本映画『哲学への権利』は2009年9月にアメリカ東海岸の4大学で上映された後、同年12月から日本各地で巡回上映中である。主に大学を会場にして上映されるが、ジュンク堂新宿店や朝日カルチャーセンターなど、大学外の場所でも上映がおこなわれた。観衆は20名のときもあったが、最近では立ち見が出たり、遅れてきた方々が会場に入れなかったりするほど盛況な会もあった。
上映後には必ず討論会を併載し、毎回異なるゲストの方々と映画の直接的な印象から理念的な話までさまざまな議論を展開している。私自身驚いているのだが、上映作品は同一とはいえ、場所とゲストが変わるために討論の内容は毎回著しく異なったものになる。毎回、監督という立場で一緒に登壇しているのだが、あたかもジャズの即興セッションを名プレイヤーたちとその都度披露するかのような感覚に陥っている。実際、討論部分だけを何度も聴講するリピーターが少なくないのはその証左だろう。
私は映画製作はまったくの素人なので、入門的テクストで勉強しながら、撮影、編集、交渉などをほとんど独りでおこなってきた(実を言うと、現在も勉強をしつつ作品を修正し続けている)。毎回、誰よりも早く上映会場に入って機材の準備をし、すべての討論会に登壇して質疑に応答し、懇親会では参加者の方と交流するようにしている。つまり、大学、人文学、哲学の現在と未来をめぐるこの映画の上映運動に対して、私という等身大の個人の責任と信念が、数多くの方々との共同を通じて、どこまでその責務を果たすことができるのか、試してみたいと思っているのである――「いかにして研究と教育にもっとも瑞々しい現場性を付与すればよいのか。しかも、学問領域の壁を越え、個々の大学の垣根を越え、そしてさらには、国境を越えるような現場性を研究と教育はいかにして獲得するのだろうか。」
(映画『哲学への権利』の一場面)
「研究者のあなたがなぜ論文ではなくて、映画なのか?」としばしば問われる。本作はデリダの国際哲学コレージュのたんなる紹介記録映画ではない。むしろ、コレージュを一例としつつ、あくまでも日本における大学、人文学、哲学の現状と展望をいま共に考えることが本旨である。こうしたアクチャルな問題を共に議論する場をつくるためには、映画は優れた媒体であるだろう。同じ主題で私が講演会をおこなっても、せいぜい10名ほどしか集まらないだろうが、映画ならば学部学生や一般の方も参加しやすい。しかも、映画は作者であるはずの私の統制を大きく踏み越え、それ自体で現場をつくりだす底知れぬ力がある。私が模範的前例としているのは、1990年代半ばに日本全国で実施された映画『ショアー』の上映と討論の運動であるが、本作もまた私の予期せぬ仕方で生きもののように動き始めている。
2010年3月までの上映計画は私の主導で組み立てられ、数多くの友人や尊敬する先達たちが力を差し伸べてくれた。4月以後の上映はさまざまな人と場所からの依頼で自ずと組まれていく。今後は愛知大学、一橋大学、新潟大学、神戸市外国語大学、明治大学、東京芸術大学、上智大学、首都大学東京など、大学以外では西田幾多郎記念哲学館、逗子のカフェなど、そしてドイツや韓国などで上映が企画されている、ないしは企画され始めている。
今週から関西へと場所を移し、6日間移動しながら、異なる場所で6回の催事がおこなわれることになる。その後は、フランスに向かいパリとボルドーで計3回の上映が予定されている。パリではまさに国際哲学コレージュで上映がおこなわれ、討論ではコレージュの議長をはじめとした面々が登壇してくださることになっている。3月には再び東京各地と京都での上映が再開されるのだが、嬉しいことに、映画出演者3名(ミシェル・ドゥギー、ボヤン・マンチェフ、ジゼル・ベルクマン)と共に討論会を実施することになった。
ご関心のある向きは各地での上映・討論会に足を運んでいただければ幸いに思います。
2010年2月3日 西山雄二
ミシェル・ドゥギー Michel Deguy
パリ第8大学名誉教授。国際哲学コレージュ議長(1992-95年)。現代フランス最大の詩人・哲学者。詩人として20冊以上の詩集を出版し,1989年に詩の国民大賞を受賞。『ポエジー』誌編集主幹、『レ・タン・モデルヌ』編集委員、『クリティック』誌査読委員、フランス作家協会会長(1992-98年)を務める。ヘルダーリンやパウル・ツェランの翻訳も手がけている。日本語訳に、『尽き果てることなきものへ――喪をめぐる省察』(梅木達郎訳、松籟社)、『愛着――ミシェル・ドゥギー選集』(丸川誠司訳、書肆山田)、編著『崇高とは何か』(梅木達郎訳、法政大学出版局)、『ジラールと悪の問題』(古田幸男ほか訳、法政大学出版局)。
フランソワ・ヌーデルマン François Noudelmann
パリ第8大学教授。国際哲学コレージュ議長(2001-04年)。アメリカではニューヨーク州立大学やジョンズ・ホプキンズ大学で定期的に講義をもつ。フランスを代表するサルトルの研究者。フランス・キュルチュール局の哲学のラジオ番組「哲学の金曜日Les Vendredis de la Philosophie」の人気パーソナリティーでもある。著書に、Le Toucher des philosophes. Sartre, Nietzsche et Barthes au piano, Gallimard, 2008 (grand prix des Muses 2009) ; Pour en finir avec la généalogie, Léo Scheer, 2004; Sartre: L'incarnation imaginaire, L'Harmattan, 1996. 日本語訳に「非-系譜学的共同体の哲学」(『来るべき〈民主主義〉――反グローバリズムの政治哲学』、藤原書店)、「脱世代化するサルトル」(『環 別冊11サルトル 1905-80』、藤原書店)。
