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ミドルセックス大学問題 公式HP映画「哲学への権利――国際哲学コレージュの軌跡」

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ミドルセックス大学哲学科がキングストン大学に移転

2010年6月8日、ミドルセックス大学哲学科の閉鎖問題に一大転機が訪れた。同大学のThe Centre for Research in Modern European Philosophy(近代ヨーロッパ哲学研究センター)が、ロンドン南西部にあるキングストン大学へと移転されることになったのだ。4名の教員(6名中)が移籍し、大学院プログラムが新学期の9月から新天地で開始される。4月末の哲学科閉鎖通知からわずか6週間、この問題は新たな局面を迎えたと言える。

この「部分的だが、意義のある勝利」は、イギリス国内外での運動「ミドルセックス大学の哲学を救おう」によるところが大きい。哲学科閉鎖の衝撃はネット上で伝播し、不条理で不合理な人文学切り捨てとして人々の怒りが発せられたのだ。また、イギリスだけでなく、フランスやドイツのいくつかの大学からも哲学科救済のための学術的連携が提案されたという(各国の哲学科、哲学学会、哲学センターなどから連帯の手紙やアピールが次々に出されたが、日本からのものはない)。

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また、キングストン大学の英断は賞讃すべきものである。事が起こってから6週間、新学期を3カ月先に控えながら、哲学センターと大学院を制度的に受け入れるとは、実に寛大な行動である。しかも、キングストン大学の学部には哲学科はなく、哲学系の教員は少ない。近年、人文学分野への投資を増加させてきた大学とはいえ、どのような力学でこのような決定が短期間でなされたのだろうか。

日本に例えて想像してみよう――12月、ある大学の卓越した哲学科の閉鎖が経営上の理由で突然通告される。国内外でマスコミも含めて、閉鎖の非合理さを分析し、反対し、連帯する声が上がる。中国や韓国など、近隣国の哲学科から支援の声が寄せられる。新学期を控えた1月半ば、閉鎖の危機にあったこの哲学科が、哲学科のない、哲学教員がさほどいない他の大学によって救済される――日本ではほとんど想像できないことではないだろうか。

これで閉鎖問題に一区切りがついたわけだが、さまざまな闘いは継続される。停職・停学処分を受けている教員学生の処遇を撤回させること。職を失う恐れがある2名の教員のこと。反対運動に連帯した他学科の教員や学生が残されること。非効率的とみなされる学部学科は今後も閉鎖の危機に曝され続けること……等々。「私たち」にも起こりかねない、人文学の今日的事例として今後も動向を注視していきたい。
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[ 2010/06/15 23:18 ] ミドルセックス大学問題 | TB(0) | コメント(-)

A・G・デュットマン「誰が哲学を恐れているのか」―ミドルセックス大学哲学科閉鎖問題

ミドルセックス大学哲学科の閉鎖問題は国際的な広がりをみせている。スタッフと学生による平和的な会議室占拠と学術イベント開催は12日間続いたが、大学経営陣は裁判所命令をとりつけて法的な対応に出た。学生らは占拠を中断して、今度は図書館での一晩座り込みなどの新たな手段に訴えている。大学側は5月25日、占拠に加担した4人の学生の停学、3人の教員の停職を決定。この処分に抗してすぐさま、エティエンヌ・バリバールなどから抗議の手紙が届けられた。また、多くの学生・教員らも「ミドルセックスを占拠したのは私です」というプラカードをもって、ユーモラスな抗議行動に出ている。

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アレクサンダー・ガルシア・デュットマン「誰が哲学を恐れているのか」(宮裕助訳)
(2010年5月19日、Institute of Contemporary Artsでの討議における報告の抜粋)
http://www.gold.ac.uk/inc/currentevents/whosafraidofphilosophy/
音声データ:http://backdoorbroadcasting.net/2010/05/who’s-afraid-of-philosophy/

「誰も哲学など恐れてはいないのではないか」――たしかに。しかしもし誰も哲学を恐れていないのだとしても、それは、現実世界にいる多くの人々がなんの恐れもなく哲学に関われるほど自信に満ちているからということではありません。哲学に対して広く浸透した無関心があるのだということを──そう思われている以上に哲学には面白いところがあると私は感じているのだけれども──少なくともさしあたりは認めなければならないでしょう。とすると、この無関心はそれ自体ひとつの徴候であり、まさに隠蔽され抑圧された恐れの徴候であるということではないでしょうか。

