参加者のアンケート 公式HP映画「哲学への権利――国際哲学コレージュの軌跡」

本ブログでの情報はすべて個人HPに移動しました。今後はそちらでの閲覧をお願いします。⇒http://www.comp.tmu.ac.jp/nishiyama/

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【アンケート】首都大学東京

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今回は、学生から教員や事務員、一般の方に至るまで、実に多くの濃密な内容のアンケート回答を寄せていただきました。学生運営スタッフや拙演習の参加者などは名前付きで、それ以外は匿名で、そのうちのいくつかを紹介させてください。
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[ 2010/11/17 20:03 ] 参加者のアンケート | TB(0) | コメント(-)

【アンケート】明治大学

10月23日の明治大学でのアンケートから、いくつかを紹介させてください。

「企業のなかにも哲学が息づいてくれるようになればよい。その方が、企業も多様性を受け入れて、競争力をつけられるのではないか。批判力を哲学は私たちに与えてくれるのだから。」

「一般に哲学を社会からなくすべきではないというインテリ〔討論者5名〕の意見は尊大すぎる。やはり人文学は「やりたい」という一心でなされるべき。」

「日本の教育に対する危機感がまだまだ希薄であると感じられました。残念です。すでに「待ったなし」の状況にまで、大学も、初等・中等教育の現場も追い詰められています。パネリストのなかで「現場の危機」を感じさせたのは桜井先生だけだした。」

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「新自由主義的発想が支配的な今日、「哲学」の理念をどこまで保持し、対抗力となりうるのか。多くの人々が格闘してきたこの問題の答えは、理念うんぬんよりも、「勝負に勝たなければならない」という点に集約されたように思えた。」

「そもそも我が国の現在のありようを見るならば、フランスの活動を想うこと、比べること自体がナンセンスだ。歴史の重みが違いすぎる。」

「私自身は哲学や学問は好きです。ですが、「何でそんな役に立たないものに時間とお金をかけるの?」という問いに対する答えを出せないところがもどかしい。「精神や人間性を豊かにするため」なんて、答えではない気がする。初歩的というか、素朴ですが、この答えが見つかりません。」

「ひとを「救う」のは思考することへの意志ではないか。答えのない状態に耐え、問い続けること、思考し続けることの大切さを学生に教え続けたい。」

「上映お疲れ様でした。いい意味で映画の「質」の高さに驚かされました。また、質疑応答の際に垣間見た西山先生の哲学に対する姿勢にも感動いたしました。迷いながら哲学を勉強している一学生として、励みを頂きました。ありがとうございます。」
[ 2010/10/23 23:30 ] 参加者のアンケート | TB(0) | コメント(-)

【アンケート】神戸市外国語大学

出身校での上映・討論会のため、どことなく距離感の近い感想が多く見受けられた。神戸市外大には哲学科やフランス文学科はなく、デリダのことを知らない門外漢の学生も参加されたようだが、分からないなりに素直な感想を寄せてくれたことはこちらとしては大きな喜びだった。

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「非常に面白く拝見するとともに、映画を観ながら、私も思考の実験に誘われていました。大学の官僚制化と大衆化が当たり前になり、効率性・実効性重視の風が吹き荒れるいま、実にタイムリーな問題提起の作品でした。これから大学に入ろうとする高校生、大学で学んでいる大学生、大学教員のすべてが向き合うべき根源的な問いが発せられていました。」

「なぜ映像でなければならなかったのか疑問でした。言葉を聞かせようとするなら、別のやり方があったのではと思います。」

「高校教師を目指す私が生徒から引き出したいものは『哲学』です。そう公言すると、ぎょっとされたり、語弊を招いたりしますが、そうした反応は正直残念です。公衆に『哲学』を空気のように感じてもらいたい。哲学カフェであれば、コーヒーの一杯のように。」

「正直あまりよく理解できなかった部分が多い。だが、『哲学のような根源的な問いを大学卒業後にどうして考えてはいけないのだろう』という私の考えは間違っていないのかなと思えて嬉しかった。」

「最近、『考えること』について思い直したことがあります。文武両立を大学でどのようにすればよいか悩んでいました。部長に就いてから、実社会では無意味のように感じられる哲学を考える時間が割かれることに、とても苦しんでいました。哲学よりも部活のことを考えるべきではと悩んでいましたが、今回、見つめ直す時間をとるべきだと思い知らされました。」

