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報告・取材記 公式HP映画「哲学への権利――国際哲学コレージュの軌跡」

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フランス滞在(4)―緩やかな時空間において人が集まるということ

「フランスとは大きく異なり、日本には広場がない」――2月に対談した池澤夏樹さんの印象的な言葉だ。フランスではいたるところに広場や教会があり、即席の市場を設けるために歩道は広い。人々が集い、言葉を交わし、日常とは異なる緩やかな時間が流れる空間がある。公共性の充実とは、社会のなかでそうした時空間が残されていることを言うのだろう。

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今回の滞在で印象的だったのは、パリ市役所前の広場で市役所の警備員たちがデモをおこなっている場面だ。改革によって、警備員の待遇(給与減額、有給休暇の日数削減など)が改悪されるという。このことに抗議して、市議会が開催されている時間にデモをしている。デモと言っても、勇ましい戦闘的な雰囲気はない。ただ、警備員が一堂に会して、おしゃべりをしているばかりで、時折「ピー!ピー!ピー!」と仕事道具の笛を鳴らして気勢を上げる。非常に緩やかなデモである。また、警備員がデモをしているあいだ、市役所の警備はなく、警察が代わりに警備にあたっていた点はユーモラスだった。

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(デモは数時間続くのでお腹が減る。労働組合が即席の店を出し、コーヒーやサンドイッチを安価でふるまっていた。)

フランスには日本のような居酒屋はない。気心の知れた仲間と安価で歓談するためにフランス人は誰かの家に集まることが多い。いわゆる、fête(フェット)だ。Fêteには「祝日、パーティー、楽しみ、陽気さ」という意味がある。今回も滞在先のアパートに日本人留学生を招待し、14人ほどでフェットをおこなった。どうでもいい話題から最先端の研究動向まで話は多岐に及ぶ。ただ、こうした緩やかな交流こそが学びの場となり、研究活動の思わぬ糧になるのだ。

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(アパートでのフェット)
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(日本人・韓国人留学生の懇親会)

社会の緩やかな空間で人が集まって、穏やかな時間を過ごすこと――「フランスとは大きく異なり、日本には広場がない」という言葉の重さを再確認した。
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[ 2011/03/29 21:21 ] 報告・取材記 | TB(0) | コメント(-)

フランス滞在(3)-国際哲学コレージュ・セミナー

2011年3月24日および28日、パリ批評研究センターにて、国際哲学コレージュのセミナー「哲学の(非)理性的建築としての大学」が開催された。昨年、ディレクターに選出されてから初のセミナーで、初回は40名ほど、2回目は15名ほどの聴衆が集まった。

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冒頭で、国際哲学コレージュと日本の関わりに言及した。1983年10月にコレージュが創設された直後に、デリダは日本を訪問した。彼は中村雄二郎氏に依頼し、翌11月に彼の講演「『場所の論理』と共通感覚」が実現した。初の海外研究者の催事にもかかわらず、会場にコレージュ関係者はほとんどおらず、デリダはとても失望したという。今期のディレクター構成は外国人13人中、アジア人は私一人だけで、西欧のディレクターばかりだ。私としては、東アジアへとコレージュの活動を展開させたいと考えている。

初回のセミナーでは、90年代以降の日本の大学の現状を説明した上で、近年の自分の活動を紹介し、最後に今後の研究計画の展望を概観した。

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これまで30分程度のフランス語の発表は何度も経験してきたが、今回、フランス語で二時間のセミナーを担当するのは初めて。日本の大学では90分なのに、不自由なフランス語で二時間も話し続けることなどできるのだろうか、と思っていた。幸い二時間話し続けることはできたが、その内実は決して満足できるものではない。時間が経つにつれて、精神的・体力的に余裕がなくなり、勢いが衰えていった。来年度のセミナーに向けて大いに改善するべき課題である。

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28日は藤田尚志(九州産業大学)氏を招いて、発表「条件付きの大学」をしてもらった。藤田氏は巧みなフランス語でフランスの大学についての制度的考察をおこない、デリダ『条件なき大学』への批判的コメントを寄せた。藤田氏の余裕のある話し方とその充実した議論からは大いに学ぶことがあった。あらためて感謝申し上げる次第である。

