお返しに農村の人々を講義に無料で招待したりしている。

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(カフェ。椅子などは市内の喫茶店が店じまいしたときに引き取ったものなので、上等の座り心地と雰囲気)

「研究空間スユ+ノモ」の英訳はResearch Machineとなっているが、これはドゥルーズ+ガタリの「機械」という表現を意識した訳語である。ある空間はつねに他の空間と接続されるはずであり、また、ある物理的な空間それ自体はその都度の活動に応じて変容するはずだ。研究教育がその空間の接続と変容に曝され、知がその都度さまざまな宛先へと差し向けられる――そうした試練を経ることで、生と結びついた根本的な知が見出されるのである。

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しかし、聞けば聞くほど、「スユ+ノモ」は実にユートピア的な研究生活空間である。私はしつこく「そうは言っても、何か問題があるのではないですか」と何度も問い質したのだが、彼らはみな一様に涼しい顔で「まったくありませんよ」と自然体で笑いながら言葉を返してくるのだった……。

以上が、「研究空間スユ+ノモ」という「高学歴ワーキングプア」の創造的な挑戦に関するごくささやかな報告である。その他にも、研究教育と場所の関係、研究教育のクオリティ維持の方法など、数多くの興味深い本質的な論点について話をうかがうことができた。

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(「スユ+ノモ」入口に掲げられた宣言文。英語および日本語の文句は以下のとおり)

Become gifts to one another !
Research Machine ”Suyu+Trans” is
a research commune where everyone shares their daily lives,
seeking to harmonize a good knowledge with a good daily life.

おたがいへの贈りものとなること!
研究空間スユ+ノモは
よい知とよい生を一致させる
研究者たちの自由な生活共同体です。

(今回の取材に際して、限りない歓待精神でもって、時間の許す限り誠実に対応してくださったコ・ビョングォンさん、オ・ハナさん、イ・ジンキュンさんら「スユ+ノモ」の方々に心より感謝申し上げます。)
[ 2009/08/30 08:27 ] 報告・取材記 | TB(0) | コメント(-)