しかしなんについての恐れでしょうか。それは、哲学が最終的に目指そうとするものについての恐れです。つまり、物事への不偏で没関心的な関心、議論のための議論への関心(しかしある種の議論を斥けたり議論の限界を追究したりすることから尻込みしてしまうような関心ではない)、アジェンダやイデオロギーにとらわれない概念への関心(しかしアジェンダやイデオロギーそのものを標的とすることから尻込みしてしまうような関心ではない)、心理的な拘束を超えてゆく関心、権力が遮ろうとするところで問題提起を止めない関心、といったものです。哲学の誇張法的な理想主義が試みる根底的で、多くの場合耐え難くもある挑戦──これこそは、政治家や大学の経営者が、たとえそのことを知らずそうした考えを馬鹿げたものだと肩をすくめてやり過ごすのだとしても、最終的に恐れている当のものなのです。〔…〕

〔…〕私たちは今日前例のない状況に置かれています。まさに誰も哲学を恐れているようにみえないからこそ、それだけに哲学への恐れは、つまり妥協なき、しかし無反省ではない哲学への恐れ、恐れを知らない哲学への恐れは、いっそう強力なものとなっているのであり、いまや哲学《一般》がはじめて攻撃に曝されているのです。しかしだからといって、哲学が擁護される必要があるというのではありません。アドルノが述べたように、なにものかを擁護することは、それを断念していることを意味します。そうではなく哲学は、まったく単純に、力強く、アカデミックな諸制度の内外にあって、肯定されなければならないのです。

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[ 2010/05/30 21:56 ] ミドルセックス大学問題 | TB(0) | コメント(-)

ミドルセックス大学に出現した横断的空間

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ミドルセックス大学哲学科の廃止に抗議して、学生たちによる会議室の占拠が継続している。平和的な手段による占拠であり、授業の妨げにはならない範囲での慎重な行動である。5月7日からは学術イベントが開催され、ラカンやスピノザのセミナーが実施され始めた。占拠された空間は大学関係者の有無を問わず、誰にでも開放されており、エティエンヌ・バリバール(下段写真中央)が来訪して支持を訴えるなど、自由な「横断的空間Transversal Space」が出現している。http://savemdxphil.com/
占拠に関する記録映像:http://www.vimeo.com/11523774

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今回の騒動は同大学に限定される問題ではなく、イギリスの高等教育制度そのものに対する不満が背景にある。金融危機をアリバイとして、大学経営陣は彼らの尺度で制度再編をおこない、不要とされる学部・学科を次々に切り捨てている。イギリスの大学関係者一般の批判は、こうして、占領者たちの公開書簡によって端的に代弁されている。「大学はビジネスではなく、教育は商品ではない。大学や教育は人間の権利であり、公共サーヴィスである。教育は経済危機を引き起こしているわけではなく、それゆえ、当の危機のために犠牲にされてははならない。」

ミドルセックス大学では会合が開かれたが、経営陣は哲学科廃止の見直しを拒否。解決策が見えないまま、事態が進行している。時間と資金があれば、映画「哲学への権利」を持参して駆けつけ、上映・討論会を実施したいところである。
[ 2010/05/07 21:46 ] ミドルセックス大学問題 | TB(0) | コメント(-)

ミドルセックス大学哲学科の閉鎖に抗する公開書簡

ryuミドルセックス大学の哲学科の閉鎖への懸念を話し合うべく、5月4日午前に学生たちは学部長ら大学側との会談を設けていた。だが、キャンパスに到着した学生たちは、「前日の夜に会談はキャンセルされた」との通知を知った。警備員は学生らが廊下に立ち入ろうとするのを阻止して警察を呼んだが、幸い警察は手出しをしなかった。学生たちは学部長室のすぐ近くにある会議室を占拠。約束していた学部長との話し合いがおこなわれるべく抗議している。