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初回には日本人・韓国人の留学生が多数詰めかけた。アジア系の研究者がフランスの公的研究機関でポストを得て、セミナーを開催しているのはとても稀な事例で、ひとつのロールモデルとして何かを感じてもらえればと思っている。また、同じ日本人研究者がどの程度のフランス語で、どの程度の議論ができるのかを観察することは、留学生にとって参考になる機会ではないかと思う。しかし、2回目のゼミでは日本人・韓国人の留学生はほとんどいなかった。初回の方は、両者の懇親会も開催されたため、なかば動員された形で参加者が多かっただけなのだろう。そう勘ぐりたくなるほど、参加者数の落差は圧倒的だった。日本人・韓国人の若手研究者は国際的な舞台でどのように活躍するべきか。敢えて言うと、2回目のゼミでの彼らの不参加状況を見て、彼らの研究活動の国際的な意識の低さを目の当たりにした気がして、いささか落胆した夜だった。
[ 2011/03/28 21:20 ] 報告・取材記 | TB(0) | コメント(-)

フランス滞在(2)―「美しき街」にて

「ベルヴィルBelleville(美しき街)」というフランス語の響きと意味とは少し異なり、この地区は移民が大半を占める騒々しい庶民的な区域だ。パリ20区の北東、メニルモンタンの丘のふもとにあるこの街にアパートを借りて滞在している。

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(地下鉄駅前の中華料理屋。中国語では「美麗都」。)

20世紀初頭からベルヴィルは難を逃れた移民がやってくるアジール空間である。虐殺を逃れたロシアおよびポーランド系ユダヤ人、アルメニア人、トルコの支配から逃れたギリシア人、ナチスの迫害を逃れたドイツ系ユダヤ人、フランコ独裁政権から逃れたスペイン人……中国・ヴェトナム系の移民も含めて、ベルヴィルは雑多な雰囲気が漂う街区だ。

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(フランスではローラー・スケートは一般的。ローラー・スケート愛好協会が企画する、集団街頭走行が度々実施される。警察官もスケート靴を履いて併走し、数百人が車道を走り抜けていった。)

パリではいつも魅力的な展示がいくつもおこなわれている。3月末現在で興味深いのは、まず、パリ市役所で開催されている「パリコミューン」展(5月28日まで)。1871年に民衆が蜂起して革命政府が誕生してから140年。200以上の版画、写真、ビラが展示され、革命政府の樹立から崩壊までが紹介されている。頓挫した革命を公的な施設で記念して展示するのは興味深い。

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フランス国立図書館(ベルシー)では、「ガリマール、1911-2011年――出版社の一世紀」が展示されている(7月3日まで)。ガリマール出版社はフランスを代表する世界的な出版社で、20世紀の出版史の核をなすだろう。ジッド、プルースト、アラゴン、ブルトン、マルロー、ジョイス、フォークナー、サン=テグジュペリ、サルトル、カミュ、デュラス、三島、ル・クレジオ、クンデラ……ガリマール出版社の出版カタログはそのまま20世紀文学史と言えるほど。

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(査読委員会による評価資料〔右〕。ジャン・ポーランがブランショ『謎の男トマ』を査読した結果報告。「サルトルの『嘔吐』を想起させる。それほど多くの読者は望めないだろうが、出版するべき」)

そもそも『新フランス評論(NRF)』誌の刊行から始まり、雑誌出版からガリマール出版が生まれ、20年代にフランスの主要な出版社となる。戦争期には文化占領の一環としてナチスに主導権を握られもした。戦後は、プレイヤード叢書、フォリオ文庫、子供向け書籍、人文科学叢書など画期的なシリーズを刊行し続けてきた。今回の展示では、ガリマールお馴染みの装丁の朱色の壁が設えられ、著名な作者の草稿やガリマール社宛の書簡が並び、ヴィデオ映像が投射されている。

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(カルチエラタンを歩いていると道路が封鎖されて、延焼したバスの周りに消防車と警察が多数。「もしかして、テロ?」と咥え煙草の青年に聞く。「まさか! たまたまタイヤから出火したらしいよ。」)