「コレージュのような機関があれば大学は必要ないのか?など、答えは見つかりませんが、多くの問いを得た映画でした。問い続けることが哲学、学問なのだとすれば、やっと私は学問を始めたことになるのでしょう。貴重な機会をありがとうございました。」

「雑多なレベルの人々を一同に集めて講座を開いて云々というのは、市民講座の域をあまり出ないのではと思った。」

「光の捉え方の粗雑さ、無駄なカットの挿入という点で映画作品として観られない。あらかじめ予想できる路線に沿って、コレージュにとって肯定的な意見ばかりが語られる点で、ドキュメンタリーとしての誠実さを欠いている。コレージュの広報映画以外の何ものでもなく、だとすればもっと短い方が優秀だ。はじめから書籍の形で十分だ。音楽の使い方にセンスがまったくない。コレージュの教官が無報酬であることを誇りにしているならば、それを賛美する上映会も当然ながら無報酬でおこなわれるべきだろう。」

「効率を求め、競争社会になり、ネットなどの新たな通信手段が普及するにつれて、人間同士の関係は疎遠になる。私も含め、社会全体が汗臭い対話を求めているのでは。哲学がある種の答えを出してくれるのではないですか。」

「『国際哲学コレージュが存在することだけで意義がある』という言葉が胸に残りました。〔…〕趣旨とそれるのでしょうが、一点だけ、ギリシア文明の見直しにも少し触れてあればと思ってしまいました。母校でこのような上映をしてくださり、一後輩としてとても嬉しく希望が湧いてきました。」
[ 2010/07/04 16:12 ] 参加者のアンケート | TB(0) | コメント(-)

【アンケート】日本フランス語フランス文学会@早稲田大学

5月29日の日本フランス語フランス文学会@早稲田大学でのアンケートから、いくつかを紹介させてください。

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「今回はグローバル化(経済的支配)に対する抵抗という視点が強調されたが、一般的な人生の問題を普通の人々が考えるという面もあると思う。」

「早稲田大学文化構想学部の一年生で、〔…〕第二外国語としてドイツ語を学んでいる私は、この会場ではある意味で異邦人のような感覚を味わいました。ただその感覚は不快な、気まずいものではなく、開かれた、という出会いの驚きとでも言える感覚でした。」

「一言でいうと面白くありませんでした。サブタイトルに「コレージュの軌跡」とありますが、コレージュを本当にとり上げたかったのでしょうか。だとしたら、教育の場面や成果を具体的に描くべきだったと思います。あれだけの人数であれだけしゃべられてもコレージュのイメージが浮かびません。」

「今日、4回目です。今日が一番面白いと感じました。1回目は音楽しか頭に残ってなかったです。2・3回目は分かろうとして考えるのに必死でした。これからももっと領域交差してください。」

「デリダがコレージュを設立してからもうすぐ30年経とうとしている現在、抵抗としての知の実践を、制度としての大学へと結びつけることにはどれほどの正当性(あるいは妥当性)があるのだろうか。」

「藤田先生と同じような境遇なので、藤田先生にも映像にもとても励まされたところがあります。」

「将来の進むべき方向性も、ある特定の職業に就くことに疑いを抱いています。ですが、何らかのカタチでこの世の中に出たいと思い、日々色々なところに足を運び、学び、吸収しようと今は努めています。上映会そして討論会を続けていただきたいと思います。私も少しづつですが、「何か」に向かって(いえ、「何も」ないかもしれませんが)歩んでいきます。」
[ 2010/05/29 01:14 ] 参加者のアンケート | TB(0) | コメント(-)

【アンケート】一橋大学

4月23日の一橋大学でのアンケートから、いくつかを紹介させてください。

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「大学を出て〔社会人になって〕思ったのは、完全に収益性とコストがほとんどの場で判断基準となっており、あとはほんの少しのスピリチュアリズムが「哲学」の名でカタルシスを与えていることに対する衝撃でした。そうしたなか、制度として哲学を残していこうという試みは本当に貴重なものに感じられます。」

「今日は衝撃を受けました。世界にはこんな知の営みがおこなわれているのかと、若いうちに知ることができて良かったです。これから始まる「知る」という旅への良いきっかけになりました。もっとたくさんの10代の方にも観てもらいたい。知識がない人にも感じるところが何かあると思います。」(一橋大学商学部1年生)

