ミドルセックス大学の哲学科の閉鎖に反対する署名は、開始から一週間で8.400筆ほどが集まっている。著名な哲学者も署名を寄せているが、投稿されているコメントを紹介したい。

(5月4日午前、ミドルセックス大学の哲学科の閉鎖に抗議して集まった学生と教員スタッフたち。翌5日からは学生らによる学内での抗議署名への呼びかけが本格的に開始される。)
ミドルセックス大学の哲学科にはユニークな歴史がある。そんな哲学科が閉鎖されなければならないなんて、考えられない話だ! 普通、他大学の運営には口を挟むことはできない。しかし私は、ミドルセックス大学哲学科の閉鎖が愚かな決定であると、いかなる点でも証言する心構えができている。――ガヤトリ・C・スピヴァク
イギリスのみならず、いたるところで、人文学にとっての闇の時代である。同じく、人間存在にとっても、やはり闇の時代だということだろうか。おそらく、存在するものすべてにとって。この事態を私たちは了解できているだろうか。もちろん、人文学は再生され、再発明されなければならないが、しかし、破壊を通じてなされてはならない。――ジャン=リュック・ナンシー
今回の「技術的な」決定は、実のところ、反動的かつ自滅的な政治的手法である。ミドルセックス大学の哲学科に直接関係する者だけでなく、哲学はもとより、哲学以外の学問分野にも関係するあらゆる教師や学者によって反対されるべきである。――エティエンヌ・バリバール
今回の危機的な閉鎖は大学側の利害関心をはるかに越えた結果をもたらすだろう。つまり、探究の精神、市民精神や倫理的判断における批判的な洞察力、対話の実践力、またこれと関連して、自由、自律、思慮深い行動、慎み深さに対する根本的な動機づけといったものの貧困化をもたらすだろう。――アヴィタル・ロネル
ほかにも、ジュディス・バトラー、スラヴォイ・ジジェク、エレーヌ・シクスー、カトリーヌ・マラブー、アレクサンダー・ガルシア・デュットマン、ジェフリー・ベニントン、サイモン・クリッチリー、ドゥルシラ・コーネル、ベルンハルト・ヴァルデンフェルス、ヴェルナー・ハーマッハー、フェティ・ベンスラマ、ボヤン・マンチェフらがすでに署名している。「哲学への権利」の目下の最前線のために連帯を願う。
署名HP: ミドルセックス大学の哲学を救おう(Save Middlesex Philosophy)http://www.gopetition.com/petitions/save-middlesex-philosophy.html(ページ下方の「Sign the petition」をクリックで手続き開始。誰でも簡単に署名できます。もちろん、研究者や大学院生でなくとも結構です。)
また、宮裕助氏(新潟大学)が、この問題に関する以下の的確な文章について、要点抜粋による紹介をされていたので、許可を得て転載させていただきます。宮崎氏は当面、Twitter上でこの問題に関する積極的な情報発信を続けていくそうなので、関心のある向きはご参照ください。
http://twitter.com/parages『ニューステイツマン』4月29日(記=サイモン・リード=ヘンリー)
http://www.newstatesman.com/blogs/cultural-capital/2010/04/philosophy-university人文学への襲撃──ミドルセックス大学の哲学科が脅かされている今週ミドルセックス大学の教養教育学部長は、本学の哲学課程のすべてを閉鎖する予定であると通告した。教員に送ったEメールによると、その理由は「単純に財政的である」というものだった。この決定──ひとりのアカデミック・ブロガーは「金銭ずくの愚行」と評している──は、現在拡大中のネット上の反対運動を引き起こし、同様のことが、ロンドン大学キングズ・カレッジとリヴァプール大学でもすでに巻き起こっている。[……]
英国の大学、そしてとりわけ世界的にも著名なこの国の人文・教養学部は、活気ある政治や社会にとって、またその討議の質にとって根本的なものである。だがいまやそれがますます危機に脅かされつつあるのだ。
ミドルセックス大の哲学科はその渦中の一例である。ここは、イギリスにあって大陸哲学の主導的な学科のひとつであり、ヨーロッパ思想の古典──カントであれヘーゲルであれ、サルトルであれバディウであれ──について私たちの理解を深めてきた点で国際的な名声を得てきた。のみならず、そうしたことと並んで、今日の政治的・倫理的ジレンマに照らしてそうした古典を再解釈する関心も兼ね備えてきた。
そのうえここは、ミドルセックス大ではいわゆる「研究評価実践」で最高位を得た学科でもある。つまり、イギリスの学術的業績を計測し監視するのに今日ますます用いられつつある馬鹿げた基準をもってしてさえ、この哲学科は「当を得た適切性」を有しているということである。上位20校のラッセル・グループとわたり合ってきた前ポリテクニックの大学として、こうした学科はいったいこれ以上他になにをすればよいと期待されているのかと首をかしげるほかない。
もちろん、大学の学科はまずもって収入を産み出す「金のなる木」であるべきだと考える人もいる。私自身はそんなふうに考える理由がわからない。しかしたとえ大学がそんなものだとしても、ミドルセックスの哲学科は、その点で怠ってきたと言われる筋合いはないだろう。近年この学科は、教育と研究で得た収入の半分以上を大学に納めてきたとのことだ。おそらくそんなわけで大学のウェブサイトは、この学科の「生き生きとした活発な文化」、「画期的で重要な研究を産んでいる教員」を擁し「その研究の多くが学部課程の特徴となっている」点を吹聴している。
これは、うわべだけのごまかしにすぎないのだろうか。ミドルセックス大学がみずからのウェブサイトで述べていることを本当に守るのであれば、そうした学科を閉鎖するという資格などない。関係者は、今回の決定の再考を強く求められている。[……]