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フランスでは、古くからある教会でコンサートが頻繁に開催される。主にクラッシックが演じられ、厳粛な空間に音が響き渡る様子は圧倒的だ。「パリの宝石」とも呼称される壮美なステンドグラスに囲まれたサント=シャペル教会で、ヴィヴァルディの「四季」を聴いた。弦楽団によるかなり自由な解釈の演奏で、ロックのライブをも思わせる激しいパフォーマンスは刺激的だった。明日、三月の最終日曜日にフランスはサマータイムに移行し、日没が劇的に遅くなる。

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[ 2011/03/27 21:19 ] 報告・取材記 | TB(0) | コメント(-)

フランス滞在(1) ― ボルドー第3大学視察

東北大震災の後、福島原発の事故が心配されるなか、悩んだ挙句、3月19日深夜、予定通りフランス出張に旅立った。今回の目的は、パリ・国際哲学コレージュでの二回のセミナー開催、ボルドー第三大学の視察、研究者との研究交流などである。国際ゼミ合宿の名目で、希望する学生4名が同行し、セミナーに参加することになっている。

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パリのモンパルナス駅から南に下り、ボルドーまではTGVで3時間ほど。ガロンヌ河が流れ、大西洋にも近いボルドーはローマ時代から中継貿易都市として栄えてきた。温暖な気候と湿気を含んだ土壌はワイン栽培に最適で、ボルドー・ワインの優美な味は世界中を魅了し続けている。ガロンヌ河が三日月状の形をしているため、ボルドー市は「月の都」と呼称される。

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ローマ時代の名残を残す石畳の道は現在、目貫通りになっていて、主要なブッティクやレストラン、カフェが並ぶ。中心市街地は適度な大きさで、1時間あれば無理なく散策できるほど。路面電車がのんびりと街中を駆け抜けるが、そのゆったりした姿もまたボルドー市の景観の一部だ。パリと比べてフランスの地方は物価が安く、実に美味しい食事を楽しむことができる。

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(定番料理「鴨のコンフィConfit de canard」。塩漬けにした鴨肉をたっぷりの油で時間をかけてじっくりと低温で揚げ、最後に強火で皮をパリッと焼いた料理。)

友人のエディー・デュフモン准教授の案内でボルドー第三大学を視察し、図書館、食堂、日本語学科事務室、付属語学学校などを見学した。郊外にあるキャンパスは路面電車の5-6駅に及ぶ広大さで、パリの大学とは異なり、緑の多いゆったりとした敷地が特徴的だった。

日本語学科の浅利誠先生、地崇明先生とアルゼンチン・レストランで夕食をとり、ボルドー第三大学の実情やフランスの大学制度について話をうかがった。日本語学科は英語、スペイン語に次いで人気があり、新入生が220名ほど登録するという。漫画やゲームなど、若者のオタク文化の影響だ。ただ、フランスの大学は評価が厳しいので、一年次を終了できるのは4割ほどで、卒業できるのは40名ほどだけだ。

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ボルドーで身体一杯に浴びた心地よい太陽の光を後にして、TGVに乗って再びパリへ。車中で翌日の発表資料の準備。国際哲学コレージュでの初のセミナー開催へ。
[ 2011/03/22 21:18 ] 報告・取材記 | TB(0) | コメント(-)

【報告】東海高校・中学校「サタデープログラム」

2011年2月19日、名古屋市の東海高校・中学校にて「サタデープログラム(土曜市民公開講座)18th」が開催された。サタデープログラムは東海高校で年数回開催される学生による一日限りの公開講座。さまざまなジャンルの著名人(田原総一郎、湯浅誠、藤子不二雄なども)による講演から、子供向けや趣味・美容に関するものまで、数十の講座が無料で公開されている。半年に一度の回数で、学生たちが自主的にこうした本格的な企画を継続させていることには驚かされた。講座を担当する学生は講座内容や講演者について調査・予習をして事前インタビューをおこない、告知ニュースとして発行するのだから、大変な作業である。

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今回は主催学生から依頼を受けて、講座「生きること 考えること――フランスの事例からみた大学と哲学」を担当することになった。フランスでは高校3年生に哲学科目は必修で、大学入試にも哲学の論述試験がある。生きることと考えることはどう関係しているのか。生きることにとって、考えることはどんなふうに大切なのか。フランスの高校での哲学教育の事例から、「私たちにとっての哲学」を考えた。