ブリュノ・クレマン Bruno Clément
パリ第8大学教授。国際哲学コレージュ議長(2004-07年)。フランスを代表するベケット研究者。著書に、Le Récit de la méthode, Seuil, 2005; L'Invention du commentaire, Augustin, Jacques Derrida, P.U.F., 2000; Le Lecteur et son modèle, P.U.F., 1999; L'Œuvre sans qualités, rhétorique de Samuel Beckett, Seuil, 1994. 日本語訳はないが、書評として、郷原佳以「方法のポエティック――ブリュノ・クレマン『方法の物語[レシ]』に寄せて」(『Resonances』第4号、東京大学教養学部フランス語部会、2006年9月)。
カトリーヌ・マラブー Catherine Malabou
パリ第10大学准教授。国際哲学コレージュ・プログラム・ディレクター(1989-95年)。アメリカのカリフォルニア大学アーヴァイン校、ニューヨーク州立大学バッファロー校などでも教鞭をとる。ジャック・デリダの脱構築思想を継承し、ヘーゲルやハイデガーに即して「可塑的存在論」を展開。著書に『ヘーゲルの未来――可塑性、時間性、弁証法』(西山雄二訳、未来社)、『私たちの脳をどうするか』(桑田光平・増田文一朗訳、春秋社)、La Chambre du milieu. De Hegel aux neurosciences, Hermann, 2009 ; Les Nouveaux Blessés. De Freud à la neurologie, penser les traumatismes contemporains, Bayard, 2007 ; Le Change Heidegger. Du fantastique en philosophie, Léo Scheer, 2004. 編著に、『デリダと肯定の思考』(高桑和己他訳、未来社)。
フランシスコ・ナイシュタット Francisco Naishtat
ブエノスアイレス大学教授。国際哲学コレージュ・プログラム・ディレクター(2004-07年)。主に政治哲学を専門としながら、近年はグローバル化時代における哲学の役割を研究。M・ウェーバーやベンヤミンに関する論考多数。著書に、Universidad y democracia, BIBLOS, 2004 ; La acción y la política. Perspectivas Filosóficas, GEDISA, 2002 ; Max Weber y la cuestión del individualismo metodológico, EUDEBA, 1998. 編著に、Genealogías de la universidad contemporánea. Sobre la Ilustración o pequeñas historias de grandes relatos, Biblos, 2008. 日本語訳に、「歴史認識理論における精神分析の痕跡―ヴァルター・ベンヤミンの『パサージュ論』における運命と解放」、(『〈時代〉の通路 ヴァルター・ベンヤミンの「いま」』、UTCP)。
ジゼル・ベルクマン Gisèle Berkman
ジュール・ヴェルヌ高校教員。国際哲学コレージュ・プログラム・ディレクター(2004-07年)。『ポエジー』誌編集委員。18世紀啓蒙期の文学・思想を専門としながらも、20世紀の文学・思想にも造詣が深く、エクリチュールと思考をめぐって文学と哲学の連続性に関する研究を進めている。J・デリダ、M・ブランショ、J=L・ナンシー、M・ドゥギーに関する論考多数。著書に、Filiation, origine, fantasme : les voies de l’individuation dans Monsieur Nicolas ou le cœur humain dévoilé de Rétif de la Bretonne, Champion, 2006.
ボヤン・マンチェフ Boyan Manchev
新ブルガリア大学准教授。国際哲学コレージュ副議長。演劇やダンスの事例を踏まえつつ、表象やイメージ、身体の理論と主体や共同体の今日的意義を追究している。著書に、The Unimaginable. Essays in Philosophy of Image, Sofia: NBU, 2003; L'altération du monde : Pour une esthétique radicale, Nouvelles Editions Lignes, 2009. 日本語訳に、「野生の自由 動物的政治のための仮説」(『現代思想』2009年8月号)。G・ディディ=ユベルマンやJ=L・ナンシーのブルガリア語の訳者でもある。
Author:西山雄二 Yuji Nishiyama
首都大学東京 都市教養学部
フランス語圏文化論(仏文)准教授
国際哲学コレージュ
プログラム・ディレクター(2010-2016年度)
日本学術会議 若手アカデミー活動
検討分科会委員
20世紀フランス思想専攻
映画上映の旅のつぶやき:
http://twitter.com/yuji_nishiyama
研究業績(2005年以降):
http://rightphilo.blog112.fc2.com/blog-entry-111.html