「〔映画の副題で〕「軌跡」と訳されているtracesですが、一般にデリダ研究者のあいだでは「痕跡」と訳されますね。論文「差延」のなかで、形而上学のテクストは痕跡であり、読むべきものとしてわれわれに残されている、とデリダは言いました。この軌跡(映画)を読む僕らは、デリダと同じことをしているわけですね。脱構築が分有されていること、脱構築の実践を認めることができるでしょう。したがって、tracesが複数形で書かれていることも重要でしょう。」

「映画としての体裁は良くできているが、内容と合致している感じがしない。エンディングに多重露光をしたり、音楽が大げさすぎる。インタヴューなのだからそのようなデコレーションに凝らずに、もっと淡白にやった方が視聴者が内容そのものに集中できたのではないだろうか。」

「前回、渋谷アップリンクでの上映のとき、まったくわからなかったので、とりあえずいろいろ考えてみましたが、今日の上映でますますわからなくなりました。ただ、みなさんがかっこよく見えました。」

「鶴見俊輔さんと「思想の科学」研究会とコレージュを重ね合わせながら観ました。たいへん面白く、活き活きとさせられました」(夕方の買物帰りに参加させていただき感謝している市民)

「哲学を学ばなくとも生きている人が現にいる。むしろそうした人の方が多く、大学の教授ですら哲学に触れていない。では哲学とは何であり、何のためにある学問なのだろうか。」

「ものすごく楽しみにしてきたが、表層うわすべりのような表現でがっかりした。理念を伝える目的の映画ならば、せめてテロップを読む時間の長さをもう少し工夫してほしい。哲学的な語りに慣れた人たちのための映画としか思えない。」

「私は英文学専攻だが、哲学のことを聞いて何になるのだろうと思っていた。しかし、文学においても「哲学への権利」から応用できることはいくらでもあると気がつき、1年生が始まる前に観ればよかったと思った。」(大学2年生)

「かつてジャン=リュック・ゴダールが「映画を観た後に、映画についてもっと話し合うべきです」と言っていたことを思い出した。今回、それに成功していたと思えたのは、たぶん、この映画に重要な問題提起がいくつも含まれ、うまく提示されており、その示唆を受けて観客と登壇者、映画のあいだにたんなるすれ違いだけではない、交差が生まれたからです。映画の理念・哲学・教育・思考の理念が重なり合ったのが、「今日、ここ」という場であった、という美しい感傷を私は否定できません。」
[ 2010/04/23 23:03 ] 参加者のアンケート | TB(0) | コメント(-)

【アンケート】東京大学駒場

3月27日の東京大学での上映では数多くのアンケート回答をいただきました。心より感謝申し上げます。「勇気づけられた」という表現が散見されたことは、こちらとしては嬉しい限りです。そのうちのいくつかを紹介させてください。

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「こうした映画の上映会にこれだけの人が集まるほど、哲学や大学が関心を集めるなら、日本もまだ捨てたものではないのだろうか。」

「音楽や映像を通して『問い』が提示される迫力は、様々な背景をもった人々によって形成されているこの『場』と合わさって、想像を絶するものがあった。」

「静かな、しかし刺激的な不思議な余韻が残った。映画で語られた、ある意味、断片的な国際哲学コレージュの理念や姿が、上映後の出演者の話によって奥行きを与えられ、立体的なものとなった。哲学や思考が現在の世界を形作っているだけでなく、私たちがこれから向かおうとする未来への礎や指針に欠かせないものだと再認識した。」

「『哲学への権利』を分からせる、というより、うまく気づかせてくれる、そんな映画だった。」

「今日はじめて『哲学への権利』という言葉の意味がわかりました。6回目にしてやっとです(笑)。この表現を上手いこと考えたなあ、と本当に思いました。どう分かったかは言語化できませんが、身体に染み込んできた気がしました。」

「哲学という学問をもっと大きな枠組みのなかで理解する視点をもつことができた。」

「日本人がなぜフランスでインタヴューをするのか、日本の哲学状況での位置づけ方はまだ軽薄であるようにみえた。」

「大学に入って、はじめて哲学というものに接して戸惑ったときのことを思い出した。」

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「自らへの批判的な問いも含めて、UTCPという場についても、外部の方が取材し、映像化されれば、と願う。」

「UTCPは税金を上手く使っていると思う。」

「私は会社員ですが、哲学とビジネスが切り離されたものではなく、どのように関係しているのか、その関係を築いていくべきか、考えるとともに、それを実生活に反映していきたいと思います。さまざまな立場の人が気軽に哲学に携われる、触れられる場が増えることを願っています。」