フランスの高校3年生の哲学の授業では、人名やキーワードの暗記ではなく、主題(意識、欲望、自由など)とテクスト(プラトンからサルトルまで)に即して自分の頭で思考し作文することが重視される。大学入試での哲学科目は、参考書の持ち込みなしで4時間の小論文作成、と厳しい。フランスと同じく、日本の高校にも本格的な哲学科目を設置するべき、と主張したいわけではない。日本の高校教育にこれほど物事を根本的に考えていい時間があるのか、その自由があるのか。あらゆる科目のなかに少しぐらいあってもよいのではないか。

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受講生は40名ほどで、教室は一般の方の割合が多かった。平和運動に携わる女性の方からは、「毎年、世界の学生たちと交流するが、フランスの学生はどこか違っている。彼らには自分の意見を理論的に表現できる力があるが、その教育背景が分かった」とコメントしてくれた。今回の講座に向けて準備・運営してくれた高校1年生(!)の千田さん、河野さんに感謝します。

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[ 2011/02/19 18:07 ] 報告・取材記 | TB(0) | コメント(-)

公開ワークショップ「哲学と大学」

2010年12月26日、一橋大学にて「哲学と大学」公開ワークショップが開催され、15名ほどが集まった。(主催:科研費基盤研究(B)「啓蒙期以後のドイツ・フランスから現代アメリカに至る、哲学・教育・大学の総合的研究」)

まず、西山雄二(首都大学東京)の発表「フランスの哲学と制度」において、20世紀のフランスの哲学の制度化とそれをはみ出す運動との関係が概説された。高校や大学で哲学が制度化され、専門化されると同時に、在野での哲学的活動(民衆大学、ポンティニーの十日、コレージュ・フィロゾフィック、雑誌の公刊など)が活発となる。これは、哲学の閉鎖性と開放性といった哲学そのものの二律背反性(デリダ)に端を発するものではないだろうか。

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次に、宮崎裕助(新潟大学)氏は、「英米語圏における「人文学」的思考の現在」と題して報告した。サイードは晩年の『人文学と民主主義的批評』において、文献学への回帰を強調しつつ、あらゆる階級と背景の人々に開かれたデモクラシー的解放を謳った。ただ、サイードの人文学論は狭義の人間主義に裏打ちされており、言語の根本的にアナーキーな性格への配慮は見られない。人間の規範的な諸価値を問い直す、ポストヒューマニティーズとしての人文学を構想することが課題と可能性として残されている。

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最後に、藤本夕衣(京都大学)氏は、博士論文にもとづいて、発表「アメリカの大学における教養教育論争 ―「文化戦争」にみる政治哲学の問い」をおこなった。ポスト・モダン時代の大学を論じる糸口をつかむために、藤本氏は、リチャード・ローティとアラン・ブルームの古典論を参照する。

ローティは解釈学的立場から形而上学的な哲学の無効化(それゆえ、形而上学的理念が保証する近代的大学の無効化)を示唆し、文化左翼と分析哲学への批判を通じてポスト・モダン的大学の病理を描く。ローティにとって、偉大な作品は読者のインスピレーションを回復させる点で重要であり、古典を読む場としての大学は社会からの一時的な避難所である。

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他方で、西洋中心主義的な保守主義者とされるブルームもまた、大学の二つの解体を意識する。啓蒙主義的理念にもとづくドイツの大学を経て、出口のないニヒリズムが蔓延するアメリカの大学において必要なのは、古典の著者の声に徹底的に聴き従う読者の態度である。古典の読解を通じて、読者は自らの不完全さを自覚し、知へのさらなる欲望(エロス)を抱く。大学は社会との緊張関係を保ったまま、古典を読むことのできる場所である。

藤本さんはさらに、両者の師であるレオ・シュトラウスを参照し、歴史主義と古典の意義という視座から古典論を分析した。古典論と政治哲学(近代民主主義の問いと規定)との接点を浮かび上がらせ、さらにこの関係をポスト・モダンの大学論へのひとつの解として示す手ほどきは的確で、とても興味深い発表だった。
[ 2010/12/26 22:50 ] 報告・取材記 | TB(0) | コメント(-)

公開講座「大学・人文学・社会」(@津田塾大学)