今回の閉鎖に抗議して、哲学研究者たちが同大学関係者(副学長や学科長)宛てに書簡を送っている。数十の書簡は公開されて、「ミドルセックス大学の哲学を救おう(Save Middlesex Philosophy)」 http://savemdxphil.wordpress.com/ のサイトに掲載されている。その一部の抄訳を紹介しておきたい。

イギリスとアメリカの哲学プログラムの大半が分析哲学に焦点を絞っているのに対して、ミドルセックス大学では優れた教師と学生たちがヨーロッパ思想に関連する問題に取り組んでいます。事実、この点で、アメリカ、イギリス、オーストラリアの哲学科において、ミドルセックス大学の水準を超える学科があるとは思えません。かくも独特で重要な哲学プログラムを喪失することは、教師と学生にとって恥でしょう。この喪失はイギリスのみならず、アメリカや他の地域の人々にとっても甚大です。――マイケル・ハート(デューク大学)

私は今回の決定が覆されることを強く願います。大学のために、イギリスの知的生活のために、とりわけ、哲学という伝統的で不可欠な世界的な学問分野の未来のために。――ノーム・チョムスキー

今回の決定を再検討していただいと主張せざるをえません。現代ヨーロッパ哲学研究センターの閉鎖は、ミドルセックス大学のみならず、イギリスの大学制度の評判、さらには、その文化的生活にまで甚大な損害を与えると思うからです。――アレクサンダー・ガルシア・デュットマン(ロンドン大学ゴールドスミス校)

この私の抗議文のような手紙をあなた方は確実にたくさん受けとることでしょう。御自身が危機に曝している当の哲学科の評判を実感して、あなた方はどことなく満足されているのではないでしょうか。破滅的な決定の再検討をうながすべく数多くの声があがっていますが、そのなかに私の声が加わることを嬉しく思います。――ジェフリー・ベニントン(エモリー大学)

南米や東アジアの大学院生のあいだでも、ミドルセックス大学の哲学センターのことはよく知られています。北米や西欧の大半の哲学プログラムとは異なり、この哲学センターは欧米の外でどんな知的な活動が起こっているのかに対してきわめて敏感です。また、グローバルで学際的なプロジェクト(MultitudesやRadical Philosophy、Traces)にも参与してきました。――酒井直樹(コーネル大学)

ニュー・スクール・フォー・ソーシャル・リサーチでは、多くの大学院生がイギリスでの哲学といえばミドルセックス大学のことを思い浮かべ、その哲学科の教員の著作を読んでいます。〔…〕成功しているプログラムを閉鎖するよりも、想像力をもって投資をおこなう道を見つけ出すべきです。哲学科はあなた方の大学の冠の宝石なのですよ。――サイモン・クリッチリー(ニュー・スクール・フォー・ソーシャル・リサーチ哲学科長)

ミドルセックス大学で哲学を学び教える多くの書き手たちの友人として、また出版人として、哲学科が脅威に曝されていることを本日知って驚愕しています。私は今回の決定が覆されることを強く望みます。〔…〕ヴェルソ出版は、この決定と戦っているミドルセックス大学哲学科の教員、スタッフ、学生を支持いたします。――ジャコブ・スティーヴンス(ヴェルソ出版)〔Verso Booksはヨーロッパ思想関係の書籍を多く刊行しているニューヨークの出版社〕

ほかにも、エティエンヌ・バリバール、ポール・パットン、フランソワ・キュッセ、ヨーロッパ哲学学会などの書簡が掲載されている。
[ 2010/05/04 22:56 ] ミドルセックス大学問題 | TB(0) | コメント(-)

ミドルセックス大学哲学科の閉鎖に反対する署名

ミドルセックス大学の哲学科の閉鎖に反対する署名は、開始から一週間で8.400筆ほどが集まっている。著名な哲学者も署名を寄せているが、投稿されているコメントを紹介したい。

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(5月4日午前、ミドルセックス大学の哲学科の閉鎖に抗議して集まった学生と教員スタッフたち。翌5日からは学生らによる学内での抗議署名への呼びかけが本格的に開始される。)