「社会学を専攻しているのですが、ディシプリンそのものを探すことに不安な気持ちをずっと抱いていました。しかし、今日の映画を通じて、より開いたものへと向かう哲学を知ることでその気持ちが解消され、自分のやっていることを前向きにとらえ直すことができた。」

「この映画はコレージュの制度について説明する辞書的ドキュメント。したがって、ダイナミズムがまったくなく、単調だった。」

「現在の大学のつまらなさについて言い出したらきりがないが、大学の中から、外から考えることを貫徹するために動いている人たちがいることは、本当に心強く感じた。」

「人々の暮らしに哲学が日常的に息づくことの大切さを改めて学ばせていただきました。とくに日本が現在、大きな分岐点にさしかかっているなかで『思考する』私たちこそ重要なことだと思いました。」

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「哲学の可能性を開くチャンスは、私たちのさまざまな現場にもあるのはないか、そのような発想から何かを考えられるのではないか、と勇気づけられた。」

「働きながら、これからも死ぬまで学び続けていきたいとの思いを強くしました。」

「この映画も討論会も哲学の保身に染まり過ぎていたように感じた。」

「各人の話の先に目には見えない、理想的な国際哲学コレージュが感じられた。それは、人間にはけっしてつかみ得ない真理を追究する哲学の姿と重なり、同時に哲学そのものが肯定されたように感じられ、勇気をもらった。」

「やはりデリダという固有名の大きさにはあらためて感嘆せざるをえない。」

「駒場図書館で働いています。いま、図書館では仕事を業務委託の形で、業者の入札に任せようという話が出ています。哲学の抵抗の仕方に興味をもってきたのだと、映画を観ているうちに気がつきました。今ある制度を積極的に活用しようとしている小林先生の言葉と、コレージュで抵抗されている先生方、映画を製作された西山先生の姿勢がとても印象に残りました。図書館の小さな仕事ですが、私なりにできることをやっていこうと思いました。」

「素晴らしい映像と討論会だった。哲学の責任、その距離を測る思索を受け止める、享受する、歓待する権利は私たちにすでに訪れているのだ。」
[ 2010/03/27 02:37 ] 参加者のアンケート | TB(0) | コメント(-)

【アンケート】京都大学上映

2月6日の京都大学でのアンケートから、いくつかを紹介させてください。

「この美しいドキュメンタリー映画を観終わって、『哲学への権利』というタイトルは似合わないと感じた。この映画のなかで語られていることは、何かを要求することでも、何かと闘うことでもなく、哲学を営むこととその方法のひとつをめぐる考察だから。むしろ『哲学することへの欲望』の方が、とても素直に映画を代弁するように思える。」

「哲学専攻の学生ですが、研究計画を立てていると『それは哲学ではない』と教授から指摘されることが多々あります。最初は、問いの立て方が甘いのだろうか、と自省していましたが、結局のところ、哲学とその他の学問領域との境界にあるものはダメ、あるいは狭義の哲学しか哲学として認められていないかもしれないと思うようになりました。〔…〕哲学を学んでいる人間であるということの襟を正されると同時に、誇りをもてる映画でした。」

「そもそも経済とは価値を価格とみなす価値判断によって成立している。したがって、哲学は経済や経済原理との関係において、この価値判断について問い直していかなければならない。」

「これは詩だなと思いました。最後の握手のシーン以後、思わず顔が緩みっぱなしだったので他の観客の顔を見回してみたら、意外とみんな難しい表情。でも、終わった後で、にこやかな表情の人が増えたので嬉しかった。」(詩人)
[ 2010/02/06 23:53 ] 参加者のアンケート | TB(0) | コメント(-)

【アンケート】筑波大学上映

2月4日の筑波大学でのアンケートから、いくつかを紹介させてください。

「自分のやっている人文学の勉強がけっして無駄なものではない、と安心した。」

「最近、水戸美術館でドイツの現代美術家ヨーゼフ・ボイスの展覧会を見てきました。ボイスらは1970年代に『自由国際大学』を創設しているので、国際哲学コレージュとの相関について考えを巡らせてみたい。」