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2010年11月4日、津田塾大学で公開講座「大学・人文学・社会」をおこないました。近年、ネット上で進展しているオープン・エデュケーション(講義や教科書の無料公開)の話題から「大学とは何か、大学とは何ではないか」という輪郭を浮き彫りにしようとしました。この講座は学生が準備・運営する科目「綜合」枠で実施されましたが、これは各週でゲスト講師が担当するという興味深い企画です。招聘・準備していただいた学生の方々にはお礼申し上げます。
[ 2010/11/04 19:15 ] 報告・取材記 | TB(0) | コメント(-)

左古輝人氏(首都大学東京社会学)とのネット対談

ある日、勤務先の首都大学東京のメールボックスに、「日本記録映像振興会」なる団体のパンフレットが入ってました。何かと思ったら、同大学の社会学専攻の左古輝人先生によるNPO法人であることが分かりました。

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佐古先生は、営利を前提としないドキュメンタリー映像を振興するために日本記録映像振興会を設立されたそうです。最近では撮影機材の手頃さから、アマチュアによるドキュメンタリー制作が増えています。この会は、アマチュアによる個人史ビデオ制作のための講座を設け、最終的には作品を完成させるサポートをしているそうです。

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会のHP上ではネット対談を放映していく企画があり、その対談相手として同僚の私が参加しました。2010年9月13日、調布市文化会館の映像ホールで撮影がおこなわれ、対談では、拙映画「哲学への権利」の活動、映像素材と研究教育の関係、大学の可能性など、話題が多岐に及びました。同じ大学という思わぬ近い場所に、やはりドキュメンタリー映像活動に精力的に携わっている教師がいて嬉しく思いました。対談の模様は11月上旬に公開予定です。
[ 2010/09/13 21:34 ] 報告・取材記 | TB(0) | コメント(-)

福間健二監督『わたしたちの夏』撮影終了

首都大学東京の同僚・福間健二(英文学・詩人)氏による新作映画『わたしたちの夏』の撮影が終了しました。「9.11」以降の世界の生死の時空を、一組の男女と娘のすれ違いと葛藤、和解を通じて描き出す作品です。来年の夏、全国のミニシアター系劇場で公開予定です。

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撮影は首都大学東京の南大沢キャンパスでもおこなわれ、大学の雰囲気が伝わる映像になっています。スタッフとして首都大の学生も多数参加されましたし、表象言語論の赤塚若樹先生(関西弁の殺し屋の役!)や、非常勤の千石英世先生(立教大学)も出演されています。炎天下のなか、2週間にわたる撮影を無事に敢行できたことはひとまず喜ばしいことです。

福間氏は詩人として詩を、英文学研究者として論文を、映画監督として映画を制作し続けています。それら三幅対の創作活動に関して、「今回の映画は前作よりも良いものに、そして次はこれよりも良い詩集をつくらなければ」と語っていたのが印象的でした。ジャンル横断的に創作活動を継続できるなんて、たいへん幸福なことでもあります。
[ 2010/08/25 23:45 ] 報告・取材記 | TB(0) | コメント(-)

福間健二監督『わたしたちの夏』製作中

首都大学東京の同僚・福間健二(英文学・詩人)氏が前作『岡山の娘』(2008年)に次ぐ映画『わたしたちの夏』の製作を開始しました。「9.11」以降の世界の生死の時空を、一組の男女と娘のすれ違いと葛藤、和解を通じて描き出す作品です。60歳を過ぎても創作意欲の衰えない詩人・監督の福間氏を真近で見ていると、こちらも底力が湧いてきます。

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福間氏の依頼を受けて、映画「わたしたちの夏」には急遽出演することになりました。9.11以後の世界を娘に語る男の役で、ここだけ台詞はなくてアドリブ。 お任せするから、との話でした。8月の猛暑の朝、近所の公園で撮影がおこなわれ(福間氏も私も同じ街に住んでいる)、短いシーンは無事に収録されました。

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本作は2011年の夏にミニシアター系で巡回上映予定。「わたしたちの夏」という題名は福間氏が敬愛するゴダール「わたしたちの音楽」へのオマージュです。
[ 2010/08/16 12:11 ] 報告・取材記 | TB(0) | コメント(-)