ミドルセックス大学の哲学科にはユニークな歴史がある。そんな哲学科が閉鎖されなければならないなんて、考えられない話だ! 普通、他大学の運営には口を挟むことはできない。しかし私は、ミドルセックス大学哲学科の閉鎖が愚かな決定であると、いかなる点でも証言する心構えができている。――ガヤトリ・C・スピヴァク

イギリスのみならず、いたるところで、人文学にとっての闇の時代である。同じく、人間存在にとっても、やはり闇の時代だということだろうか。おそらく、存在するものすべてにとって。この事態を私たちは了解できているだろうか。もちろん、人文学は再生され、再発明されなければならないが、しかし、破壊を通じてなされてはならない。――ジャン=リュック・ナンシー

今回の「技術的な」決定は、実のところ、反動的かつ自滅的な政治的手法である。ミドルセックス大学の哲学科に直接関係する者だけでなく、哲学はもとより、哲学以外の学問分野にも関係するあらゆる教師や学者によって反対されるべきである。――エティエンヌ・バリバール

今回の危機的な閉鎖は大学側の利害関心をはるかに越えた結果をもたらすだろう。つまり、探究の精神、市民精神や倫理的判断における批判的な洞察力、対話の実践力、またこれと関連して、自由、自律、思慮深い行動、慎み深さに対する根本的な動機づけといったものの貧困化をもたらすだろう。――アヴィタル・ロネル

ほかにも、ジュディス・バトラー、スラヴォイ・ジジェク、エレーヌ・シクスー、カトリーヌ・マラブー、アレクサンダー・ガルシア・デュットマン、ジェフリー・ベニントン、サイモン・クリッチリー、ドゥルシラ・コーネル、ベルンハルト・ヴァルデンフェルス、ヴェルナー・ハーマッハー、フェティ・ベンスラマ、ボヤン・マンチェフらがすでに署名している。「哲学への権利」の目下の最前線のために連帯を願う。

署名HP: ミドルセックス大学の哲学を救おう(Save Middlesex Philosophy)
http://www.gopetition.com/petitions/save-middlesex-philosophy.html
(ページ下方の「Sign the petition」をクリックで手続き開始。誰でも簡単に署名できます。もちろん、研究者や大学院生でなくとも結構です。)

また、宮裕助氏(新潟大学)が、この問題に関する以下の的確な文章について、要点抜粋による紹介をされていたので、許可を得て転載させていただきます。宮崎氏は当面、Twitter上でこの問題に関する積極的な情報発信を続けていくそうなので、関心のある向きはご参照ください。http://twitter.com/parages

『ニューステイツマン』4月29日(記=サイモン・リード=ヘンリー)
http://www.newstatesman.com/blogs/cultural-capital/2010/04/philosophy-university

人文学への襲撃──ミドルセックス大学の哲学科が脅かされている

今週ミドルセックス大学の教養教育学部長は、本学の哲学課程のすべてを閉鎖する予定であると通告した。教員に送ったEメールによると、その理由は「単純に財政的である」というものだった。この決定──ひとりのアカデミック・ブロガーは「金銭ずくの愚行」と評している──は、現在拡大中のネット上の反対運動を引き起こし、同様のことが、ロンドン大学キングズ・カレッジとリヴァプール大学でもすでに巻き起こっている。[……]

英国の大学、そしてとりわけ世界的にも著名なこの国の人文・教養学部は、活気ある政治や社会にとって、またその討議の質にとって根本的なものである。だがいまやそれがますます危機に脅かされつつあるのだ。

ミドルセックス大の哲学科はその渦中の一例である。ここは、イギリスにあって大陸哲学の主導的な学科のひとつであり、ヨーロッパ思想の古典──カントであれヘーゲルであれ、サルトルであれバディウであれ──について私たちの理解を深めてきた点で国際的な名声を得てきた。のみならず、そうしたことと並んで、今日の政治的・倫理的ジレンマに照らしてそうした古典を再解釈する関心も兼ね備えてきた。

そのうえここは、ミドルセックス大ではいわゆる「研究評価実践」で最高位を得た学科でもある。つまり、イギリスの学術的業績を計測し監視するのに今日ますます用いられつつある馬鹿げた基準をもってしてさえ、この哲学科は「当を得た適切性」を有しているということである。上位20校のラッセル・グループとわたり合ってきた前ポリテクニックの大学として、こうした学科はいったいこれ以上他になにをすればよいと期待されているのかと首をかしげるほかない。