「自分は学部3年生でデリダに興味がある。大学院進学を考えていて、多くの人が『文系で院=死』という人が多いが、デリダの『勇気』に今日は勇気をもらった。」

「非常に感銘を受ける部分が多かったと同時に、やはり一定以上の水準の知識と経済力をもった人々の話、という印象を正直、ぬぐい切れなかった。それは仕方のないことかもしれないが。哲学が人間のすべてを問題にする以上、見落とされている人や状況がまだどこかにあるような気がした。」

「学際性に関するシーンで、カルチュラル・スタディーズとの違いを見せるための質問が、映画全体のなかで浮いていないか。むしろ『哲学/…』の関係に突っ込んだ方が、『哲学・経済』という大きな問題系に進むのではないだろうか。」

「メディアとして映画を選択したのは最適だった。哲学を学ぶときにまずぶち当たる壁が抽象性の高さだから。映画なら聴覚・視覚から具体的に対象を把握できる。」

「〔討論会で登壇者の〕みなさんがフランス語で話されるとき、手がよく動くのが印象的でした。映画のなかでも手のシーンが差し挟まれています。『哲学』と聞いたときに何となく思い浮かぶ、『何か難しそうなもの』という権威(?)のようなものではなくて、語りのなかに浮かび上がってくる、その行為のなかにしか存在しないもの――それが『手』のなかにあったのではないか。」

[ 2010/02/04 15:40 ] 参加者のアンケート | TB(0) | コメント(-)

【アンケート】素人の乱「地下大学」

1月25日の高円寺・素人の乱「地下大学」での上映でいただいたアンケートのうち、いくつかを紹介させていただきます。

「哲学が大学が独占するものではないことは当然だが、哲学することがより困難になっているという西山さんの危機感が本作をつくらせたのだとすると『映像表現と哲学』の可能性について、自分もその危機感を共有しながら、次の番組を構想したいと思った。」(NHK関係者)

「少しばかり忍耐を要する映画でした。わかるようでわからないような難しそうな話ばかり。でも、この映画を観て何の役に立つのか、とはあまり考えなかった。」

「学問分野を問わず、各分野が危機や問題を抱える状況に共通性を感じた。私が付き合いの長いサイエンス分野も、他分野との関係、自らの存立の理由、その正統性が問われている。その意味でも、いろいろな分野の人に観てほしい。」

「各地での上映そのものが、もうひとつの国際哲学コレージュの運動として機能しつつあることに感動しました。」

「今日、失業保険の認定のため、ハローワークに行ってきた非正規雇用のOLです。映画にも討論にも感動しました。私は生きるために哲学を必要としています。専門家には、私のように言葉をどう使ってよいのか知らない人にも哲学を届けてほしい。今日はちゃんと届いた感じで、とても良かったです。」
[ 2010/01/25 23:55 ] 参加者のアンケート | TB(0) | コメント(-)

【アンケート】早稲田大学

1月19日の早稲田大学での上映では多くのアンケート回答をいただきました。そのうちのいくつかを紹介させてください。

「早稲田大学ではエクステンションなどがあって、カルチャーセンターのように誰でも学べる場所は大事だが、それらと『大学』の違いは今後どのようになるのかが気になった。」

「私も西山さん同様に、高尚な理念はさておき、大学は『楽しいから』あった方が良いと思っています。」

「実際の教育機関が哲学的な言葉で語られることに、序盤は空疎な印象を受けたが、国際哲学コレージュがその意味や機能、価値などによって、固定された何かとしてはとらえられないものであることが次第に腑に落ち、そのあり方が哲学そのものであるように感じ、興奮を覚えた。」

「国際哲学コレージュの講義風景を写してほしかった。」

「まさかと思うほど動きのない映画で、その意味で、たいへん面白かった。」

「いま、人文学の価値が問われるなかで、われわれが試みていることが間違いではないという勇気をもらいました。私自身は、カルチュラル・スタディーズのなかで、哲学的問いかけに挑戦していきたい。」

「映画を観て思い出したのが、昨年亡くなったマサオ・ミヨシでした。彼は最終的には大学から離れていたようですが、彼が『抵抗の場』として考えていたのは、大学人でも専門家でもなく、ひとりの人間としてより良く物事を考えることではなかったか、と。」

「経済効率に還元されない知のあり方、貨幣に還元されない『生きるため』の思考、それはつまり『考える権利』(哲学する権利)である。生きることは自分で考えていくことだから、この権利を守ることは人間であるための権利を守ることと同義である。」
[ 2010/01/19 23:02 ] 参加者のアンケート | TB(0) | コメント(-)

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