もちろん、大学の学科はまずもって収入を産み出す「金のなる木」であるべきだと考える人もいる。私自身はそんなふうに考える理由がわからない。しかしたとえ大学がそんなものだとしても、ミドルセックスの哲学科は、その点で怠ってきたと言われる筋合いはないだろう。近年この学科は、教育と研究で得た収入の半分以上を大学に納めてきたとのことだ。おそらくそんなわけで大学のウェブサイトは、この学科の「生き生きとした活発な文化」、「画期的で重要な研究を産んでいる教員」を擁し「その研究の多くが学部課程の特徴となっている」点を吹聴している。

これは、うわべだけのごまかしにすぎないのだろうか。ミドルセックス大学がみずからのウェブサイトで述べていることを本当に守るのであれば、そうした学科を閉鎖するという資格などない。関係者は、今回の決定の再考を強く求められている。[……]
[ 2010/05/04 04:24 ] ミドルセックス大学問題 | TB(0) | コメント(-)

ミドルセックス大学の哲学を救おう(Save Middlesex Philosophy)

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2010年4月26日、イギリス・ミドルセックス大学当局は、哲学科の教員に対して一方的に、学部から博士課程までの全プログラムの廃止を通告した。同哲学科は世界をリードする学科で、国際的に卓越した研究活動で評価が高い。英語圏におけるヨーロッパ大陸哲学の最重要の研究拠点として知られている。ヨーロッパの現代思想、批判理論、精神分析、美術理論、マルクス主義思想などの幅広い研究教育が展開されている。

紹介記事:
http://thethirdestate.net/2010/04/middlesex-university-shamefully-cuts-philosophy-department/
http://www.cinestatic.com/infinitethought/

同大学では、The Centre for Research in Modern European Philosophy(近代ヨーロッパ哲学研究センター)http://www.web.mdx.ac.uk/CRMEP/INDEX.HTMも運営されており、大学院レベルでの先端的哲学教育プログラムが国際的な仕方で実施されてきた。現代フランス思想研究のエリック・アリエズEric Alliezやピーター・ホルワードPeter Hallward、ドイツ哲学研究のピーター・オズボーンPeter Osborneらが現在の教員で、かつてはアレクサンダー・ガルシア・デュットマン(Alexander Garćia Düttmann)などが教鞭をとっていた。

大学側の言い分では、「哲学科が世界的に優れた学科であることは認識しているが、単純に財政上の理由」とのこと。壮大な愚行だとしか言いようがない。当局と哲学科教員との会談では一方的に廃止が告げられた模様だが、すでに署名活動は始まっている。「哲学への権利」の目下の最前線のために連帯を願う。

署名HP: ミドルセックス大学の哲学を救おう(Save Middlesex Philosophy)
http://www.gopetition.com/petitions/save-middlesex-philosophy.html
(ページ下方の「Sign the petition」をクリックで手続き開始。誰でも簡単に署名できます。もちろん、研究者や大学院生でなくとも結構です。)
HP: Save Middlesex Philosophy http://savemdxphil.wordpress.com/

ミドルセックス大学に留学されていた宮崎裕助氏(新潟大学)からコメントをいただいたので掲載します。(5月2日付記)

「私はアレクサンダー・ガルシア・デュットマン氏のもとで、2003年にミドルセックス大学の美学・芸術理論コースで修士号を取得しました。ここは英国でもヨーロッパ哲学を専門としている数少ない哲学科のひとつで、毎月の研究セミナーでは、独仏英米等からさまざまな講師が招かれ、ロンドンにあって世界でもヨーロッパ哲学の多様性が交叉する重要な結節点となっていました。哲学科はミドルセックス大学の看板学科であるはずだけに、その全面的閉鎖は常軌を逸した暴挙です。今回の決定は、ミドルセックス大学にとって、そして哲学の未来そのものにとって不幸な結果をもたらすにちがいありません。」――宮崎裕助(新潟大学)
[ 2010/04/29 18:37 ] ミドルセックス大学問題 | TB(2) | コメント(-)